第4章:グルーバル企業の取引慣行

第41話 今日も調子が良いですね

 会社設立から数年が経ち、MCTBH社は日本でも屈指の大企業へと成長していた。

 海外投資家からの豊富な資金と、地元自治体の積極的なバックアップ、それにSDG'sブームの時流に押されたおかげだ。


 MCTBH社に汚染物資や廃棄物処理取引を委託すれば、それだけでゼロエミッション達成。

 SDG'sとやらへのゴールに大きく前進する。

 今やMCTBH社は環境問題解決の旗手であり、ブランドを重視する大企業ほどMCBTH社と取引を持ちたがり、それを投資家に喧伝した。


「実際、デカくなったよなあ…」


 ヒロキは数十階層はある自社ビルの最上階に近い会議室の窓から、今ではクレーターのように緩い直径数キロの円錐形に彫り込まれた穴と周辺施設を見下ろしながら感慨に耽った。


 ほんの数年前まで、ここはヒロキが買い取った中古住宅兼リサイクルショップと、耕作放棄地と荒れ地だけの土地だった。

 それが今では世界の産業構造の下流を占める静脈系とでも呼ぶべき物流の一大中心地となっている。

 全ての道はローマに通ず、ならぬ、全てのゴミはMCBTH社に通ずとで言うべきだろうか。


『社長、定例会議のほう、進めてもよろしいでしょうか』


『ああ、頼む』


 専務取締役の石田が集中力の欠けたヒロキに注意を促した。

 お飾りのオーナー社長といえども、経営会議の席では役員たちの手前、しゃんとしろ、ということだろう。


 壁の一面がガラス窓で天井が高くとられた明るく広い会議室には、巨大企業となったMCTBH社の役員達が席を並べていた。

 今や世界中の企業から廃棄物処理を受け持つMCTBH社を支える役員たちは多士済々。

 グリーン企業としてブランディング構築してきた甲斐あってか、人材も世界中から高い志に燃える有能な人材達が集まっている。


『今クォーターのMCTBH社の業績は昨年度と比較して35%の成長を達成しています。主要因としては南米市場での物流網展開が進んだことにより熱帯雨林の開拓に頼る形の貧困層への経済支援を、2次産業である鉱山開発へと繋げることで廃棄物を引き取るサイクルへと組み込めるようになり…』


 世界中の人材を集めてグローバル企業となったため、経営会議は当然のように英語で議論される。

 ヒロキもさすがに勉強せざるを得ず、地頭も悪くなかったので今では普通に話せるし理解もできるようになった。


 それでも、ヒロキの意識と視線は穴があるはずの場所へと引き付けられる。


 ヒロキの放心を余所に、経営会議では「地球を環境汚染の危機から救うために如何にすべきか」が役員を中心に熱く議論され、各役員は己の有能さと勤勉さが正しく評価されたことに満足して終わった。


 ★ ★ ★ ★ ★


 会議室から役員がぞろぞろと出て行くのを見守り、しばらくしてヒロキは石田に声をかけた。


「みんな帰った?」


「ええ」


「じゃあ、報告から始めてもらうかな」


 表の経営会議が終われば、今度は裏の会議の時間である。


 ヒロキとしては複雑な意思決定会議を別に作るようなことはしたくないのだが、新しく加わってまだ日が浅い役員達は純粋な志に燃えていたり他社やファンドの息がかかっている可能性もあってやや信用しきれない、と石田に力説されてしまえば否定する材料はない。


 理屈の上では石田がヒロキを他の役員達の情報から引きはがして傀儡化を企んでいる、と言えなくもなかったが―――実際そのようにご注進してくる社員もいた―――ヒロキとしては石田の好きにしたらいい、と鷹揚に構えている。


「まず、現職の知事が選挙資金で応援を求めています」


「あー、ええと誰だっけ。バーコードみたいな頭した脂ぎった人」


油井あぶらい知事ですね。弊社が資金提供するようになってからは環境擁護派で通っています」


「ふーん。そういうわかりやすいの嫌いじゃないよ。いいんじゃない?」


「わかりました。秘書に連絡をしておきます」


 MCTBH社がファンドからの出資を検討する、と表明してからは地元政界の対応は明らかに変わった。

 せっかく地元で有望な企業が育ってきたのに外資に乗っ取られたり外国へ出て行かれたりしては堪らない、と経済界や選挙民からの突き上げを受けたのだろう。

 実際には海外へ転出することは不可能なのだが、交渉の技術として匂わせるのは自由だし、それを相手が勘違いするのも自由である。


「いろいろと、これから手伝ってもらうしね」


「そうですね。これからも役立ってもらいませんと」


 それまで滞っていた許認可や土地買収の手続きが驚くほどスムーズに進むようになり、環境保護団体や地場のヤクザからの嫌がらせは消えた。

 支援者からの資金が途絶えたからだろう。


 彼らもプロなので金の切れ目が縁の切れ目。

 金にならない仕事はしない、という意味ではわかりやすい。

 それは同時に荒事担当ヒロキの出番もなくなった、ということではあるのだけれど、穴の近くで過ごせる時間が増えたことは悪くなかった。


 経済的に好影響があったのは地元だけではなかった。

 むしろ日本全体でみるとより顕著な好影響をMCTBH社は日本経済に与えていた。


 製造業や化学工場の日本国内への回帰。

 いわゆるリターン・トゥ・ジャパンを後押ししたのである。


 MCTBH社ができて格安で廃棄物処理ができるようになり、化学工業や製造業などの廃棄物や廃液処理を必要とする第二次産業のコストが大幅に低減した。


 現在は暫定的に原子力発電の核燃料廃棄物を受け入れており、負の遺産を清算できる見込みの立った電力会社の株は急騰し、一方で電力価格は低値で安定するようになった。


 幸いとは言えないが長引く不況で通貨が安く人件費も低下していたことで、日本は先進国でありながら他の途上国と第二次産業で競争ができる国になっていたのである。


「地元の税収はうなぎ上り。周辺の工場で雇用も増えた。まあ文句はないだろうね」


「全くです」


 窓辺に立てば、クレーターのようになってパイプやコンベアが中心に向かう施設群を見下ろすことができる。


「今日も調子は良さそうですね」


「ああ」


 石田の問いかけは、ヒロキの体調を慮ってのことではない。

 ヒロキが、これ以上ないほど健康であることは石田にもわかっている。


 石田が気にしたのは、数百本の廃液パイプやコンベアを通じて廃液や廃棄物が運び込まれ続けている、中心ドームに隠された、あの穴。


 今では「ザ・ホール」と呼ばれている穴の廃棄物処理についてだろう。

 世界経済にとって欠かせない存在となったザ・ホールは、人知れず拡大し続けている。

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