第19話 それは闇の中を自由に駆けて

 地方都市の夜は早い。


 東京であれば宵の口の時間であっても地方では店やテナントは早々に締まり、ビルの灯りは消され街灯だけが車道を照らすようになる。


 さらに中心街から少し離れると、そもそも灯りがない空き室になったテナントや空き家がぽつぽつと目立つようになる。

 地方の中心街の空洞化が叫ばれて久しいが、それはヒロキが会社を構える都市も例外ではない。

 長く掃除されておらずくすんで埃だらけのオフィスの窓には、日焼けして薄れた文字で「テナント募集中」との紙が寂しく貼られている。


 その、朽ちかけた空きテナントの一室に「彼」はいた。

 正確には「彼」であった「それ」が、傷を負った獣がするように丸くなり、うずくまっていた。


「それ」は微かな苦痛の中で、甘やかな夢を見ていた。



 闇の中で、彼は運をつかみ「それ」になった。


 彼は「それ」になることで力を得た。


 力を得たことで、自由になった。


 自由になり、外を駆けた。



 穴の中の真の闇に比較すれば、外の闇など街灯のついた街中にも等しい。


「それ」は外を自由に駆け、街中を自在に走り抜け、「それ」の自由を束縛してきた憎い存在を力強い牙で食いちぎってやった。


 あの時の、男の驚愕した表情と熱い血潮の甘い香りときたら!!


「それ」は鼻腔に記憶した香りを何度も反芻し、幸せな気分に浸った。


 ふと空腹を覚えた「それ」は室内をワサワサと移動していた大きなムカデを素早く叩き潰すと、ゆっくりと咀嚼する。

 パリパリとした外皮と柔らかで苦味のある肉が美味かった。


 爪の伸びた手についた食べカスは頭の敗れた帽子で拭った。

 なぜこんな便利なものが頭についているのか、その記憶はボンヤリとしていた。


 少し空腹が満たされた「それ」は難しい思考を止めて、また闇の中体を丸めた。


 ★ ★ ★ ★ ★


 その日もヒロキはいつもと同じように穴の傍でゴミをスコップで放り続けていた。


 会社が大きくなり社会的評価を得るに従って持ち込まれるゴミの量は飛躍的に増えていたが、その全てをヒロキは人並み外れた膂力で処理し続け、特に疲労を見せることはない。

 ヒロキは穴と共にあり、充実した労働に満足していた。


「社長、ちょっと相談があるのですが…」


「あれ、ここに来るなんて珍しいね」


「はあ、まあ…」


 石田が苦笑して頭をかいた。


 穴に吊るされた体験以来、石田には穴に苦手意識がある。

 穴を知りたいという興味は依然として強いのだが、それ以上に穴に近寄ることに恐怖を感じている。


「ええと…社長、それって何をされているので?」


 石田はヒロキがゴミ以外の何かを穴に放り込もうとする様子を見とがめた。


「ああ、これ?ゴキブリとかムカデを殺す殺虫剤」


 ヒロキは手にしていた幾つかの燻蒸剤の缶を見せた。

 閉め切った部屋で炊いて室内の虫を殺すタイプの一般的な薬剤である。


「いえ、それはわかりますけど…穴の中に放り込むのですか?どういった理由でするのかお聞きしても?」


「ええとね、前の災害のときに一般のゴミも受け入れたでしょ?」


「はい」


 以前の火災時に、契約業者ではない一般人が軽トラで持ち込んだゴミも例外的に受け入れた、ということはあった。

 そのおかげで会社としては評判を得ることができたので損な取引ではなかったのだが、嬉しくないオマケがついて来たのだ。


「その時に持ち込まれたゴミの中に生ゴミが混じってたみたいでね、虫とかムカデとか増えちゃってさあ…作業の邪魔なんだよね」


「なるほど…って、まさかその種の虫を穴の中に放り込んだんですか?生き物を?」


「そうそう。だから念のため、殺虫剤も放り込んでおかないと穴の中に虫が増えても嫌でしょ?」


 当たり前のように言うヒロキに、石田はおそるおそる疑問を指摘した。


「…そもそも、生き物を穴に投げ入れて大丈夫なんでしょうか?」


「大丈夫じゃない?今まで、穴から生き物が外に出てきたことはないし」


「そうなんですか…?まあ、そういうことなら…」


 穴の中に放り込んだものは出てくることはない。

 穴に接触したものは境界面で焼失し、音もなく消える。

 それが石田の知っている穴の性質だ。

 であれば多少の生き物は投げ込んでも問題はないのかもしれない。


 そこまで想像して、石田はブルッと背筋が震えるを感じた。

 そんな穴の上に吊るされて、自分は放り込まれかけたのだ。


「それで、相談って何?」


 やや呆けかけていた石田は素早く精神を立て直すと、ヒロキに相談を投げかけた。

 今後の会社の行く末を左右する、重大な案件だ。


「実は、そろそろ弊社でも高度な廃棄物の受け入れをできたら、と思いまして。そのための予備試験をしたいんです」


「ああ、なるほど。そうだね。いつまでも建築廃棄物のガラやボードだけ、というのもね。新しいことをする時期かもしれないね」


 新しいことする。

 その方向性については、ヒロキも石田も一致している。


「ええ。そうです。放射性マーカーで追跡実験をしたいのです。放射性廃棄物の受け入れのために」


「いいんじゃないか」


 決意を秘め緊張した様子の石田に、ヒロキは穴に殺虫剤を放り込みながら無造作に許可を出した。


 苦手意識のせいか、石田には穴が以前よりも大きくなっている気がした。

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