第26話 「それ」は生まれた家へ帰る

 夕暮れになる頃、東京からSATが到着した。

 漆黒のボディーに窓が黒くスモークされた物々しい装甲車両だ。


「東京さんは予算かね持ってんなあ」


 こちとらガタのきた10年物の捜査車両に乗ってるってのに、と萬田は僻んだ。


 車両から下りた隊員達はすぐに臨時本部のテントに入ってしまったのでよく見えなかったが、いずれも揃いの防弾ヘルムや防弾ベスト等に身を固め短機関銃のような銃器を下げた精鋭揃いであることが伺えた。


 陽が沈み暗くなってくると、これも東京から来た電源照明車が殺人犯が立てこもる家を真昼のような明るさで照らす。


 しばらくは動きのない時間が続いたが、現場の緊張がピークに達していることは包囲陣の外縁部にいる萬田や長井にすら感じられた。


「頼むぞ…仇をとってくれよ…」


 SATによる突入作戦が始まろうとしていた。


 ★ ★ ★ ★ ★


 この場所は落ち着く…ここは自分の場所だから…


「それ」は廃屋の一部屋にうずくまっていた。


「それ」はこの部屋をずっと昔から知っている


 朽ちかけたベッドも

 何も入っていない枠だけになった本棚も

 床に落ちている針がとまった柱時計も


 どれだけの時間が経ったのか


「それ」にはすでに時間の感覚はない


 しかし彼が「それ」になる前の時間はたしかにここにあった


 部屋の柱には小さなひっかいたような傷がある

 高さが1メートルに満たない頃から、数センチごとに刻まれた小さな小さな傷


「それ」が幼体であったことを示す時間を証明する傷


 この場所にうずくまっていると楽しかった時間を取り戻せる気がしていた

 だが、邪魔する敵がいる


 また来た

 あれは敵だ

 時間を取り戻すことを邪魔する敵だ


 さっきは撃退してみせたのに懲りない奴らがまた来た

 今度は数が多い


「それ」の大きく尖った耳の角度と同じくらい鋭い聴覚には大勢の人間が周囲を取り囲んでいる様子が容易に把握できている。


 ★ ★ ★ ★ ★


「用意…てえっ!」


 突入作戦は軽い破裂音と煙から始まった。


 ポンッポンッポンッと連続して催涙弾が撃ち込まれ、住宅の窓が割れる鋭い音が続く。


 まずは催涙ガスで屋内を満たし燻し出す作戦である。

 刺激臭の強い煙に耐えかねて屋外に出てくれば、大勢で取り押さえることができる。


 だが、犯人はよほどに我慢強いのか飛び出してこない。


「ガスマスクでも用意していやがるのか…?そんなに用意周到な野郎には思えんが」


 萬田は犯人像に一致しない行動に訝しむ。


 ★ ★ ★ ★ ★


 大きな石で窓を割られた、と感じたら石ころから煙が噴き出してきた。


 臭い!煙だ 苦しい 大丈夫 我慢できる

 このくらい平気だ

 匂いが分からなくても、音は聞こえる


 あっちへいけ


 だが「それ」が耐えられたのはそこまでだった


 また別の石ころがなげられた


 ★ ★ ★ ★ ★


「投擲っ!」


 続けてSATの隊員が小さな黒い手榴弾のようなものを投げ入れた。


 炸裂する閃光と轟音が屋内を満たす。


 閃光弾(フラッシュバン)だ。スタングレネードともいう。起爆と同時に170デシベル以上の爆発音と100万カンデラ以上の閃光を発し、対象に目の眩み、難聴、方向感覚の喪失、見当識の失調を引き起こす。

 殺人犯は暗い屋内に潜んでいる時間が長かった分、効果は絶大だろう。


「突入!」


 さらに数名のSAT隊員が入り口や窓などから短機関銃を構えて突入していった。


 ★ ★ ★ ★ ★


 轟音と閃光


 なにも見えない 聞こえない


 朦朧としていると、全身に連続して熱い火をぶつけられたような感覚があった


 ★ ★ ★ ★ ★


 タタタタタタッ、と短機関銃の連続した発砲音が響き渡る。


 銃声は、包囲外側の萬田にも聞こえた。


「終わりか…ようやく…」


 それは長く続いた包囲と、凄惨な事件の終わりを告げる音に思えた。


 ★ ★ ★ ★ ★


 いたい いたい いたい


 いやだ いやだ いやだ


 おわりたくない


 かえる


 ここじゃない


 かえる


 ここじゃない


 かえる


 ★ ★ ★ ★ ★


 ドンッ、と重いものが屋根を蹴りつける音が耳を叩いた。

 同時に、空中に飛び出した黒い人影がライトで照らされる。


「ばかなっ!」


 全身に銃撃を浴びたはずの犯人が二階の窓枠を蹴って飛び出したのだ。


 が、その姿勢が空中で乱れた。


 短機関銃とは異なる鋭い銃撃音が続く。

 狙撃犯によるライフル射撃だ。


「よし、取り押さえろっ!」


 とポリカーボネートの盾と警棒を構えた警察官が殺到した。


 だが空中で姿勢を崩して見えた犯人は着地すると、地を這うような姿勢で何重にも取り囲んだ警察の盾を蹴り、肩に乗り、何重もの包囲網を、文字通り飛び越えて行った。


「くそっ!なんだあれは!人間か!?」


「追えっ!逃がすな!!パトカー回せ!」


「ヘリだ!ヘリで負わせろ!」


「逃がすな!何としても捕まえろっ!」


 これだけの態勢で包囲し虎の子のSATまで投入して犯人を逃すなど全ての警察官にとっての悪夢である。

 現場は警察官達の怒号に包まれ、パトカー無線からは追跡官への指示と叱咤が飛び交った。


 ★ ★ ★ ★ ★


「おーおー。えらいことになってるね…逃げられちゃったか…」


 ヒロキはTV中継された警察の包囲劇を社員と一緒にモニターで見ていた。

 現場が県内ということもあって、自宅が市内にある社員達も大勢が不安気にスマホやSNSで事態の把握に努めている。


 取材ヘリが逃げていく犯人をしばらく追跡していたが、犯人が巧みに暗がりに身を隠しだすと特殊な夜間照明設備を持たない一般のヘリでは限界があった。今では中継画面は照明で明るくなった道路を映しているばかりである。


「お、映った映った」


 ヘリが旋回する際に、ちらり、と自社が画面の隅に映った。


「まわりに何もないから、よく見えるねえ」


 それは漆黒の大地に切り取られて浮かぶ島のようにも見えた。

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