第39話 黒い密林の奥へ
夜中にSBSの兵舎テントから兵士がいなくなった。
原因や理由は不明。
しかし現在の状況を考えれば候補は2つしかない。
敵による襲撃か、あるいは脱走か。
どちらにしても深刻な問題である。
同じテントで寝ていた同僚も基地の見張りも件の兵士が出て行ったのには気がつかなかった、と証言している。
「襲撃であれば相当の凄腕だ。もしも脱走であればSBSの訓練を受けた精鋭だからな。本気になって身を隠せば発見は難しいだろう」
隊長は苦虫を嚙み潰したような表情で、襲撃者、あるいは脱走者の技能を賞した。
「…それで、どうされますか?」
フェルナンドの問いに隊長は数秒だけ考える様子を見せた後で、決断した。
「隊を二手に分ける!捜索班と調査班。捜索班は私が指揮を執る!捜索班の人員は4名。調査班は3名、指揮はフェルナンド医師にお願いしたい」
「え!?わ、私は軍を指揮したことなどありませんが…」
狼狽えるフェルナンドに隊長は重ねて要請した。
「医療調査であればフェルナンド医師の他に適任はおりません。隊員の捜索は今日1日で打ち切ります。今日だけお願いしたい」
「…まあ、そういうことであれば」
歴戦の軍人である隊長に逆らうことはできず、不承不承フェルナンドは調査班の隊長を引き受けることにした。
「3人で調査、ね」
うち兵士2人は警戒に当たるだろうから、実質1人での調査だ。
「まあいつもの通りにやるしかないか」
幸い、サンプルとなる患者の遺体は村の目立つところに並べてある。
1人でも何とかなるだろう。
フェルナンドと兵士2人は昨日と同じように全身防護服を着こみ二重の手袋と長靴を履く。
まだ早朝だというのに南国の暑さが堪える。
強いて良い点をあげるなら人数が少なくなった分だけ防護服のチェックは短時間で済む。
それと移動がゴムボート1隻で済むのも身軽で良い。
「こんなことになるならヘリで来れば良かったかなあ」
海上をゴムボートで移動しながら、フェルナンドはぼやいた。
調査班が1隻のゴムボートだけ、というのはいかにも心細い。
ヘリで来ていれば、捜索にも使えたかもしれないのだが。
「そうなると揚陸艦でなくヘリ甲板のある哨戒艦かヘリ基地建設が必要になりますね」
調査班の兵士の一人が軍事に疎いフェルナンド案の穴を指摘する。
「うーん…そうか。じゃあドローンとかで捜索はできないのかい?海軍もテストはしているんだろう?」
兵士は笑った。
「あれはまだ玩具です。いちおう試験的に積んでいますが、飛行時間は1時間もありません。上から見ても密林では視界も通りませんから沿岸捜索用ですね。悪天候にも弱いです。スコール、タイフーンでも飛ばせません。ああ、釣りのポイントを探すには便利ですよ」
「なかなかうまく行かないものだね」
軍事の素人が思い付きでうまく行くほど現場は甘くないらしい。
話しているうちに、覚えのある砂州が見えてきた。
そこを回れば調査地の漁村が視界に入る。
思いつき軍師でなく、専門の医療で役に立つことにしよう。
フェルナンドは兵士の先導で昨日と同じ海岸から上陸した。
「…なんだ?」
そして、すぐに昨日と同じでない村の状況に否応にも気づかされる。
死体が、ない。
昨日、村の見えるところに並べておいた死体が一体もなくなっている。
「津波か何かでさらわれた、とか…?」
「いえ、村の
周囲を見渡した兵士が注意を促す。
カチャリ、と兵士が構えたライフルの安全装置を外す音が聞こえた。
周囲の警戒は兵士に任せてフェルナンドは死体があった場所にしゃがみこむ。
「…どういうことだ?」
ことさら観察するまでもなく、何か重いものを引きずって行ったような跡を地面に発見できた。
そして8体全てが、同じ方向に、つまり密林の奥に向かっている。
兵士達に発見を知らせると、1人が周囲警戒、も1人が腹這いになって観察を始めた。
「うつぶせのまま引きずられていますね…変だな、足跡がない」
「引きずった跡で消されているとか」
「いや、普通は周囲に足跡が残るものですが…よっぽど上手く足跡を消したのかな」
あるいは、まるで死体が自分で這いずって行ったような…。
そう言いかけて、兵士は思わず頭に浮かんだ妄想を振り払った。
それにしても、死体が全てなくなるとは…。
フェルナンドの現地調査は思わぬ形でスタートする前から挫折してしまった。
★ ★ ★ ★
一方で、捜索隊は海岸のベースキャンプを中心に密林の中を扇状に捜索を始めた。
2人ずつの2班でカバーできる範囲ではないが、ベースキャンプを設営している海軍の兵士達は密林を移動、戦闘する訓練を受けていない。
無理に動員すれば二重遭難の危険がある上に、もしもSBSの隊員を攫うほどの凄腕がゲリラにいるのであれば格好の的になる。
「シルバの奴を攫ったとなると、ゲリラの奴等もかなりの凄腕ですね。まるで跡を残していない」
「ああ。全くだ。血の跡も見つからねえ。まさか海にでも投げ捨てたか?」
「こんな遠浅の砂浜でか?すぐにキャンプの海軍連中に見つかるし、朝にあれば浜に流れ着いてるさ」
「…じゃあ、まさか裏切って脱走したとか」
思わず、誰もが疑い口には出さなかった疑念を兵士1人が口にした。
状況から照らし合わせて合理的な帰結としてはそうなる。
「私は隊の兵士達を信頼している。脱走などあり得んことだ。下らんことを言うな!」
そんな兵士達のお喋りを隊長は一喝した。
兵士達はまた無言で捜索に移る。
そうして内陸部の調査を再開したところ、捜索班は思わぬものを発見する。
「こいつは…なんてこった…」
★ ★ ★ ★ ★
現地調査を諦めるか。それとも引きずられた死体の跡を追うか。
判断に悩むフェルナンドに兵士から無線が差し出された。
「捜索隊から無線が入ってます」
「内容は?」
「揚陸された軍用ゴムボートを発見。わが軍のものに非ず、と」
スリランカ軍のものでない軍用ゴムボートを発見とは穏やかではない。
我々以外にも上陸した軍がいることになる。
「どこの軍だろう?」
「不明だそうです。それに銃と銃弾、薬莢も発見。戦闘の跡があり、と」
「発見された銃の種類は?」
別の兵士が質問をした。
そうか。銃の種類で兵士の所属に見当をつけられるのか。
「M4だそうです。錆具合からして、ごく最近のものかと」
「くそっ…なんてこった!」
なにかM4という銃だとまずいことがあるのだろうか。
舌打ちした兵士に説明を求める。
「貧乏な海賊ならAKを使ってます。M4となると金持ちの密輸団か、もしくは近隣の軍隊の可能性もあります…」
近隣の軍隊。
スリランカの近隣国というと、1つしかない。
「まさかインド軍の軍事支援か?やはり北部に軍需物資を送っていたのか?」
「それはわかりませんが…」
インドのように広大な国家となると一枚岩ではない。
南部インドの有力者にタミル人系がいてタミル人の独立運動を支援している、という噂だけは内戦時からあった。
「となると、例の死体にBC兵器が使われた、という噂もあながち嘘ではないかもしれません。あんな死体の状態は見たことがない」
あの真っ黒になった死体は病気ではなく未知の生物兵器や化学兵器だったのかもしれない、という仮説は俄然説得力を増した。
死体が腐敗していなかった理由も化学兵器による殺菌作用が働いたと考えれば合理的に解釈できる。
死体を引きずって行ったのも、おそらくは国際条約違反の兵器使用を隠そうとしたためだろう、と兵士は言う。
「しかし同じタミル人にそんな非人道的なことをするだろうか?」
「
「…いやな話だね」
終結から20年は経つというのに、またも内戦の記憶がシンハラ人とタミル人を分断している。
「ですが死体を少なくとも1人分は回収したいですね。証拠があれば奴らの戦争犯罪を証明できる」
「…だけど8人の死体を引きずって行ったとなると、少なくとも相手は8人よりもっと多いことになるよ。こっちの人数は少なすぎないかい?」
フェルナンドが懸念を示すと、兵士達は防護服とマスクの下で笑ったようだった。
「俺達を誰だと思ってるんです?泣く子も黙るSBSですよ。ゲリラの10人程度、2人もいれば楽勝です」
「とりあえず偵察だけしてきます。死体を燃やされでもしたら証拠がなくなっちまいますからね。医師(ドクター)は海岸のゴムボートのあたりに隠れて待って捜索班と合流してください」
「…わかった。気を付けて」
ぎこちなく敬礼すると、2人の兵士は鮮やかに答礼を返し密林の奥へ音もなく消えて行った。
そして、それがフェルナンドが2人の兵士を見た最後の姿となった。
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