第27話 夢をみた

「それ」は夜の闇の中を逃走していた。


 真の闇を知っている「それ」にとっては、外の夜など何の障害にもならない


 あの家はもう家じゃない


 かえりたい かえりたい


 しかし「それ」は血を失い過ぎた

 傷口の熱さとは裏腹に体が、手足がどんどんと冷たくなっていく


 かえりたい


 あの温かい場所へ


「それ」は夜の闇の中で浮かび上がる建物へと、よろけながら走り続ける


 だが、そこには壁があった


 体調さえ万全ならひととびで飛び越せる壁


 だが意識さえも朦朧として来た「それ」には絶望的な高さ…


 ふと「それ」は食欲を刺激する血の匂いを感じた


 ちがほしい にく にく にく


 美味そうな匂いは大きな鉄の筒から漂ってくる


「それ」は筒の中に潜り込み、腐肉を喰らいながら意識を失った


 ★ ★ ★ ★ ★


「怖いねえ。早いところ犯人を捕まえてくれないかなあ」


「危険だからやめておけ」と引き留める家族を振り切り出社してきた警備員の町田は、頭上を飛び交うヘリを見上げて不安気に呟いた。


 自分のように特別な技能を持たずとも雇用し続けてくれている会社に彼は感謝しているのだ。

 それに会社には自分よりも若く優秀な社員達が大勢働いている。

 若い人間を守ることこそ年寄りの仕事だろう、と町田は考えている。


 町田は最近、フォークリフトの免許を取った。

 少しでも会社に貢献するためでもある。


「こんな時だからこそ、いつも通りに仕事しないとな」


 町田はいつものルーチンワークに従って門の外に幾つか置かれている「有害動物死骸処理」用のドラム缶をフォークリフトで運搬カートに積みこんだ。

 社長が専用のドラム缶を設置してくれたので柵に突っ込んでくる動物の処理は随分と楽になった。


「安全第一、とね」


 作業手順書では蓋が空いたドラム缶があると中身が飛び出し事故が起きるので要確認、とある。

 町田は手順に従い指さし確認を行って緩んでいたドラム缶の蓋をきちんと閉めた。


 ★ ★ ★ ★ ★


「やれやれ。朝から警察さんも元気だねえ」


 早朝から飛び交う捜索ヘリの轟音に叩き起こされたヒロキは、顔を洗い着替えると少し早めにバーに向かった。


「昨夜は帰宅できなかった社員も多かったからなあ…コーヒーは多めに淹れるか」


 幸い、コーヒー豆はヒロキの趣味で大量にストックしている。


「おはよう」


「おはようございます…」


 バーにはいつもの数倍の人数の社員達がたむろしていた。

 どの顔にも疲れの色が濃い。


「なんだ、眠れなかったのか。宿直室の布団が足りなかったか?」


 宿直室には災害に備えて社員数分の寝袋や水と食料は備えてあったはず。


「いや…警察の包囲を突破するだけの殺人犯が逃げて野放しとか、怖いじゃないですか」


「そうですよ。眠れる方がおかしいんです」


 などと社員達が口々に酷いことを言う。


「それより朝食はどうする?災害用の栄養バーならあるが」


「配達…は、来てくれませんよねえ」


「無理だろうな。朝刊も配達されてないぐらいだからな」


 会社が警察の非常線の内側なことに加えて僻地な上に社員達ですら怖がって外出を控えているのだ。

 食事の配送を頼んでも拒否されるだろう。

 もっとも、来てくれることがあったら、それはそれで末端のバイトが気の毒すぎる。

 時給1200円で命を賭けさせるのは、あまりにも寝覚めが悪い。


「昼食の配達をお願いしている業者に早めに来てもらうか。それと多めに注文を出しておこう。緊急時なので社費から負担しておく」


 このあたりが対策としては限界か。

 多すぎての食品ロスは気にしなくてもいいのが自社のいいところではある。


 そんなことよりも、今日は大事な試験が控えているのだ。


 ★ ★ ★ ★


 高度廃棄物処理試験モニターテスト、と題されたそれはMCTBH社にとって今後の将来戦略を占う重大なテストである、と石田は言う。


「ひらたく言えば、各種の既存施設では処理困難な廃棄物や廃液を投入して外部への漏洩や飛散がないか確認するテストです」


 バイオハザードものによく出てくる完全防護服に全身を固めた石田の顔色はよく伺えないが、声だけはよく響く。

 機密性の高い試験のため、穴の傍にいるのは石田とヒロキの2人だけだ。


「外には出て行かないように工事は済んでるんだよね」


「はい。簡単な工事ですから。陰圧はできてます」


 穴を覆うコンクリートの箱は建築中のため一部には鉄骨にシートが被せられただけになっているが基本的な陰圧用の配管は終了している。


 毒物や病原菌を扱う施設では、一部の部屋が陰圧といって気圧がほんの少し下げられた状態に保つよう空調が設計されている。

 気圧が少し低く保たれた部屋には外から空気が入ってくることはあっても出て行かないようにするためだ。


 反対に陽圧といって食品加工や精密機械の工場では空気が出ていくことはあっても入ってこないように設計している。

 細かな埃や細菌の侵入を防ぐためである。


 穴には人間の害になるものを捨てる関係上、陰圧配管がされている。

 ただ、ここにある陰圧配管設備は通常の設備とは異なっている。


 通常の施設では部屋から吸気された汚染空気は何重ものフィルターを通して害のない濃度にしてから外部に排気されるようになっているが、ここでは汚染大気のまま穴に強制的に吹き込んでいるだけ。

 つまり部屋から吸って穴に捨てる。フィルターはなし、という冗談のような簡便さ。

 要するに単なるエアポンプに過ぎない。


「これだけで工事が済むのですから、反則ですよ」


 と石田が呆れている。


 施設が稼働すると必然的に発生する汚染廃液と汚染大気の浄化コストに悩まされる全ての化学プラント会社がMCTBH社と提携したがる理由が、これである。


「じゃ、始めるか」


 ヒロキはテストピース用に色分けされたドラム缶を一つずつ持ちあげると穴に投げ込んでいく。

 石田はそれをメモに記録していく。

 防護服を着ているとキーボードよりもペンの方が記録が取りやすいそうだ。


「重くないですか?」


 続けて3つドラム缶を投げ込んだところで石田に聞かれた。


「いや?まあこの格好だと動きにくいけどな」


 液体の詰まったドラム缶となると…重さはどんぐらいだっけ?300㎏ぐらい?もうちょっとあったかな。

 いずれにせよ、それほど重い感じはしない。


 持ち上げては投げ込む作業を機械の繰り返し続ける。


「あっ」


 ふと、手応えの差を感じて短く声が出てしまった。


「どうかしました?」


「…なんか変な感触だったな。中身が動いたような」


「ええと、今のは…外配置の死骸処理缶ですね。中身が一杯につまった液体とは挙動が違いますから、中でズレたのかもしれません」


「なるほど。そういうこともあるか」


 高度廃棄物処理試験モニターテスト、と銘打った割に単なるドラム缶投げ込み作業はそれから2時間ほど続き、あとは時間で外部センサーでモニタリングするだけ、ということで何事もなく終了した。


 建物から外へ出ると未だに警察のヘリが上空をやかましく旋回を続けていた。


「さっさとビール飲んで寝たいね。警察も早いところ犯人を捕まえてくれないかなあ」


 ヒロキは防護服を脱ぎ捨てながらぼやいた。


 ★ ★ ★ ★ ★


 その夜も、ヒロキは夢を見た。


 いつもは耳が痛いほどの静寂を称えた漆黒の世界で激烈な闘争が行われていた


 繫栄を謳歌していた這いまわる「それら」の王国へ帰還した異物が投げ込まれたからである


 ぶんぶんと飛び回る羽音はぐちゃりぐちゃりと叩き落とし踏みつける音にかき消される


「それ」と「それら」は己の生存をかけて爪を振り回し、足で踏みつけ、鋭い顎で噛みつき、飛びついた


「それ」は巨大で「それら」の1000倍は大きかったが


「それら」は膨大で「それ」の1000000倍は数がいた


 短くしかし激烈な闘争の勝者はどちらとも言えなかった


 大きさと数の戦いは数の有利に傾くかと思われたが、周囲を汚染する大気はガス交換能力に劣る「それら」は次々に地に堕ちた


 しかし「それ」も外の闘争で多くの血を失い弱り倒れ伏した


 天から投げ込まれ続ける汚染された大気と汚染された水が弱り切った「それ」と「それら」を無慈悲に押し流していく


 やがて温かな場所は静けさを取り戻し、また漆黒の闇だけが残った


 奥へ向かおう


 奥へ向かおう


 もっと奥へ


 もっと奥へ


 夢の中で何かが呼びかける声をヒロキは聞いた気がした。

 おかげで翌朝は安らかな気分で気持ちよく目覚めることができた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る