第38話 黒く温かい夢

 フェルナンド達の偵察隊がベースキャンプ建設へ往路と同じようにゴムボートで戻ると、上陸した兵士達の手でかなり本格的な基地が建設されているのが海上からも見えた。


 いくつものコンテナが揚陸されて、展開式の大型テントの兵舎、通信施設のパラボラアンテナが建てられている。

 周囲には簡単な塹壕が掘られて有刺鉄線で囲まれ、土嚢が積み上げられた機関銃座まで配置されていた。


「物々しいね」


「北部はいまだに反政府勢力のゲリラがいてもおかしくない土地ですからね。いざとなれば沖合の艦から砲撃支援があります」


「ゲリラか…この土地は内戦の影響が未だにあるんだね…」


「首都や南部とは違いますよ」


 思わずフェルナンドが振り向くほど強い口調で吐き捨てた兵士の表情は、全身防護服とマスクのせいでよく見えなかった。


 ★ ★ ★ ★ ★


 ベースキャンプが設営されて良かったのは、防疫体制が強化できたことだ。


 設営された海水と殺菌剤の高圧シャワーで、まずは防護服ごと全身を洗う。

 自分だけでは洗いきれないので、相互にシャワーも掛け合う。


「うー…冷てえ!」


「直接シャワー浴びたいですね、先生」


「もう少しの我慢だよ」


 赤道近くの暑い日差しで火照った服が冷やされて気持ちがいい。

 そして排水はそのまま海へ流すわけにもいかないので、砂浜に掘った穴に流しいれて殺菌剤を多めに放り込むことにした。

 最終的に結局は海に捨てるのだけれど、そのまま直に捨てるよりはマシだ。


 慎重に二重の手袋と長靴を外し、全身防護服を脱いだら、貴重な真水と殺菌剤のプールに漬ける。


「装備は使いまわしですか、先生」


「まあね。もう少し時間と予算があって防護服の数を手配出来たら使い捨てにもできたんだけどね。うちはアメリカ軍や中国軍じゃないから」


 全身防護服の取り扱いマニュアルには圧力試験を実施した上で気密が保たれていれば再使用可能、とある。

 ベースキャンプの設備で圧力試験はできないので、水に沈めて泡がでない、水から揚げて水が漏れてこなければOK、という運用をせざるを得ないだろう。

 首都の院長が追加の服の手配を進めてくれているといいのだけれど。


 実際、水に沈めてみると幾つかの手袋には傷が見つかった。

 銃器やボートの機器を操作した際についたものだろう。

 幸い、手袋には数があるので交換はできる。


 長靴は一部の靴に汚れがあったが、穴は開いてないことも確認した。

 何とか、明日も調査は継続できそうだ。


 南国の日差しと海風で防護服はあっという間に乾いた。


 ★ ★ ★ ★ ★


 ベースキャンプは、フェルナンド達の偵察班と基地の兵士で完全に別区画として生活の導線が交わらないよう建設してある。

 具体的には、水場、食事場所、テント、トイレまで別だ。

 そして基本の会話は無線を通す、という徹底ぶりだ。


 これは船内でフェルナンドが具申して取り決めた通りであるが、慣れない状況に基地の兵士達の表情は硬い。


 一方で偵察班のSBSの兵士達はさすが精鋭の特殊部隊だけあって、テントがあるだけでありがたい、とか、温かい食事に文句などない、と気楽に構えてくつろいでいる。


「このあたりは基地設営の連中が怖がって殺菌剤や殺虫剤をたっぷり撒いてくれたみたいですからね。先生も今夜はぐっすり眠れますよ」


「待ってくれ。殺菌剤はともかく、殺虫剤を撒いただって?」


 セイロン島には独自の貴重な動植物が多く、欧米観光客を当てにしたエコツーリズムも盛んになっている。

 そこへ多量の殺虫剤を撒くなんて…


「いや先生、殺虫剤撒かずにジャングルキャンプなんて正気じゃないぜ。テントにムカデ、ヒル、蚊、アブ…ありとあらゆる刺したり吸血する虫が入って来て眠れないからな?」


「…そうなの?」


「ああ。欧米観光客連中が有難がって泊まるエコキャンプ地だって、綺麗に草を刈って水溜まりは埋めて、周りに殺虫剤をしっかり撒いてあるからな。弟がキャンプ地の運営やってて、儲かるけど手間がかかるって愚痴ってたよ」


「そうか…まあそういうものかもね」


 人は結局管理されて不愉快な要素が取り除かれた自然が好きなのかもしれない。

 それを自然と呼べるのか?という議論は金持ちで暇なエコ好きに任せればいい。


「ゲリラを追撃するときなんか、最悪ですよ。灯りも使えない、火も炊けない、香りがつくのもダメだから無香料の殺虫剤を肌に塗りこんで何日もジャングルの中を追跡する…水も切れるんで帽子にスコールを溜めて浄水剤を入れて飲む…飯は不味くて冷たいレーションだけ…それに比べりゃあ、ここは天国ですよ!何しろ、クソをビニールに貯めなくてすむ!」


「違いねえ!」


 大声で談笑する兵士達は実に頼もしい。


 陽が沈むと、特にやることはないのでテントへひきとらせてもらった。

 夜間の監視任務に素人が混じったところで邪魔になるだけだ。

 それならば明日以降の任務の見直しをしていた方がいい。


 個人用のテントは案外快適で、フェルナンドは直ぐに眠りに落ちた。


 そして、夢を見た。


 なにか、黒く、温かい場所の夢を。


 ★ ★ ★ ★ ★


 明け方、かなり早い時間にフェルナンドは目を覚ました。


「…なんだ?」


 基地の中がざわついている気配がする。


 テントを出ると厳しい顔をしたSBSの隊長と目が合った。


「兵士が1人、いなくなった」


「え?ひょっとして艦に戻ってたりするんじゃないですか?」


 ベースキャンプと艦の間は物資運搬の必要もあって兵士達は往復している。

 艦の冷房目当てに夜を艦で過ごそうというちゃっかりした兵士が1人ぐらいいてもおかしくない。


「いや、いなくなったのは隊の兵士だ。そうしたことは考えられない」


「SBSの…そうですよね」


 昨晩に話した隊の兵士達の様子を思い出してみても、この環境を苦にしている様子はなかった。


 となると、事故か。あるいは敵の攻撃か。


「敵…」


 ベースキャンプ地の直ぐ傍にある密林から今にも攻撃がありそうな錯覚に襲われる。


 東の水平線から美しく暖かい太陽が昇ってくるのとは裏腹に、フェルナンドは我知らず膝が震え、背筋を冷たい汗が流れるのを感じた。

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