第28話 大きく育つ

 逃亡事件から数日後、ヒロキの会社の方にも警察の捜索協力依頼があった。

 ヘリコプターによる上空からの広域捜索に加えて、足を使った人海戦術も行っているようだ。


「敷地を捜索したいってことでしょ。いいですよ。設備に巻き込まれて事故にならないように現場の案内だけつけてあげて」


 と受付を通して総務の方に指示をしておく。


 例の穴に近づけたくない、という意図はもちろんあるけれど、MCTBH社には他にも近づいたら危険な薬品や設備も多い。

 警察の人も、うっかり行方不明になったりしたくはないだろう。


 会社が大きくなるに従って、良くも悪くも地元警察との関係は避けて通れないものだ。

 社員達も聖人君子ではないので人数が増えてくれば軽微な違反や事件を起こす人間がでてくることは避けられない。


 そうしたときに活躍してくれるのは地元採用者で警察官が身内にいる人間だ。

 ことさらに縁故採用したわけではないが、総務部に配属して各種団体との調整や警察対応に活躍してもらっている。


 捜索は敷地に犯人が隠れていないか念のため見て回る、といったレベルの要請だったらしく成果が上がらず小一時間で終わったそうだ。

 ただ、警察犬を連れたハンドラーは「この会社、熊でもいるのかなあ…こんなに怯える姿を見るのは初めてだ」としきりに首をひねっていたらしい。

 敷地内を案内した社員によれば「尻尾を丸めて可哀そうなぐらい」怯えていて匂いでの捜索もままならなかったそうだ。


「社長、実は秘密のペットとか飼ってませんよね?虎とか」


「俺を何だと思ってるんだ」


 軽口を叩いた社員は冗談を言ったつもりだったのだろうから、ヒロキは同じ様に軽く返した。


 そうだな、虎は飼っていない。


 ★ ★ ★


 どれだけ大きな事件が起きたとしても、それが自分の生活に直接関わる者でなければ、当事者以外にとっての事件は風化する。


 日本中を震撼させたブラック企業経営者一家連続殺人事件も、その例外にはなれない。

 犯人を包囲して追い詰めておきながら取り逃がす、という警察の歴史的大失態で偉い人達の首が何本か飛ばされたり、地上波では政権の失敗から目を逸らすための警察による自作自演だと陰謀論がまとことしやかに語られても、逃亡する犯人の映像を解析した動画投稿者達があれは人間ではなく怪物だ、などととんでも論を振りかざしてネット上の世論が騒然としていたとしても、結局のところ普通の暮らしを生きる人々に影響はなく…やがて人々はいつもの生活に戻って行った。


 MCTBH社でも、新規設備の導入と敷地の拡張工事で忙しい日々が続いている。

 テストピースを用いた各種の廃棄物処理テスト結果は全く問題がなかったので、設備投資と事業拡張を本格的に進めることにしたのだ。


 放射性マーカー、ポリ塩化ビフェニル、ダイオキシン、六価クロム等々…とにかくありとあらゆる種類の廃液を放り込んでみたのだが、本当に漏出がゼロだったらしい。

 データを解析した石田が目を回していた。


「いったい何が起きてるんだ…もっと調査をしなければ…」


 と物凄く穴の中を調査をしたいようだったので


「ええどうぞ。いつでも背中を押してあげますよ」


 と肯定したら真っ青になって否定していた。


 石田は会社の運営をよく頑張ってくれているし、また別の協力者を穴に吊るすのは面倒なので今しばらくは真面目に頑張って欲しいものだ。


 今や穴の周囲は熱さ30センチの鉄筋コンクリートと3センチの鉛で覆われた箱状の建物になっている。クラフトゲームで建築センスが足りない人が立てた豆腐建築のようだ。

 各辺が20メートル程度の立方体なのだけれど、現実世界で存在すると異物感と圧迫感が酷い。


 空調の排気口が天井にあって、横面にはドラム缶と廃液輸送用パイプが接続されている。

 そして人の出入り口は一か所だけ。

 入室できるのはヒロキと石田の2人だけで三重の認証を超える必要がある。


 社内外には「会社の超機密設備」があることになっていて、穴は外からもおいそれと見えないよう完全に鋼板で蓋がされている。

 接地面には廃液投入用と陰圧空調用のパイプが蓋に直結してあって停止用のバルブも備えてある。

 ドラム缶は自動搬入のラインが設置され投棄時に自動的にドラム缶とほぼ同じだけの直径の蓋が開く。

 高性能の鋼の蓋だ。


 要するに、ぱっと見では蓋で穴の存在がわからないようにカバーされた設備で、ほぼ自動的に処理が進むようになっている、というわけだ。

 今のヒロキの仕事は肉体労働でせっせとゴミを放り込むことではなく、この自動廃棄物処理輸送システムをメンテナンスして、滞りなく連続的に廃棄物が穴に放り込まれるよう見守ることだ。

 残念ながら、ヒロキが一介の肉体労働者でいられる季節は終わったのだ。


「楽といったら楽なんだけど、少し手ごたえがないな…」


 まだ自宅の庭の片隅にあって木の枝を放り込めばしばらく塞がっていた頃の穴を思い出してヒロキは少しだけ寂しさを感じた。

 建設廃棄物を受け入れるようになって、山のようなボードやコンクリートをスコップで懸命に1日中放り込んでいた日々でさえ懐かしい。


 蓋をしたせいで日課にしていた趣味の「晩酌しながらで穴をモニターで見守る」ことができなくなったのが悲しかったので、オーナー特権で室内に仮眠室を作ってもらった。

 これで穴の近くで眠ることができる。

 きっと良い夢が見られるだろう。


 廃棄物処理のラインに組み込まれた穴には手作業とは比較にならない大量の廃棄物が日々連続的に流し込まれ続け、見えないよう塞がれた蓋の下、穴は人知れずますます大きくなっていくのだった…。

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