第46話 歓迎式典という国益を追求する場
MCTBH社の最上階には、数百人は収容可能な大規模なホールがある。
今や世界的大企業となったMCTBH社は企業活動としての業績報告に加えて、社外に向けてはSDGsを始めとする環境報告、地元住民達相手の説明会や地域イベント、報道機関向けのプレスリリース発表会、政治家や官僚向けの接待パーティー等を主宰する必要があり、そのたびに東京の外資系ホテルを貸切るのは不経済というより不便なので、自社ビルを竣工する際に設けられたものである。
窓側の壁は一面のガラスとなっており採光という機能面だけでなく、天気が良ければ南側の窓からは東京スカイツリーや東京タワーが聳える東京を臨むことができ、西側の窓からは富士山を眺めることができる、という眺望の面でも来賓たちの評価は高い。
そのホールでは、ヒロキや石田をはじめとするMCTBH社の役員達と、イギリス、ロシア、フランス、ドイツ等の欧州共同視察団との歓迎式典という名の陰険な国益の追及大会が行われていた。
『いやまったく素晴らしい技術ですね。高レベル放射性廃棄物を無害化できれば原子力発電も再び人類の主要電源の地位を取り戻すことでしょう!ヒロキ社長にはぜひダボス会議でも基調講演をしていただきいところですね!』
ヒロキの向かいで上機嫌にシャンパンのグラスを掲げるのは、フランスから派遣されてきた官僚である。グランゼコール出身らしい、いかにもキレそうな男は上機嫌を隠さないでいる。
環境保護活動が盛んな欧州でもしぶとく原子力技術を手放さなかったフランスとしては再び原子力発電の時代が来る、となれば機嫌も良くなろうというものだろう。
『どうでしょう?私はどうもMCTBH社の出すデータは信じられません。放射性廃棄物の無力化など理論的にあり得るはずはないのです。率直に言って疑わしい、としか言いようがありません』
反対に険しい表情を隠さないのはドイツから派遣されてきた女性官僚である。国策として原子力発電を破棄し、太陽光発電や風力発電等の自然電源に全政策を傾け、電力価格高騰にも耐えてきた方針の全面的な見直しと過去の政策の誤りを糾弾される政府としては機嫌の良くなりようもないだろう。
国内の自動車会社はディーゼルエンジンの偽装問題で元気がなく、電気自動車ではアメリカに先を行かれているというのに、環境政策でも後塵を拝するとなれば欧州の盟主であるドイツの国際的な地位の低下は免れない。
ここは何としてもMCTBH社のペテンを暴き、得点を稼ぎたいところだ。
『正直なところ、放射性廃棄物を完全に無害化できる、という貴社の技術には今でも半信半疑というのが我が国の立場です』
酒に酔ったのか、赤ら顔でドイツ同様に懸念を表明したのはロシアの官僚である。
ロシアで出世する人間がたかが数杯のシャンパンやカクテルで酔っぱらうはずはないので、これた酔った振りだろう。
多少強い言葉を発しても「あれは酔っていた上での言葉だった」と誤魔化す手だろうか。
ロシアとしては経済よりも安全保障上の理由で放射性廃棄物を無害化する技術には懸念を示している。
通常兵器の質でアメリカに後れを取っているロシアとしては、依然として核による報復戦略、いわゆる相互確証破壊戦略(MAD)は国防の柱の一つであるから、核の効力を弱めかねない技術には過敏に反応せざるを得ない。
ロシアの国家としての重心は依然としてモスクワの存在する西側欧州にあるとしても、アメリカにつながる東側のシベリア防衛を疎かにするわけにはいかないのだから。
どの官僚も国益を背負った海千山千の修羅場を潜り抜けたエリート達である。
その頭脳は明晰で舌鋒は鋭い。
視察団とは名ばかりの監査、もっと言えば国益を害するMCTBH社のビジネスを潰すために検察と裁判を行う気負いで送り出されてきた者たちばかりなのだから。
だが彼らの目論見は今のところ、強固な壁に跳ね返され続けていた。
一つは理論的な壁である。
MCTBH社を短期間で巨大企業に育て上げた実質的な功労者と目される石田は、官僚達の微に入り細を穿つ時にいちゃもんとしか捉えられない質問に対しても冷静に、かつ論理的に回答を返し反論の隙を与えない。
そして、より強固なもう一つの壁は、感情的な壁である。
論理で対抗できない、となれば大声を出す、因縁をつける、国家の力を背景に脅迫をする。そうした有形無形の圧力をかけることを厭わないのが欧州の国益を背負う官僚の交渉術、というものである。
だが、日本の大臣や官僚に対して通用したその手の論理の外からの交渉が、オーナー社長のヒロキという男には全く通用しない。
本国では大物政治家や軍人とも渡り合う度胸を持った凄腕の交渉術を誇る官僚たちも、なぜかヒロキの前ではグリズリーの前に素手で放り出されたような不安を覚え、どうしても体の震えを止めることができないのだ。
交渉のためには、相手の目を見つめなければならない。
しかし、その目がいけない。
ヒロキの目、その黒い穴が開いたような瞳と目を合わせると、たちまち官僚たちはガチガチと歯の根が合わなくなり、視線を反らして縮こまってしまうのだから、交渉になりようがない。
「では、とくにご質問はないようですね」
ヒロキが無関心に言い放つのに対しても、ただ俯いて頷くことしかできないのだ。
根源的な恐怖、という人類では克服できない壁に欧州の敏腕官僚たちは撤退を余儀なくされている。
ヒロキと石田がそうして欧州視察団の相手をしていると、足早にやってきた役員の一人が石田に何事かをささやいた。
「なにか?」
「大規模なサイバー攻撃です。ハッキングを試みている連中もいるようですね」
ヒロキの質問に、石田が答えた。
「わかりやすいことをするものだな」
共同視察団の訪問対応で指揮能力が落ちているところにサイバー攻撃とは、なかなか露骨な攻撃である。
「それと、ゲストが5人ほど足りないようです」
多くの人間と交渉できるよう、歓迎式典は立食パーティー形式で行われている。
自由に移動できるということは誰が席にいないのか把握できないことでもある。
視察団の中で別の任務を帯びた連中が、着替えやトイレにで人の出入りが多く、一時的に数人が抜けたところで目につきにくい、この絶好の機会を逃すはずがない。
「IDは」
「投げ捨てているか、破棄しているようですね。追跡できません」
ヒロキは肩をすくめた。
「では、彼らはゲストではないな。遠慮する必要はない、と伝えておけ」
ヒロキは黒い穴のような瞳でホールの北窓から中心に穴があるはずのクレーター状の処理施設を見下ろし、他の人間には聞き取れない低い声で呟いた。
さて。穴にたどつける者がいるか見ものだな、と。
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