第20話 なんでもたべる

「なんだ…また猪か」


 警備員の町田は、目の前の光景にため息をついた。

 大型の猪が、社を囲むトタン塀に体当たりを繰り返して破ろうとして、破れ目に挟まって死んでいた。


 MCTBH社では事業規模の拡大に伴い社屋を増築し盗難にあっては困る備品も増えてきた。

 そのために夜間も常駐の警備員が雇用されている。


 町田は地元の中堅機械部品製造業を定年退職した後、市のシルバー人材派遣を通じてMCTBH社を紹介された。

 社長は体が大きくて怖そうに見えたが会社を大きくする創業者というのはそういうものだと思っているし、若い人達の出入りも多く第二の人生を穏やかに送る職場として悪くない職場だと感じている―――少しばかり、奇妙で面倒な出来事が多いことを除けば。


「電気柵でも作って囲った方がいいんじゃないかねえ…せめて金網に変えるとか」


 派遣先のMCTBHという会社は最近急に羽振りが良くなったらしく、周囲の離農して荒れ放題の土地を買い漁って倉庫やダンプが出入りする駐車場を拡大している。

 おかげで、今では会社のすぐ裏手が山、という状態になっている。


 その山から動物が下りてきては、会社のトタン壁に頭を突っ込んで死ぬ、という奇怪な事故が続いているのだ。


 町田が知るだけでも、先月だけでも鹿が4頭。猪が5頭、同じ姿勢と同じ原因で死んでいる。


「よっぽど、会社の敷地から美味い匂いでも漂って来てるんかなあ」


 町田はぼやきつつ、会社の人間に処理を依頼するため無線機を取り出した。


 ★ ★ ★ ★ ★


 連絡を受けたヒロキが、猪の死骸に縄をかけて穴で処理するために敷地を引きずると、それを目にした社員達が顔を顰めて後ずさった。


「近づかない方がいいぞ。野生動物にはダニがいるからな」


 死んで間もない猪は温かく見えるが、迂闊に毛皮に触れようものなら猪に寄生していたダニが宿主を変えようと凄い勢いで飛び移ってくる。

 最初の死骸を処理したときは肩に担ぎあげたせいで、えらい目に遭った。

 それ以来、死骸に直接触れないで済むよう、縄をかけて引きずるようにしている。


「言われなくても近づかないですよ。社長、ちゃんと後でシャワー浴びてくださいよ」


「社長、またですか?何も社長がやらなくても…」


 社員達の目は冷たく、意見は容赦がない。


「だけど、猪は重いからなあ」


 野生の猪はずんぐりした見た目よりもはるかに重い。

 雄の猪は標準的な体型の男性よりも重く、この死骸もおそらく90㎏はあるだろう。

 それを縄一本で引きずるとなると普通の人間には荷が重いし、どのみち穴に放り込むのは1人でやるのだ。

 最初から最後まで一人でやるのがいい。


「放っておくと虫が湧くし、このまま持って行って処理するよ」


 敷地で死んだ野生動物の死骸は一般廃棄物に相当するので、うちの会社でも処理ができる。

 この猪は虫が湧く間もなく新鮮な死体のまま処理されるわけだ。


「処理場の傍で死ぬとはね…運がいいのか悪いのか」


 猪を穴に放り込みつつ、俺も昼はとんかつでも食べるか、とヒロキは市内の幾つかの配送業者を思い浮かべた。


 ★ ★ ★ ★ ★


「社員が食べる場所がたりません!」


 シャワーを浴びて事務所に行くと、待ち構えていた社員に捕まった。


「あー、ええと…君は…」


「バイトの木崎です!」


「ああはい、木崎さんね」


 確か、スーツを買ってこいと主張していた女子学生だ。

 白衣に眼鏡。化粧ッ気の薄いショートヘア。

 たぶん地元大学の院生だろう。


 腰の脇に両手を当てているのは威嚇のポーズだろうか?

 漫画やアニメ以外で見るのは幼稚園のお遊戯以来だ。


「それでですね、最近は社員が増えたじゃないですか」


「そうだね」


 石田の手腕のおかげで会社は順調に拡大を続けており、今では常駐の社員だけでも10人以上いる。

 出入りしている学生バイトを含めると全体では3倍ぐらいだろうか。

 個人零細で始めた仕事だが、今や立派な中小企業だ。


「社長はいいんですよ。自宅が敷地にありますから自炊もできますよね。ですけれど、通いのバイトや社員は食べるところがないんです!」


「田舎だからなあ」


 500メートルほど先に潰れそうな不味いラーメン屋があるが、それだって5人も押しかけれ満員だ。

 各自が出勤前にコンビニで買ったり弁当を作ってきたりしているようだが、それだって飽きが来るし負担も大きい、と女子学生は主張する。


「だけど会社で食堂運営は難しいぞ。今の10倍ぐらいの規模があれば別だけど」


 大きな工場では、工員のための社食が併設されていることも珍しくない。

 なにしろ工場があるような田舎には人数分の胃袋を満たすだけの外食産業が成立していないのでサービスを内製せざるを得ないのだ。

 その点は大都会の真ん中にあるオフィス街とは決定的に事情が違う。


「わかってます!そこで市内の弁当宅配業者と話をつけました!格安で毎日、会社まで弁当を配送してくれるようです」


「ほう、それはすごい」


 すると彼女の用件は会社の方から幾らか補助を出して欲しい、ということだろうか。

 半額程度なら福利厚生も兼ねて出してもいい。


「その事業者の割引き条件は、うちにゴミを捨てさせて欲しい、ということなんですが」


「…ああ、そういうことか」


 弁当事業というのは利幅の薄い割に食品ロスのコントロールが難しい仕事だ。

 そして事業ゴミの廃棄には少なくない費用がかかる。


「かつ丼弁当を頼んでくれるなら、引き受けてもいいぞ」


「ほんとですか?じゃあ早速手配します!」


 女子学生は軽やかに白衣を翻すと、事務所の外へと電話をかけに行った。

 別に事務所の中で連絡をしても構わないのだが。


「コンテナ…ボックス…どっちにせよ虫が涌かない工夫がいるな」


 気のせいかもしれないが、穴へは硬いものだけでなく柔らかいなまものも放り込んでやった方が良い気がしている。

 鹿や猪の死骸だけでなく、人間が食べるものを放り込んで悪いということもないだろう。

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