第12話 穴に寄ってきた鴨は

 電話から数日後、石田は学内の担当者を連れてヒロキの元を訪れた。


「わざわざ足を運んでいただいて済みません」


「いえいえ。面白そうな話なので、興味が湧いたら足が向く性格なので」


 車を降りて挨拶を交わした際に、ふと、石田は違和感を覚えた。


「あれ…社長さん、何か雰囲気が変わったような」


「えっ…そうですか?酒飲んでばっかりだったから太ったかな?」


 ははは、とヒロキは腹を叩いてみせたが、その腹は引き締まっていた。

 全体的に以前よりも体が一回り大きくなっている気がする。


 それと、目だ。


 石田のように高学歴のインテリを見る叩き上げ社長の目は2通りに分けられる。

 現場を知らない若造、と殊更に張り合ってくるか、もしくは純粋に尊敬の目で見てくるか。


 ヒロキの目はどちらでもなかった。

 自分から話を持ち掛けてきたにも関わらず、まるでこちらに関心がなく、別のものを見ているような黒々とした穴のような目…。


「先生、どうかされました?」


 ヒロキに声をかけられて、石田は自分が黙り込んでいたことを知った。


 こんなことではいけない。

 自分がこんな僻地まで来たのは、今後始まるビジネスで主導権を握るためなのだ。

 そのためには、相手が処理できる以上の情報量で喋り続けねば。


「何でもありません。ちょっと深夜まで研究続きだったもので」


「そうですか。やはり学者さんは大変ですね。それに暑くなってきましたから、細かいお話は事務所の方でしましょうか」


「ええ。よろしくお願いします」


 石田は己を奮い立たせるとヒロキの後に続いた。


 ★ ★ ★ ★ ★


「お綺麗にされてらっしゃいますね」


 事務所を目にした石田の誉め言葉は大げさではあってもお世辞ではない。

 接客業でもなければ地方中小企業の事務所というのは壁に標語を掲げた額縁だったり、書類が散らかっていたりと雑然としているのが普通だが、案内されたヒロキの事務所は自宅兼事務所というわりによく片付けられていた。


「まあ、物がないだけですけどね」


 ヒロキが言うように、モノがなさすぎて殺風景なほどだ。


 事務所にあるのは来客用ソファー、事務机とノートパソコン。小型の冷蔵庫。

 そして壁面には大型の薄型モニターが設置されているだけだ。

 いずれも新しい。


「大きなモニターですね」


「趣味に使うんです。TV兼用ですね」


 大型モニターによる監視を必要とするほど事業所に大した設備があるようには見えないが、映画か何かでも見るのだろうか。

 であれば、もう少し音響設備も充実していて良さそうなものだが、特にスピーカー等が設置されている様子もない。


 まあ、いい。

 今日は仕事の話に来たのだ。


「まずは、ご相談のあった兼で一通りサービスの方を説明させていただきたいのですが…」


「ベンチャー化、という話ですね。わかりました」


「そもそも大学と企業は地域社会の構成員として貢献すべき、という政府方針の文脈がありまして…」


 石田は担当者に合図して人数分の資料を用意させると、その舌を滑らかに回転させ始めた。


 ★ ★ ★ ★ ★


「…と、まあ。これが所謂大学発ベンチャー企業推進の背景です。いわば国策なんですね」


 石田の小一時間の独演会は終わった。


「なるほど、そういうことなんですね」


 どこまで理解しているのか、ヒロキがしきりに肯く様子に石田の笑みがこぼれる。


「大学の技術を企業が実用化する。その際の組み方が企業化、ということになるわけです。大学は技術を売っておしまい、企業は買うだけ、となるとお互いに発展性がありませんからね。そもそも技術は常に進歩するものですから、技術開発投資を継続的に実施するためには法人化が望ましいのです」


「うーん…でも、そうすると今回は当てはまるんでしょうか?うちは大学から技術の提供を受けるわけでもありませんし…」


 ヒロキの返答に、石田は大きく肯いた。

 そこが、石田が最も知恵を絞ったところだ。


 予め穴の開いた説明をすることで聞き手の疑問を誘導し、回答することで信頼感を高める。

 学会の論文発表でも使うプレゼンテーションのテクニックだ。


「そこなんです!五味社長の技術は素晴らしいと思います。ですが、実際に取引をする自治体や大企業からすると何だかよくわからないけど凄い技術、というのは不安なものなんです。

…誤解しないで欲しいのですが、すごい技術と持ち上げられた企業の中には詐欺師同然の企業が幾つもありました。アメリカでも血液一滴で全ての病気が診断できる、と謳って巨額の資金を集めた詐欺がありましたね。それくらい技術の見極め、というのは難しいのです。ですから、技術の説明が出来る企業には仕事が来るのです」


「ああ、なるほど。その企業の話はネットで読んだことがあります。たしか女性社長さんが若くて美人だったんですよね」


「そうなんです。ですが、実際彼女は上手くやりました。大きな企業や自治体は見た目に弱いのです」


「うーん…でも自分は見た目は…」


「いえいえ、五味社長は十分に精悍でいらっしゃいますが、そうではありません。企業取引の際の見た目、とは試験結果のデータの科学的信頼性です。

例えばノートPCの落下衝撃試験で1メートルから何回落とした、というCMをやっていたりしますよね。大企業との取引にはデータが必要なんです。

具体例としては、前回させていただいた調査結果を、廃棄物処理の前と後でレポートにして取引先企業に送信する。できればセンサーやモニタリングポストを設置して、毎時報告できる体制にする。そうしてコンプライアンス順守している体制を見せれば、それだけで企業は安心して取引できるんです」


「なるほど…データの見た目ですか。それは確かにうちではやれないなあ…」


個人事業主に過ぎないヒロキの事務所にはそうした検査設備はないし、大企業の監査に耐えるだけの報告書を書くスキルもない。


「モニタリングポストだけ設置して、データ送信は大学の研究室から行っても良いですね。むしろ、その方が見た目の信頼性が上がるかもしれない」


「でも、研究室だって、その、産学連携とかで企業の一部になるわけでしょう?そんな内輪の報告でも大丈夫なんですか?」


「研究室は大学に属してますから。そういことになっているんです」


「なるほど、見た目かあ…」


 ヒロキはすっかりその気になっているように見える。

 このタイミングを逃す手はない。


 石田が視線で合図をすると、担当者は鞄から契約書を出した。


「とりあえず、お話を進めるために契約書を用意しました。契約書と言っても覚書き程度のもので、この先の出張費だとかを大学に申請するためのものです。良ければ押印をお願いできますか」


「ああ、はいはい」


 自然なタイミングで差し出された契約書をヒロキは受け取った。


 よし…そのまま判を押せば技術はこちらのものだ。

 田舎の企業には不似合いなそれは自分が世界のために役立たせてやる…


 石田は己の策の成功を確信していた。

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