第33話 夜明けの牛丼セット

 せっかく通じたコミュニケーションだったけれど、あまり異文化交流は進まなかった。


 残念ながらスマホの翻訳アプリには「誘拐犯と打ち解けるためのジョーク集」などは入っていなかったし、その背景の複雑そうな事情を説明することもテンプレートの文例集の語彙では難しかった。


 それに、そもそもJとエースは(多分偽名だろうけど)誘拐グループの中でも下っ端らしく依頼者についての情報は持っていないようだったし、うち1人は泣いてばかりで全然話ができなかった。


「そうやって泣き喚く振りで油断したところを、ブーツに隠したナイフとかで反撃してくるんだな」


 映画とかドラマで見たことがある。俺は詳しいんだ。

 この期に及んで根性を見せる2人に感心したので、ドラム缶を穴まで運んで代わる代わる吊るしてみた。


 もちろん落としたら拾いに行ける気はしないので、慎重に両手で抱えて下半分だけ漬けるようにね。

 だけど泣いている方の男が黒い穴に浸された瞬間から狂ったように暴れ出したので、危うく手を放すところだった。


 穴の中が極端に冷たかったりしたんだろうか?


 そうして数時間ばかり潰していたら誘拐犯から取り上げたスマホが鳴った。

 着信番号は不明。そりゃそうか。


「もしもし?」


「2人は無事か?」


 まあまあ流暢な日本語で最初に2人の状態を確認された。

 すごく仲間思いのリーダーだ。


「生きてるよ。だけど水もご飯もあげてないから、急いだほうがいいと思う」


 スマホの向こう側で英語で何か罵っているのが漏れ聞こえてきた。


 だけどまあ、ドラム缶の中にいる人間に水やご飯を上げるのは難しいし、小や大でもされたら臭さで穴の中に投げ入れたくなるだろうから、そこは妥協して欲しいところだ。


「…車の修理代と迷惑料込みで10万ドル用意した。悪いがそれ以上は用意できない」


「いいよ。どこに持って行けばいい?」


 別にお金には困ってないし。

 全く交渉しなかったことに、相手は少し戸惑ったようで返答までに数秒までの間隔があった。


「…場所を送った。そこに30分後に来てくれ。2人と引き換えに金を渡す」


 そういって通話は切れた。

 受け渡し場所に指定されたのは、何の変哲もない田舎道。


 すぐ近所だ。

 会社から15分ぐらい一般道を走れば着く。


「さて、行くかな」


 ヒロキは立ち上がると2人が入った底の方がやや黒ずんで変色したドラム缶を来た時と同じように抱えて出ると、防弾仕様のレクサスとは離れた場所に駐車してある私用車の軽トラに積み込んだ。


「やっぱりレクサスと比べちゃうと、煩いしパワーが足りない感じするね」


 しかし長年の愛車だけあって、やはり運転すると落ち着く。

 倉庫に放置されたスーパーカブも久しぶりに整備して乗るのも良いかもしれない。


 ヒロキは、やや白み始めた田舎道を軽トラで快調に飛ばした。


 ★ ★ ★ ★ ★


 見通しの良い夜の一本道で、誘拐グループのリーダーは待っていた。


 どこかで見たような黒いSUVが1台だけライトをつけて止まっている。

 他にもどこかで隠れている人間がいるのかもしれないけど。


 軽トラから下りると、相手のリーダーは目出し帽をとった。

 髪を短く刈り上げた白人で、鋭い目つきをしている。


「こんばんは。ずいぶん早く用意できたんだね」


「ビジネスにはスピードが肝要だ。そうだろう?」


「すごいね、さすがアメリカ流だ」


 白人は答えずに、ヒロキの背後の軽トラとドラム缶をじろりと睨んだ。


「ずいぶんと貧相な車で来たんだな。2人はあの中か?」


「まあね。だけど荷物も積めるし小回りが利いて便利なんだ。アメリカでも田舎の農家はピックアップトラックに乗るだろ?あれと同じだよ」


「田舎の農家、ね」


 ふん、と鼻を鳴らす姿が絵になる。


「2人を引き渡してもらおうか」


「ああ、いいよ」


 軽トラの荷台からドラム缶を担ぎ降ろして、静かに白人の前に置いた。

 中の人達を刺激しないよう慎重に置いたのだけれど、何だか不満そうにしている。


「ああ、こっちで開けた方がいいか」


 相手は工具も用意していないだろうから、こちらで包装を解いた方が親切だろう。

 ドラム缶の蓋に手をかけて、べりべりと上蓋を剥がした。

 続けてもう一つのドラム缶も剥がす。


 そのままでは2人を出し辛いだろうから、サービスでドラム缶本体も横からべりべりと包み紙を剥がすように引き裂いてあげた。

 底板だけ残して綺麗に剥がせたのでリンゴの皮が一続きに剥けたような気持ちよさがある。

 もしも料理番組の観客がいたら、きっと満足してもらえただろう。


「…どういうつもりだ。なにかのマジックか?」


 ドラム缶を素手で裂いたら2人の大男が現れました!という情景だけを見れば、確かにマジックショーっぽい。

 なかなか上手いことを言う。

 救出されたアシスタント役の2人は膝を抱えて座り込んだまま動かないけど。


「マジックじゃないよ。それより2人は確かに渡したからね」


「…何をした?」


「ちょっと話をしただけ」


 白人男が合図をすると、暗闇から目出し帽の黒ずくめの男数人が現れて、2人の人質に肩を貸した。

 こちらに背を向けながら何か英語で盛んに罵っていて、サディスト、という単語だけは聞き分けられた。


「これが金だ。10万ドルある」


 ちらりと確認したところ、白人男から渡された小さなスーツケースには丸められたドル札が詰められている。

 数えるのも面倒くさかったので、鷹揚に肯いた。


「最後に質問があるんだけど」


 取引が終わり踵を返しかけた男にヒロキは声をかけた。

 幾つか、聞いてみたいことがあったのだ。


「もしも誘拐が成功していたら、身代金はいくら要求するつもりだったの?」


「1億ドルは堅かったろうな」


 高い。とはいえ会社が持っているキャッシュからすれば、そんなものかもしれない。

 たぶん一括で払えるし。


「へー…そりゃすごい。依頼者の名前って教えてもらえたりする?」


「どこかのファンドらしい。何重にも仲介人を通しているから詳しいことは知らん」


「ファンド…恨みを買う覚えもないし…知らないなあ」


「超金持ちの考えることだからな。お前の会社をポートフォリオに加えたかったんだろうよ」


 なんだそりゃ。会社はカードゲームのコレクションか?

 するとMCTBH社は特殊効果持ちのレアカードか。

 …ちょっと欲しいかもしれない。


「で、このあとはどうするの?」


「お前は警察に通報するのか?」


「いや、俺はしないけど。防弾車の警備会社とか、誰かが通報するでしょ」


「そのときは船でも使うさ。貨物船で香港、フィリピン、インドネシア…東南アジアに出れば何とでもなる」


 そういうものらしい。

 その逞しさに思わずヒロキは笑ってしまった。

 誘拐犯ではあったが部下を大事にする愉快な人達には違いない。


「無事に帰れるといいね」


「こっちはもう会いたくないな、悪魔の黒目男よ」


 白人男が命令すると、目出し帽の男達は統制の取れた動きでブーツの上まで黒ずんで意識のないジョンとアダムをSUVに載せて走り去った。


 山際が白んで、もうすぐ夜が明けようとしている。

 イベント盛りだくさんでなかなか楽しい夜だった。


 ヒロキが大きく伸びをすると、空腹で腹が鳴った。


「朝飯は久しぶりに牛丼チェーンにでも行くかなあ」


 醤油を軽く回した生卵と多めの紅ショウガ、たっぷり七味をかけてかっこむ朝の牛丼は労働者の味方だ。

 軽トラの運転をすると、そういう飯を食べたい気分になる。


 ★ ★ ★ ★ ★


 後日、防弾仕様のレクサスは買うことにした、と伝えたら担当者が喜んでた。

 そして修理を依頼した際には念のため車側の事故データは消しておいた


 もっとも警備側のデータは残ってるかもしれないけど、その点は車を購入したのだから忖度してくれるだろう。

 してくれなかったら…誘拐犯から受け取ったドル札で賄賂でも贈ればいいのだろうか?

 裏社会のルールはイマイチよくわからない。



 数週間後、ある貨物船の乗務員が全員いなくなりインド洋で幽霊船となって漂っているところを発見された。

 海賊に襲撃を受けたのか、船内各所には血が飛び散っていたという。

 しかし船内貨物は食料を除いてなくなったものはなかった。


 船籍や所有者が日本でなく日本人船員もいなかったことから、日本では一部の海事専門サイトを除いてニュースにはならなかった。

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