第42話 穴の研究報告を受ける
石田の報告は続いた。
「それで、穴の調子はどうかな」
「はい。穴の現状について報告します」
実は、数年前から石田の希望通りに穴の研究を始めている。
研究に従事する人員は石田と石田が特別に選んだ部下が数名。
いずれも社が産学連携ベンチャーの零細企業であった頃からの生え抜き社員達だ。
社内の極秘プロジェクトであり、信用できる者達だけで構成されている。
これまで穴の研究を表向きには禁止していたヒロキが方針を転換したのには理由がある。
3年ほど前に、一時的に穴の処理能力が落ちたときがあったのだ。
原因は不明。
あの時は緊急停止ブザーが鳴り響き、溢れた廃液と搬入ラインに詰まったドラム缶からこぼれた廃棄物で穴を囲むコンクリート建築物内は地獄のような様相を呈することになったものだ。
役立たずだったモニタリングポストも異常値を示して外にデータを垂れ流してしまい、押し寄せた監督官庁や環境団体、地元有力者団体の有象無象を相手にヒロキと石田は後処理に苦労を強いられたのは苦い記憶である。
ある日、理由もなくできたものであれば、理由もなく消えることもある。
当たり前の事実を突きつけられて、さすがのヒロキも穴の現状を把握する必要性に同意したのだった。
しかし研究の進度ははかばかしくない。
「現在の穴の直径は約10メートル。変化はないように見えます」
「約、ね。それと見えます、か」
卑しくも大企業に所属する研究員から上がってくる報告としては、頼りない主観的な報告にヒロキは苦笑した。
「仕方ありません。現状の計測器では穴の正確な直径が測れないのですから」
石田も悔しさを隠せない表情で現状を追認する。
穴を見ることはできるし、周囲の物体から大きさを推測することは出来る。
しかしレーザー等で穴を正確に計測しようとすると屈折で数値がおかしくなる現象が起きる、という。
穴から放出されるガスや大気などが計測されない以上、光が空気中で屈折する理由の仮説は限られる。
「空間が屈折している可能性があります」
というのが研究員の仮説だそうだ。
空間の屈折は一般に大質量によってしか起こらない。
とはいえ、それは太陽の数倍というレベルの大質量の話であって、地球上で起きるとは考えにくい現象であるが。
おまけに、比較的トレースしやすい穴の直径というデータさえも大きくなる一方と見せて、小さくなることもあるのだから手に負えない。
「1日の単位でも大きくなったり、小さくなったりしています。時系列で見れば大きくなっていることは間違いないのですが」
主観で相対的に推定された穴の大きさグラフは、地震波、あるいは株価のようにギザギザで細かく上下しながら傾向としては上昇を示しているように見える。
あるいは、まるで生き物の呼吸や心臓の脈のように。
「まあ・・・そうだね」
元々は自宅の庭の片隅にあった数十センチ程度の穴だったのだから、大きくなっていることは間違いない。
「そして放り込まれた廃棄物や廃液の質量と穴の直径には弱い相関が見られます」
たくさん廃棄物を放り込んだのだから大きくなっても不思議はない。
とはいえ、放り込んだ量の膨大さの割には大きくなっていない、とも言える。
「今のペースで廃棄物や廃液を放り込み続けると、10年後には穴の直径が15メートルを超える計算になります」
まあ、それぐらいなら問題ない。
少しばかり中央ドームの見直しをしないとならないだろうが。
もっと事業が拡大したら?10年後より先は?拡大の予測計算が誤っていた場合は?
それはもう、ヒロキがどうにかできる問題ではないのだから考えても仕方ないことだ。
「超音波、レーザー光、電磁波。ありとあらゆる種類のエネルギーを穴の中に送ってみましたが、一切の反射がありません。結果、穴の中の形状や深さについては計測できないままです」
「ふうん。もうちょっと原始的な実験はしてみないの?穴にロープを投げ入れたりとか・・・」
ヒロキは思いつきを口にしたが、石田には即座に却下された。
「実験者の安全が確保できません」
「ああ、そうかもね」
昔、まだ穴が小さかった頃にヒロキはカメラを紐に結んで投げ入れたり、ドローンを送り込んだりしてみたことがあったが、結果的に何も成果を得られなかった。
素人の浅はかさと言うべきだろうか。思えば無謀な試みだった。
「実はマウスを使った動物実験を行ったことがあります。籠に入れたマウスを機械制御したロープで穴の浅い部分まで降ろしました」
「へえ。それでどうなったの?」
「10匹のマウスのうち、8匹は死亡。2匹は黒くなり凶暴化し鉄の檻を食い破って脱走、穴の中に飛び込みました。以降、動物実験は危険なので停止しています」
「なるほど」
これ以上ないほど、もっともな理由だ。
人道云々でなく、単純にリスクが高い、と見なしたのだろう。
そういえば少し騒がしい夢を見た日があった気がする、とヒロキはぼんやりと思い出した。
黒く、温かい、闇の中で忙しく駆け回る「何か」の夢を。
奥へ 奥へ と駆けて行った「何か」達は、幸せになることができたのだろうか?
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