第30話 夜のドライブ
説明会の翌日も朝からホテルの会議室で入れ替わり立ち代わり大勢のハイエナおじさん達と面談が続く。
5組目から先はヒロキは相手の顔や社名を憶えるのも諦めた。
そうして格好いい横文字が印刷された上質の名刺だけが積み重なっていく。
「グリーンビジネスに投資したい!」って言うならせめて再生紙ぐらい使うべきだとは思うんだけどね。
自動車やめて自転車に乗れ、とまでは言わないけどさ。
メディアの取材もあったらしいけど忙しすぎて断った、らしい。
何だか思ったより大ごとになっている気がする。
帰りたい。
そんなヒロキの表情を察したのか、人の流れがひと段落したところで石田から提案があった。
「私はもう少し東京で商談がありますが、社長はどうされますか?」
「帰るよ。会社の方も気になるし」
正確には穴のことが気になるのだけれど。
「わかりました。ハイヤーと運転手を手配しておきます」
「いや、1人で運転して帰りたいんだ。適当な車を回してもらっていいかな」
「では、ホテルの方で手配させます」
外資系の大きいホテルではコンシェルジュがいて我儘な顧客の要望を叶えてくれるサービスがある。レンタカーの手配ぐらいはしてくれるだろう。
1時間ほどしてからロビーに降りていくと、担当者が車を用意して待っていてくれた。
「最高のお車を用意させていただきました」
と少し体格の良いビジネスマンから車のキーと一緒に名刺を渡される。
「あれ?ホテルの人じゃないの?」
「はい。弊社で用意させていただきました。こちらの車がお気に入りになられましたら、そのまま購入いただくことも可能です」
お金持ち、すごいな。
こういう便利サービスがあるのか。
用意されたのは国内自動車メーカー最高級車のレクサスだった。
窓が少しスモークされていて何となく力強いシルエットであるように見える。
外資系ホテルのコンシェルジュが国産自動車を手配したのは気が利いているな、とヒロキは改めてサービスレベルの高さに感嘆する。。
「つい少し前までは軽トラを運転してたのだけどなあ…」
買い物のお供だったスーパーカブにもすっかり乗らなくなった。
今では倉庫の片隅で埃をかぶっている。
やや重い扉を開けてキーを回し始動させると、静かだが力強くエンジンが吹き上がり、その手ごたえに思わず笑みが浮かんだ。
憂鬱だった東京出張も帰路は楽しくドライブができそうだ。
ヒロキの錆びついた運転技術ではカーナビのお世話にならないと帰れそうないが。
久しぶりの運転と高級車の手触りにすっかり浮かれていたヒロキが、まるでレースゲームのコースのような狭く曲がりくねった道が続く首都高速都心環状線に冷や汗をかくのは、それからすぐのことである。
★ ★ ★ ★ ★
ヒロキが四苦八苦しながら、それでも高い車の性能とカーナビの力を借りて首都高を走らせているころ。
レクサスから数台の距離をあけて黒のSUVが走っていた。
窓はスモーク加工されて中は見えない。
運転席にはヒスパニック系、助手席にはアングロサクソン系の白人がいて無線で指示を出している。
「こちら一号車。
「二号車、問題なし。標的の前、約100メートルを走行中」
「三号車、問題なし。国道手間のパーキングエリアにて待機中」
「了解。各車、現在のポジションを守って待機せよ」
無線での指示を一通り確認し、助手席の白人は改めて標的が運転中の車を視界にいれた。
「まったく、のんびりしたものだな。自分がVIPだという自覚が足りないんじゃないのか」
「日本は平和な国ですからね。最近急に太ったガチョウは自分のフォアグラがどれだけデカいか判ってないんでしょう」
運転手を務めるヒスパニック系が軽口を叩いた。
「ガチョウか…どちらかというと岩場に隠れていたロブスターが出てきたようにしか見えんがな。ずっと自社工場に隠れていれば食われずに済んだものを」
標的の男は、世界中で話題になっている画期的な廃棄物処理技術の開発者、と目されている。
技術開発後にカバーストーリーのために大学と提携し研究者も引き込んだらしいが、研究者に技術的なバックグラウンドはない。お粗末なカバーと言うしかない。
今後のグリーンビジネスの成長性を見込めば、標的は最も経済的価値の高い美味しい獲物である。
誘拐を警戒してのことか、これまではずっと自社工場の中でも最厳重なセキュリティの施された施設で寝起きしている、という噂まであった。
その標的が、のこのこと東京まで出てきた挙句、たった1人で護衛もなく車を運転しているというのだからセキュリティ意識に欠けること甚だしい。
さすが平和ボケ国家ジャパン、というやつだ。
「よし。作戦開始だ」
白人が無線に指示を出すと、了解、と各車から返事があった。
同時に1号車のSUVが加速して標的との距離を詰め始め、夜の首都高で走るレクサスの姿がハッキリと見えてくる。
そしてレクサスの前には、2号車のSUVも視界に入った。
「さて、車の見た目はタフそうだが、中身はどうかな?」
SUVを運転するヒスパニック系がライトをパッシングし、急激に距離を詰め、クラクションを鳴らす。
と思えば、挑発するように蛇行し、さらにはバンパーが触れそうになるまで接近してみせた。
気の弱い運転手であればハンドル操作を誤ってたちまち事故を起こしそうな激しさだ。現にヒスパニック系はその運転技術で何人も標的の車を葬ってきた実績がある。
彼は得意の煽り運転のルーチンを数回、時間にして3分はタップリと高い運転技術を披露したが、レクサスの運転は全く揺るぎがない。
「…チッ」
「どうだ?」
「ダメですね。ビビッてアクセルでも踏んでくれれば前に回った2号車で急ブレーキをかけて挟み込んでぶつけられるんですが、あの野郎、全くアクセルを踏まねえんです。しっかり車間距離も空けてやがる。たぶん挟んでブレーキしても回避されますね。思ったよりタフな野郎だ。ひょっとしたらオートクルーズで運転してるのかもしれません」
「…となると、これ以上のアプローチは無理か」
「そうですね。次の計画に移った方がいいかもしれません」
「よし。各車聞いてるか。計画アルファ中止。計画ブラボーに移る。パーキングエリア待機中の3号車、標的を待て」
「了解」
意外と手間をかけさせるロブスターだ。
とはいえ高速道路で事故を起こさせる計画は失敗したが、標的にはかなりの神経を消耗させることには成功したはずだ。
大抵の人間は緊張した状況に置かれると水分を多くとる傾向がある。
喉が渇いて水を買うか、もしくは車内にある水を飲んでトイレに行きたくなるか。
いずれにせよ手近なパーキングエリアに寄る目算が高い。
そこで待ち構えた3号車に標的を襲撃・誘拐させる。
それが計画ブラボーである。
「1号車は標的を引き続き追跡する」
白人は無線で指示を出しつつ、思い通りにならなかった標的に少しだけ苛立ちを覚えた。
★ ★ ★ ★ ★
そのタフな標的、と評されたヒロキはというと、東京の狭くて曲がりくねる高速道路と、そこを走る車の民度の低さに辟易していた。
「いやあ…久しぶりに東京で運転したけど、東京のドライバーって荒いなあ…」
トラックのすぐ横で視界が制限されているのに距離を詰めてくるドライバーもいたし、中でも乱暴なドライバーが高そうなSUVがあからさまな煽り運転をしてきて一度はボディを擦るかと思った。
「この車は高そうだし借りものなんだから、勘弁して欲しいよなあ…」
ぼやきつつヒロキがカーナビを確認すると、パーキングエリアまであと少し、とある。
「まあ、さっさと帰りますか」
少しだけ迷ったが、特に疲労は感じていなかったのでアクセルを踏みパーキングエリアを通り過ぎた。
最初は車の挙動を少し重く感じたけれども、アクセルを踏み込んだ感じもシートも心地よい。
さすが国産の高級車だけのことはある。
ヒロキはへたくそな鼻歌を歌いながら夜の高速道路を飛ばし続けた。
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