第5話 信長の支配力


「慎哉、せっかくだから明日飲みにいかねぇか」

 酒――慎哉にとって禁句のワードが頭に浮かんだ。

「嫌だ、僕たちはまだ未成年だ。もう酒なんて飲まない」

「そんな白けたこと言うなよ。高校生ならともかく、大学生なら飲酒ぐらい大目に見てもらえるって」


 こいつは絶対に、何か勘違いをしている。

 隆道だけじゃなく、梨都を含め他の三人も自分たちこそ真の明峰大生で、大学デビューの僕たち一般入試の学生を見下しているように思えた。


「本当にもう構ってくれなくていいから。僕のことはほっといてくれないか」

 言えた!

 おそらく一生分の勇気を振り絞って、きっぱりとリジェクトできた。


 隆道は思っても見ない反撃に、顔を硬直させた。

「何だよ。新歓で醜態晒したから、可哀そうに思って誘ってやってるのに、分かんねぇやつだな~ 研人もそう思うだろう!」

 研人は笑いを必死でかみ殺して、小首をかしげる。


 やっぱり、こいつら僕のことを小ばかにして楽しんでいる。

 ここで話すのも無駄だから帰ろう――そう思ったところで、梨都が血相を変えて隆道に抗議した。


「タカミチ、いい加減にしなさい。私だってあの日浮かれてお酒に口をつけて後悔したわ。あの日以来、私と朱音はそういう席でもソフトドリンクしか飲んでない。慎哉が可哀そうでしょう。謝って」

「ちぇ」

 梨都に咎められて、隆道はつまらなそうに舌打ちした。

 舌打ちしたいのはこっちの方だ。

 梨都の正論の方が返って僕をみじめにさせる。


(慎哉、行け!)

(えー)

 突如信長から指令が出た。

(何で行かなきゃいけないんだ。僕は行きたくない)

(余に考えがある。ぬしのためにも明日は行くべきだ)


 僕はまだ迷って、ぐずぐずしていた。

 今この場で梨都に顔を合わしているときも、逃げ出したい気持ちを必死で抑えている。こんな状態でお酒の場なんて行ったら、またトラウマに押しつぶされてしまう。


(えっ?)

 突然身体の感触が失われた。

 信長が強制的に僕の魂を追い出して、身体を乗っ取ったのだ。


「いいだろう。その代わり余は酒は嗜まぬ。話だけなら行ってもよい」

 突然、僕の雰囲気と口調が変わって、みんなびっくりして僕の顔をまじまじと見た。

 全てを知る僕でさえ、自分の同じ顔と身体をした別人が、他を圧倒する雰囲気で場を支配しようとしているのに驚いている。


「どうした。皆で余を楽しませてくれるのであろう」

 言葉こそ穏やかだが、信長の眼光はその場の全員を射抜くように鋭かった。


「そっ、そうか、じゃあ、早速、セッティングしよう。みんなも、来るだろう」

 隆道がどもりながらも、みんなの意志を確認した。

 みんな僕の急な変化に驚いて、言葉は出ないが頷くことで承諾の意志表示をした。


「では頼む」

 悠然とその場を去る信長を目で追いながら、隆道がのろのろとした動作で居酒屋に電話をかけた。




 その日帰宅してから寝不足も手伝って、僕は不機嫌そうに信長に抗議した。

(どうしてあんな強引な真似をしてまで約束したの? おかげで明日は、嫌な記憶をたっぷり思い出さなきゃいけない)

(それでもぬしはあの女を好いているのだろう。恥を乗り越えて話ができるように成れば、もう一度人と関われるようになる。それをぬしたちの言葉で再デビューという)


 再デビューなんて、やらかしちまった芸能人などが使う言葉だ。まったくどこのサイトで見つけてきたのだろうか? ――しかし、不思議と僕の心にはスッと入った。どこかしら、再デビューしたい気持ちが残っているのかもしれない。


(でも……)

(でもではない!)

 もう反論すら許してくれなかった。


(いいか、人間まぐわうときはお互いに尿を漏らすよりも、ずっと恥ずかしい姿を見せ合うのだ。いい加減吹っ切れ。ぬしが人間嫌いのままでは、わしはいつまでたっても知りたいことを知ることができん)

 そうだった。信長が怨霊として復活した原因は、人間が分からなくなったことだった。僕が人間嫌いのままだと、いつまでたってもそれは謎のままだ。


(それにもう一つ。ぬしの恥の原因に、わしは少し疑問がある。ぬしの記憶にある尿を堪えきれなかったときの身体の違和感が、どうもただの酔いには思えぬ)

(それは初めてだったからじゃないの?)

(まあ良い。もしかしたらその謎も明日分かるかもしれぬ)


 話しているうちに、寝不足に耐え切れなくなってきた。

 僕は昏倒するように眠りに落ちる。




「慎哉と交友が再会したことに乾杯!」

「乾杯!」

 隆道の音頭で乾杯し、飲み会が始まった。


 もちろん、宣言通り飲んでいるのはウーロン茶だ。

 他の人はというと、梨都と朱音はオレンジジュースを頼んだが、隆道と研人はビールを頼んだ。

 オーダーのときに、梨都は隆道たちを睨んだが、隆道は涼しい顔でその視線を受け流す。

 研人の方は少しだけ申し訳なさそうにしたが、隆道が唇を歪めて横目で凝視すると、愛想笑いをして、ビールに口をつけた。

 梨都はあきらめたのか、隆道を放って僕に向き直った。


「またこうして話せることができて、本当に良かった。授業で見かけても、私たちとは話さないですぐに姿を消すし、嫌われたんじゃないかって心配したんだよ」

 梨都のこういったマウントをとる言い方は、きっと無意識に身に着いたものなんだろう。小さいときから恵まれた容姿に、聡明な頭脳で、常に女王様ポジションで成長したことは容易に予想できる。


「別に嫌ってはいないよ」

 僕はそれでも、見え透いた同情はよせなどと強気にはなれない。

 昨日の信長とは違う僕の反応に、梨都はこれも無意識だろうが、自分たちの力関係が変わってないと確認して、安堵の表情を浮かべた。


「これから同じ道を目指す者として、一緒に頑張ろうね」

 僕の思いとは裏腹に、梨都は嬉しそうに一人で話している。


 梨都の逆隣に座った朱音が、心配そうに僕たちを見ていた。

 スレンダーで先頭に立つタイプの梨都と対称的に、同じ美人でも朱音は、豊満な身体ボディと母性的な優しさがある女性だ。

 自分のペースで話を進める梨都とは違って、昨日の僕がいつ現れるかと思って、心穏やかではないのだろう。


「慎哉は夏どうするんだよ」

 飲み会の始まりの頃は、昨日のショックでまだ手探り状態だった隆道が、僕の梨都への反応を見て、再び強気になった。


「まだ決めてないけど、名古屋に帰省かな」

「いいよな、田舎があるって。俺たちは都会の喧騒を忘れるために、毎年どこに行くか悩まなきゃいけない」

 こいつ少し馬鹿なのか。東京以外は全て田舎だと思っている。


「隆道君、名古屋は都会だよ」

 研人がさすがにまずいと思ったのか、梨都たちより早く訂正した。

「そうなのか? でも方言があるとこだろ。でらとかうみゃーとか言うんだよな。慎哉も名古屋弁使って話してくれよ」

 また人を小ばかにしたような攻撃が始まった。

 僕はとりあえず無視した。


「ねえ、慎哉君は夏休みはどうするの? もしよかったら厨子にあるうちの別荘に行かない? 海も近いし、毎年みんなで行ってるんだよ」

「えっ」

 僕は梨都の顔をまじまじと見た。

 いったい、どういうつもりで僕を誘うんだろう――梨都の意図が理解できなくて、返事ができなかった。


 僕が逡巡していると、信長の声が届いた。

(今から余と入れ替われ)

(えっ、何で)

(今のぬしは見ておれん)

 その言葉を最後に、再び信長が僕と強制的に入れ替わった。

 

「いいね。ぜひお願いしたい。でも楽しすぎて、また尿を漏らすかもしれんのぉ」

 今度は梨都たちが意表を突かれた。

 深い傷を負ったと心配していた事件を、堂々とした態度でギャグにした。驚かない方がどうかしている。

 驚いたのは、僕も同じだ。

 信長の意図がよく分からない。


 みんなの中で一番立ち直りが早いのは梨都だった。

「大丈夫だよ。人間みんなに共通した自然現象だもの。そのときは私がお掃除してあげる。でも高いわよ」

(ほう)

 信長の梨都に対する興味が、生霊となった僕に伝わった。

 まるで実験に最適な動物でも見つけたかのように、好奇心に溢れている。


「いい反応だ。そなたはお濃に似ている」

「えーお濃って誰? もしかして慎哉君の地元の彼女?」

 梨都のテンションも上がった。


「まあ、そんなものだ。もう死んでるけどな」

 今度は全員のテンションが一気に下がった。

「ごめんなさい」

 朱音が申し訳なさそうに謝る。

「気にするな。余は何も気にしてない」

 信長はあっさりそう言ったが、梨都は明らかに意気消沈していた。


「どうしたみんな。余は今日誘ってもらって嬉しかったぞ。余が元気だと残念か?」

「そんなことないよ」

 朱音が慌てて否定する。

「お前はどうだ。隆道」

「えっ」

 信長の気合に押され、お前呼ばわりされたのに、隆道は何も言い返せない。

 力関係が逆転した。


「先ほどから、少し気に入らなそうな顔をしていたように思えてな」

 信長の目に冷酷な光が宿った。

 人の心を射抜くような視線に、平和に慣れた人にしか会ったことのない隆道が耐えられるはずがない。


「申し訳ない」

 一つ言われれば三つ返す男が、素直に謝罪した。

 気持ちが信長の視線から逃げてしまったからだ。

「よい」

 信長の返事はたった一言。

 信長の尊大な態度にも、隆道は反抗する気配も見せない。


 僕は上から四人の変化を見て驚いた。

 隆道の変化もそうだが、梨都の様子が明らかにおかしい。

 僕が心配していると。


(可哀そうなぬしを迎え入れてあげるという、ナルシズム的な気分が、突然のぬしの変化に戸惑っているだけだ)

 信長は容赦なく分析結果を述べた。

(優越感から来る同情か)

 薄々感じてはいたが、信長にはっきり言われて、さすがにへこんだ。


(こ奴らは、余が義昭めを伴って上洛したときに会った、公家どもと同じだ。まあ見ておれ)

 僕は少し興味が湧いた。

 みんなのマウントをとった信長が、これからこの飲み会にどんな嵐を巻き起こすのか、不安ながらもそれを見たい気持ちの方が強かった。


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