第37話 黒い指のかたち

 翌朝になって、艦は漁村の沖に着いたらしい。

 気がつけばエンジン音は止んで船室から見える島の景色に変化がなくなっていた。


 海風に吹かれる甲板に出てみると軍人達がゴムボートや機材を引っ張り出して上陸の準備をしている。


「ここは…は写真の場所ではないみたいだけど」


 フェルナンドも眺めてみたが、白い砂浜と椰子の木しか見えない。


「ここに上陸するんですか?村は見えませんが…?」


 たまたま近くにいて質問に答えてくれた軍人によれば、少し離れた場所に上陸してベースキャンプを築いた後で村に向かう計画だという。


「情報が罠で襲撃の可能性も残っておりますから」


 と答える軍人の表情は厳しかった。

 やはりここは敵地という感覚なのだろう。


 あとで彼がSBS(スペシャルボートスコードロン)と呼ばれる海軍の精鋭特殊部隊の一員である、と知った。


 ★ ★ ★ ★ ★


 フェルナンドは志願して偵察隊に加わった。


 部隊の隊長は渋っていたが「遺体の状態を医学的に確かめられるのは自分だけだ」と説き伏せた。


 軍人たちは伝染病に関しては素人である。

 念のため船内でレクチャーを行いはしたが、どれだけ現場で使えるのはわからない。


「まずは偵察員全員にこれを着てもらいます」


 大学病院でかき集めて持ち込んだ貴重な全身防護服とN95マスク、ラテックスの手袋に長靴。

 スリランカ全土でも数は少ないため調達は難しく、今の手元には全部で8セットしかない。

 さらにサンプル収集の機材や、軍人は銃器も携帯する必要がある。


 炎天下、防護服の全身装備で密林を徒歩で抜けるのは非現実的なため、海岸沿いにゴムボート3隻に分かれて移動し上陸することとなった。


 小さな砂州を超えたところで、村が見えてきた。


 そして海岸に転々と倒れている遺体も。

 写真の情報は本当だった。


「…黒い、な」


 遺体を目にしたフェルナンドは思わずつぶやいていた。


 ★ ★ ★ ★ ★


 上陸前に改めて隊員同士で互いの全身防護服の状態をチェックする。

 気密が破れていれば、上陸はできない。


 ざぶん、と遠浅の砂浜に降り立った軍人達は鍛えられた動きで散開し、周辺警戒行動へ移った。


 そしてフェルナンドは慎重に近くの黒い遺体へと向かう。


 粗末なTシャツを着た大柄な遺体はうつぶせになっていて顔は見えない。

 右手を伸ばし砂を掴んだままの姿勢で息絶えている。


「臭くない、な」


 情報が正しければ、この遺体は死後数週間は経過していることになる。

 その間、ずっと葬られることもなく炎天下に放置されていたわけであるから、フェルナンドは遺体が腐敗した酷い状態であることを覚悟していたのだが。

 N95マスクは確かに高性能だが、見た目でも腐敗が進行していないように見える。


 何かの条件がたまたま合致して腐敗が進まなかった、ということがあるのだろうか。

 あるいは、この遺体となった人ははごく最近まで生存しており、写真に写った遺体とは別の存在と言うこともあり得る。


 ならば、村内に生存者がいる可能性もある。


 フェルナンドが無線で隊長を呼ぶと、直ぐに返信があった。


「どうした」


「遺体の状態が新しすぎるように思います。腐敗が進行していません。村内に生存者がいるかも」


「わかった。どうすればいい」


 隊長の判断は早い。

 頼もしく感じながら、フェルナンドは要請と注意を告げた。


「大声で呼んで生存者がいないか呼びかけてください。ただし村の中のものには一切触らないように」


「了解した。部隊にタミル系の者がいる。タミル語で呼びかけさせよう」


「お願いします」


 30分後、村の中で新たに5体の黒い遺体が発見され、海岸にあった遺体と合わせると全部で8体になった。

 フェルナンドがサンプルを取るのと並行し遺体を海岸に並べて全身を観察すると、幾つか奇妙な点があった。


「…どの遺体も腐敗していませんね」


「ああ。それに数が少ない。名簿が確かなら村に30人は住んでいるはずだ。家の数から見ても、そのぐらいはいないとおかしい」


「年齢と性別も偏りがありますね。ここにある遺体は壮年の男だけです。女子供や老人はどこに行ったんでしょう?」


「…逃げたのかもしれんな。あるいは隠れているのかも」


「隠れるって、いったいどこに…」


「こうした小さな北部の村は反政府軍の抵抗拠点として使われることもあった。その際に村の戦えない女子供や老人は避難所と呼ばれる場所へ逃げて男達の帰りを待つことになっている。時には何週間も…」


 隊長は村の背後にある分厚い密林を鋭く見透かすように睨んだ。


「では、今すぐ探すことは無理でしょう。一度、ベースキャンプに戻りましょう」


「そうだな。この忌々しい服を着たままで密林に踏み込むわけにはいかん。虫に刺されることはなさそうなのは救いだかな」


 隊長は全身防護服をくさした後で、愉快そうに笑った。


「それで遺体はどうする?」


「心苦しいですが、このまま置いて行きます。キャンプにはこれだけの数の遺体を滅菌して置いておけるだけの設備はありませんし。まずはサンプルを分析します」


 遺体を持ち込んで、万が一にもキャンプを汚染するわけにはいかない。


 そのとき「ウワッ!」と誰かの叫び声が無線で入った。


「どうした!」


「いえ、今、死体に足を掴まれたような気がして…気のせいです!」


「死後硬直、というやつかもしれんな。他の隊員は長靴を点検しろ。服にも穴は開いていないか!」


 隊長が隊員全員にあらためて全身防護服の気密状況を相互チェックさせる。


「大丈夫です。開いていません!」


「よし!気をつけろ!」


「申し訳ありません!」


 どやされる切っ掛けを作った隊員はだけで済んだ幸運を感謝した。

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