第40話 黒い小さな穴
フェルナンドは海岸で1時間ほど待機し、後続の捜索班の隊長達と合流した。
予め無線でざっと状況を説明してあったので、精鋭らしく無駄な行動はせず直ぐに追跡に移るようだ。
「
「いえ、行きます」
どちらかと言えばインドア派であったフェルナンドは、なぜ自分が危険な場所に同行しようとするのか不思議だった。
ただ、そのときは何故か密林の奥へ向かわなければならない、という言い知れぬ衝動に駆られたのだ。
隊長は無線で何度か先行する偵察2人に連絡を取ろうとしていたが、地形の関係か不調らしい。
「
「ご案内します」
フェルナンドの先導で村の死体跡と引きずられた痕跡に着く。
何度見ても不可解な光景だ。
到着した隊員たちが舐めるような視線で調査する。
「引きずられていったのはわかる。だが足跡がないのは妙だ」
「先の兵士達も同じことを言っていました。足跡をうまく消したのでは、と」
「それはあり得る。だが、それだけの練度の兵士がゲリラ側にいるとは考えにくい。それも8人も。まるで…」
隊長は唐突に言葉を切った。
しかしフェルナンドの耳には「まるで死体が自分で這いずって行ったような」という声にならなかった声が聞こえた。
フェルナンドは、頭をはっきりさせようとかぶりを振った。
まったく、自分はどうかしている。
「追うぞ」
隊長の力強い命令に兵士とフェルナンドは黙ってうなずいた。
★ ★ ★ ★
凄腕のゲリラを追うという、難航すると思われた追跡は思いのほか簡単だった。
ゲリラが密林の中で死体を引きずり続けていたせいで、全く痕跡を消せていなかったからだ。
「足跡を消せるだけの腕があるのに、死体を引きずる跡は消さないのか…」
「なんともアンバランスな連中ですね」
そう、全く不自然だ。
我々はいったい、何を追っているのだろう。
この連中は、本当にゲリラなのだろうか?
やがて、その疑惑が頂点に達する出来事があった。
密林の木の根に、人の爪、が剥がれて刺さっているのを兵士が発見したのである。
「
爪の色。形。これには見覚えがある。
「人の、成人の爪です。第二指。いわゆる|人差し指(インデックスフィンガー)の爪だと思われます。なにか物凄い力が加わって剥がれたようですね」
「剥がされた?とか」
「いえ。それであれば木の根に突き刺さっていた説明がつきません」
「死後硬直して曲がっていた指が木の根に引っかかったのを、無理やり剥がしたとか」
「…考えられなくはありません、が…」
やはり死体は自らの力で這いずり回っているのではないか。
そして木の根を掴んだ拍子に爪が剥がれたのでは。
フェルナンドは口にしなかったが、もはやそれは彼だけの妄想とは言い難かった。
兵士達も口にこそしないが、怖れと怯えの気配を醸し出している。
太陽は高く昇っているはずだったが、濃い植生に覆われた密林はどこまでも薄暗かった。
遠くで縄張りを侵された猿が侵入者へ警告する声を上げているのが聞こえた。
★ ★ ★ ★ ★
這いずった相手などすぐに追いつける、という当初の楽観的な目論見は既に崩壊していた。
密林の中を奴らは驚くほどの速さで移動し続けている。
密林の薄暗さと疲労でだんだんと時間感覚が失われていく。
隊員達は黙りこくり、ただ淡々と周囲を警戒し、跡を追っていく。
フェルナンドは黙って落伍しないようついていくのが精一杯だった。
やがて追跡隊は、ぽっかりと密林の中に開けた地形に出た。
火事や嵐などで樹冠を覆う大木が倒れると、一時的に太陽が地面に降り注ぐ小さな平地ができることがある。
フェルナンドは円形に切り取られた狭い空を見上げて太陽が傾き始めていることを知った。
「よし。ここで休止する」
ようやく休憩できる。
厳しい実戦で鍛えられた隊員達も不可解な現象の連続に精神的疲労は隠せなかったのか、安堵の表情を浮かべた。
フェルナンドのように訓練されていない人間にとっては、密林で先が見通せないことは大変なストレスになる。
やはりキャンプに残った方が良かったか。
フェルナンドはボンヤリとしながら、平地の光景を眺めた。
最近できたばかりらしい平地には、短い草と背の低い木がまばらに生えている。
それにしても変わった木だ。
二又なのか、二本一緒に似たような木が薄暗くなり始めた平地のそこここに生えている。
「うん?」
いや。あれは木、なのだろうか。
疲労でぼやけていた焦点が合って来るにつれ、それは全く「木」ではないことがわかってくる。
ただ、フェルナンドの精神には受け入れられないことが起きている。
「あっ、あ…」
「医師、どうしました?」
様子のおかしいフェルナンドを心配して、兵士の1人が声をかけてきた。
フェルナンドは「木」ではないものを震えて指さすことしかできない。
「あれがどうかしたんですか?あの木が…」
兵士は絶句し、そして叫んだ。
「なんてこった!!あれは、人間の足だ!!」
そうだ、人間の足だ。
フェルナンドは無言で脳内で繰り返した。
人間の足だけが地面から木のように生えている。
この平地全体に、何本も何十本も、ずらりと、たくさん、生えている。
その全てが人間の足だ。
大きな大人の足もある。
小さな子供の足もある。
女性の華奢な足もある。
年寄りの皺のよった足もある。
白人の足も。
黒人の足も。
シンハラ人の足も。
タミル人の足も。
ありとあらゆる人間の足が。
「うっ、うげえっ」
胃の奥からこみ上げてくる不快感に耐えられず、フェルナンドは吐いた。
冒涜的で退廃的な何かが神経を痛めつけ、正気を保つことを難しくさせる。
「こ、これは…」
鍛えられた隊員たちはフェルナンドのように無様に吐き散らすことはなかったが、それでも銃を抱えて固まっていた。
なかには目を瞑りひたすら祈りを唱えている隊員もいる。
「う、動いている!生きてるんだっ!」
兵士の一人が怯えた声を上げ、フェルナンドも吐き気の治まらぬ視線を上げた。
もしも埋められた人が生きているのならば、自分が救わなければいけない。
「うっぷ…どの人、ですか?」
フェルナンドは吐き気に堪えて無理やり目を凝らした。
「ぜ、全部だ。全部の足が動いてるんだ!」
「そんな馬鹿な…」
だが、事実だった。
全ての天に向けられた足が、わずかに動いている。
そしてよく見みれば、足達の並びには奇妙な規則性があった。
足は平地全体で大きな円を描き、そしてつま先は円の外側を向いている。
「うん?なんだ?」
そして、時折、足の近くから泥が吹き出される。
いや、投げ出されていた。
そうすると天に向かう足が少し沈むのだ。
「まさか…掘っている…のか?」
「ばか、な…」
少しの時間、神経がヤスリにかけられるような苦痛に耐えて見守っていると、全ての足が同じ運動をしているように見えた。
全く常識では考えられないことだが、この異常な儀式の空間では死体が逆さまになり地面を掘り続けている、としか考えられなかった。
真っ直ぐに地下へ頭を向けて、全ての死体が円を描くように、巨大な穴を掘ろうとしている。
何十人もの死体が、一心不乱に地面を掘り続け、やがて天を向いた足の幾つかは地面に埋まろうとしている。
「お、おい!あの足は軍靴を履いているぞ!」
「先行した連中じゃないのか!?」
目の良い兵士が平地の反対側に軍靴を履いたままの足を発見した。
穴を掘り始めて比較的時間が経っていないからか、地面に出ている部分の足は大きい。
「くそっ、今助けるぞ!」
「待ってください、防護服なしでは!」
「医師はそこで待機していてください!
フェルナンドの制止も待たず、兵士達は平地を横断して真っ直ぐに軍靴を履いたまま地に埋まった同僚の救助に向かった。
天に足を向けた円の真ん中を横切って。
消失は唐突だった。
「うわっ」
「えっ」
全ての兵士達が円の真ん中を通った瞬間、彼らは永遠に消えた。
衝突音も、落下音もなく。
鍛えられた技能も、装備も、チームワークも全く役に立つことはなく。
ただ、落下し、消えた。
「あ、ああっ…」
やがて平地に大きく円を描いていた足はうぞうぞと動き始め、互いに近づき、縮まり、小さくなり…あとには小さな、黒く闇のような、穴だけが残った。
全てが消えて、虚ろな目をしたフェルナンドだけが残された。
そして医師であったものは、ふらふらと立ち上がると、周囲の泥を両手で掬い、穴の中に投げ込み始めた。
正気を失った医師は、その狂気に冒された意識の中で「ギィッ」と穴の中から声を聞いたように感じた。
★ ★ ★ ★ ★
優秀なSBS隊員と医師を失ったスリランカ軍は封鎖した上でナパームで漁村を焼き払い、全ての証拠を隠滅して当該地域での活動を断念した。
平地にはすぐに密林の豊富な植物群が天井を覆うように生えそろい、小さな穴が発見されることはなかった。
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