第14話 鴨は穴の上で踊る

 石田に続いて担当者が立ち上がろうとしたが「ここは石田先生だけで」とヒロキは制止した。


 これから大事なをするのだから、できれば一対一が望ましい。

 2人でも別に支障はないが、そうするとに訴える必要が出てくるかもしれない。

 それは、ひどく面倒くさいことだ。


「わかりました。当然の用心ですよね」


 と、石田が一人でついてくることを了承したので、そのは回避された。


 2人で事務所を出て、普段はトタンの壁で囲まれている場所へ石田をつれていく。

 敷地の真ん中にそこは小さな小屋のようになっており出入口は南京錠で簡単に施錠されていた。


「石田先生、この場所に覚えはありませんか?」


「ここは…ああ!思い出しました。先日の検査でボーリングをした場所ですね。なるほど…それであの時は少し様子がおかしかったんですか」


「様子がおかしかったの、わかりましたか」


 ヒロキは苦笑した。あの時はボーリング調査のドリルで穴の天井が抜けたりしないかと、焦っていたのだ。

 自分では態度を取り繕ったつもりだったが、筒抜けだったらしい。


「少しだけ、ですね。普段から学生の雰囲気を見て講義の内容を調整したりしていますから、挙動を観察するのには慣れているんです」


「なるほど」


 やはり普段から大勢の人間を相手にしていると、人間の観察力も上がるようだ。

 いろいろな意味で石田が有能なのは間違いない。


「それで、この壁の向こうに装置があるんですね」


 石田が興奮を隠せない様子で声を弾ませる。


「はい。実は、これをお見せするのは石田先生が初めてなんです」


 正確には勝手に見に来た連中が6人ほどいたが、そいつらは既に「いない」ので嘘ではないだろう。


「それは光栄ですね!…っと、すみません、真っ暗でよく見えないです」


「ああ、石田先生見えないかもしれないですね。今、明りをつけます」


 パチリ、と壁際のスイッチを入れると吊るされた裸電球が点灯し、地面にあいた穴が見えるようになった。


 大きく、黒く、底が見えない、漆黒の穴が。


「…穴?」


「ええ、穴です。この穴に廃棄物を放り込んでいるんです。何でも放り込めて、どれだけ放り込んでも満足しない。完全な穴です。少し大きくなったみたいですね」


「…冗談でしょう?処理の機械はどこですか?」


 石田は担がれた、と感じたのだろう。

 腹を立てた様子で周囲を見回し始めた。


「冗談かどうか、お見せしましょう」


 論より証拠。見ることは信じること、とも言う。


 ヒロキは小屋の中に落ちていたコンクリートブロックの欠片をひょい、と持ち上げて穴の中に放り込んだ。

 コンクリート片は穴に触れると唐突に消失した。

 落下音も衝突音も聞こえてこない。

 完全な無音だ。


「ね?音がしませんよね」


 ヒロキの奇行と怪現象に、石田は困惑し、怯みを隠せなかった。

 何か自分の世界の常識とは相いれない何か、が起きている。


「石田先生もやってみますか」


 石田はヒロキに言われるままに、渡されたコンクリート片を穴に投げ込んだ。

 それは穴に放り込まれた瞬間に見えなくなり、一切の音も聞こえなくなった。


「…なんだ、これは」


「さあ。なにか、は自分もわかりません。ただ、ゴミを幾らでも放り込める穴です。自分にはそれで充分です」


「なにを言ってるんですか!これは…すごい!学会に公表して論文を…」


「いえ。それは困ります」


 ヒロキは興奮した口調で先走る石田を制止した。

 そんなことをされては困るのだ。


「な、なにを?これだけの現象なんですよ!?世間に広く知らせて研究を…」


「石田先生。この穴は自分のものです。生きていくために、この穴が必要なんです。この穴も廃棄物を必要としています。俺にはわかるんです」


 ヒロキがじっと視線を合わせると、石田は青ざて視線を逸らした。


「そ…そうか。そうですか。わかりました。と、とにかく今日はこれで失礼します」


 脇をすり抜けて扉を出ようとする石田の肩を、ヒロキは優しく掴んだ。


「ここまで話したんです。このまま帰られては困りますね」


「は…放してください。…放せ、くそっ!放さないと警察を呼びますよ!」


 恐怖に駆られた石田が肩を掴まれた腕を振りほどこうと暴れるが、ヒロキにはまったくに堪えない。

 かえって潰してしまわないよう、より優しく掴み方を変えるだけの余裕があった。


「石田先生、先ほどは最近、ちょっとしたトラブルがある、と言いましたけれどね。実は先日、チンピラ数人に襲われたんですよ。地元のケチなヤクザの指示でね」


 その時の苛立たしさを思い出して、少し肩を掴む手に力が入ってしまったようで、石田が悲鳴を上げた。


「ひ、ひいっ…」


「その時気がついたんですけど、この穴が出来てから俺はかなり健康になった気がしているんです。おかげで、こんなこともできます」


 ヒロキは、あいたもう片方の腕で石田の足首をんで、グイッと逆さに吊り下げた。


 身長は石田の方がやや低いので頭を地面に擦ることこそないが、手は地面に届いてしまう。

 映画のように恰好よくはいかないな、とヒロキは心中で呟いた。


「う、うわっ…何をする、降ろせ、降ろしてくれ!」


 それでも、今まで話していた相手に逆さに吊り下げられる、という体験は石田を十分にパニックに陥らせる効果があったようだ。

 手足を振り乱して「降ろせ!」と叫んで暴れている。


「降ろしてもいいんですか?」


 暴れられるのが鬱陶しいので少し吊り下げる場所を変えてやった。

 具体的には、真っ黒な穴の真上に。


 頭の下に何があるのか理解したのか、石田は暴れるのをやめて懇願し始めた。


「お…降ろすな、いや、戻せ、戻してくれ!」


「困りましたね。そもそも、石田先生の指示を聞いた方が良い理由でもあるんですかね?詐欺師を相手に」


 ため息をつくと、ぎょっとした石田は見苦しく反論を始めた。


「な、なにを言っているんだ!君は…君は頭がおかしいんだ!」


「先生、俺はだいぶ健康になった、と言ったでしょう?健康になったのは腕力だけじゃないんです。耳の方もかなり良くなりましてね」


「…そ、それがどうしたんだ!」


「トイレに中座したときに聞こえたんですよ。石田先生とあなたの子分の会話をね。とても楽しそうでしたね」


「そ、そんなもの証拠になりませんよ!」


「ふう…最近はトラブルが多い、と言ったじゃないですか。録音機器ぐらい仕掛けてないと思ったんですか?」


 証拠もある、と指摘してやると石田は吊り下げられたまま震え始めた。

 契約書を腕力で取り上げられて、その上で音声の録音データがあれば、破滅するのは自分達だ。

 大学としても大変なスキャンダルを引き起こした石田を切り捨てることは確実だし、その後に自分を研究者として拾ってくれる大学は皆無だろう。


「…五味さん、いや五味社長、話し合おうじゃないか。誤解があるようだ」


「ええ。話し合いますとも。そのためにお呼びしたんですから」


 ヒロキは片腕で穴の上にヒロキを吊り下げたまま、とびきりの笑顔を見せた。

 石田は宙づりの状態で、震えて何度も何度もうなずいた。


 ヒロキの黒々とした穴のような目が、地面に空いた穴よりも怖ろしかった。


 ★ ★ ★ ★ ★


 数週間後、大学のホームページと地方紙に小さく「画期的な新技術による廃棄物処理大学発ベンチャー設立」という記事が掲載された。

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