第11話 そして人影は闇に放たれた

 翌日の昼過ぎに、ヒロキは仕事場から大学の方に電話をかけた。


 午前中に持ち込まれた10tダンプの廃棄物は、小一時間で片づけた。

 最近は穴の方も少し大きくなってきたので、処理も楽になってきている。


「研究室、石田です」


「あ、先日はどうも。土壌の検査をお願いした五味大樹ごみひろきです。その件では大変お世話になりまして…」


 講義の合間時間とかで、本人と直接話すことができた。

 とはいえ、長々と世間話をすると迷惑なので早速に用件を切り出す。


「実は…経営している事業のことでご相談がありまして。お知恵がお借りできれば、と…」


「ええ。産業廃棄物処理でしたね。技術面でしたら多少はわかるかもしれません…どういったご用件でしょう?」


「石田先生も検査でご存じの通り、うちは小さいですが廃棄物を安価に処理する技術があります。ですが、できればそれを表に出すのは避けたいのです。それで技術を上手いこと隠しながら、それでいて会社を大きくするとか、ものすごく虫の良い話ですが何か良い方法があればと…」


「なぜです!?五味社長、あの土地の検査結果は素晴らしいものでした!もしも、あの処理技術を世界に広められれば社会の恩恵は測り知れないものになるでしょうに!」


「ええと、ちょっと言い方は難しいのですけど、再現したり広めたりは難しい技術なのです。偶然出来たものなので」


 と、ヒロキは予め用意しておいた言い訳を述べた。


「なるほど…プロトタイプのシーズステージ、ということなのですね」


「ええ、そのプロなんとかです」


 多少苦しい言い分であったが、石田研究員が自分で納得できる理屈を捻りだしたようでヒロキは安堵した。


「それで…会社を大きくしたい理由を伺ってもいいでしょうか?今のままでも十分に事業は回っているように見受けられるのですが?」


 石田研究員が不審を覚える理由は理解できる。

 ヒロキは事業拡大を志向する人間によくある覇気や自己顕示欲が豊富なタイプには見えないし、どちらかといえば、1人でコツコツ決められたことをこなすのが似合う人間だからだろう。


 この点についても理由は用意してある。

 まさに、そのために相談を持ち掛けているだから。


「実は…お恥ずかしい話ですが、このところうちの技術に目をつけた良くない筋の取引先から脅されるようなことがありまして…業界的にグレーな方達も多いので…」


「ああ、そうかもしれませんね…いや失礼。しかしそれは弁護士や警察に相談する内容では?」


「それが、良くない取引先には県内の有力企業もいるのです。親族も役所や警察にもいるようでして相談しても埒が明かず…ですから、ここは根本的にこちらが大きくなるしなかない、と考えた次第です。個人でなく大きい会社となれば、そうした県内の会社も好き勝手にはできないでしょうから」


 それに大きな会社になれば、もっともっと大量のゴミを集めて、もっともっと穴にゴミを流し込んでやれる。


 穴は、もっと多くのゴミを求めている。

 それがヒロキにはわかるのだ。


 ★ ★ ★ ★ ★


 石田は、電話相手の中年男ごみひろきを測りかねていた。


 ヒロキ、という零細廃棄物処理工場の代表である男は、やや線の細い男だった。

 この地方で地場商売をしている人間は―――東京と異なり―――堅気らしからぬ雰囲気を漂わせた者が多い。

 ヒロキのように東京で仕事をしていたことがある、というのは、その業界では異質で舐められる要素になる、と聞く。


 ところが実際には、ヒロキはかなりうまくやっているらしい。

 先日、検査を依頼された土地は広いだけでなく隅々まで清掃が行き届いていて、一見しただけでは廃棄物処理場には見えないほどだった。

 ぽつんと設置されたコンベアとトタン板の山だけが、この土地が農地や住宅地ではないことを控えめに主張していた。

 普通は廃棄物運搬処理用の重機やダンプがあるべきだが…そうした高価な重機はレンタルで済ませている業者も多く、土壌検査に合わせて出払っているだけなのかもしれなかった。


 念のため「これから事業を始める予定の土地か」と尋ねてみたが「既に開始して数カ月は経ちます」との答えが返ってきた。

 使い込まれたツナギにスコップを携えたヒロキの表情を見る限り、嘘は言っていないように見えた。


 少し奇妙な依頼ではあったが、クリーンな検査結果を提出し、それでヒロキとの関係は終わった―――はずだった。


 その男が今、画期的な廃棄物処理技術を持ち、自分に会社を大きくするための相談を持ち込んで来ている。


 国立大学法人化以来、研究費不足というより研究費の飢餓状態に陥っている研究室にとっては「美味すぎる餌」だ。


 電話中の石田は、ヒロキが持ち込んだ話が生むであろう莫大な研究費と強化される学内での立場を想像し、無意識にゴクリと喉を鳴らした。


「なるほど…そういうお話であれば、良い解決策の提案ができると思います」


「おお!さすがですね!やはり学者さんは違うなあ…」


 電話口の向こうで、ヒロキがしきりに感心している。


 そうだ。今回の話はチャンスなのだ。

 新技術という人類共通の資産は、正しく扱える人間の元で、正しく使われなければならない。


 石田は、その優秀な頭脳をフル回転させ、この後で自分と技術の価値を最大化する戦略を描きつつ、電話先のヒロキに回答した。


「ええ。実に簡単な方法です。五味社長の技術と、大学の制度を使って、大学発ベンチャーとして企業化してしまえばいいんです!」


「えっ。そんなことができるんですか?」


「できますとも!大学には産学連携室、という機関とファンドがあります。予算こそ乏しいですが、一般企業や銀行からの信用度は抜群です。プレスリリースやマスコミ対策の人員も手厚く揃っています」


 一度回転を始めた石田の頭脳と舌は止まらなかった。

 電話相手に考える隙を与えてはいけない。

 大量の情報を流し込み、相手の思考を麻痺オーバーフローさせるのだ。


「なるほど…大学というのはすごいものですね」


 そうだ。大学とは膨大な知識の資産の集積所なのだ。

 自分をはじめ優秀な人材が揃っている。

 なのに、そこに必要とする研究予算が回ってこないのは世の中の方が間違っている。


「体制をきちんと整えてしまえば、後ろ暗い企業は寄って来れないものです。ファンドを入れて事業にレバレッジをかけていくためには、ガバナンスの整備とコンプライアンス順守が必須です。事業セキュリティーとサステイナビリティの面でも五味社長が大学と組むメリットは大きいと思いますよ」


「いやあ…有難いお話ですね」


 最後まで石田の舌の回転は冴え続け、相手ヒロキを圧倒して終わった手ごたえがあった。

 一度、そちらへ担当者と一緒に伺います、と電話を切った後で石田は頬が緩むのを抑えられなかった。

 映像が見えない音声だけの電話で良かった。

 もしも自分の表情がヒロキに見えていたら、この話は消えてなくなっていたかもしれない。


 石田が提案した話は、間違いなく「良い話」である。

 問題は「誰にとって最も良い話」なのか、というベクトルの些細な違いが存在することだが。


 石田は今後の体制を自らの意のままにできる陣容で固めるべく大学内外の部署の人間に猛烈な勢いでコンタクトを取り始めた。


 研究室から響く軽快なキーボード文字列の連打は深夜まで続いた。


 ★ ★ ★ ★ ★


 石田研究員が将来の夢に向かって邁進しているのと同時刻、仕事を終えたヒロキはソファーで日課の缶ビールを開けていた。


「暑くなってきたし、ちょっと贅沢してアメリカのビールでも通販で買ってみるかな…?」


 実のところ、ここのところヒロキの稼ぎは個人としては大変な額になっている。

 売上はそこそこだが、利益が違う。


 なにしろ事業のコストがほとんどゼロなのだ。


 その内訳は…

 廃棄物を持ってこさせるので運搬コストゼロ。

 ブルドーザーやショベルカーのような重機を使わず、スコップで運搬するのでレンタル機器コストはゼロ。

 穴に放り込んで処理するので処理コストゼロ。

 処理されたゴミはなくなるので保管コストゼロ。

 従業員を雇わず1人でこなしているので人件費コストゼロ。

 事務所は自宅。


 競業他社からするとインチキにしか見えない驚異の利益率を誇るのだった。


「それじゃあ、今日の穴のやつの食欲はどうかなー?」


 ふと空腹を覚えたヒロキはキッチンへ行って、冷蔵庫からつまみのチキンをパックを手に、穴が映っているモニターへ戻ってきた。


 その、ヒロキがキッチンにいた十数秒の差で、黒い穴から獣のような何かが物凄いスピードで穴から駆け出して、4メートルはあるトタンの塀をひとっ飛びに超えて暗闇へ姿を消すシーンを見逃したことを、ヒロキは気がつくことはなかった。


 中古の警報装置は柵越えを記録したが、モニターには何も映っていなかったのでヒロキはいつもの誤動作として気に留めるのをやめた。


 監視カメラは獣のような何かが破れた帽子を被っていることも映していたが、そのシーンはいつもの録画データの山に埋もれ所有者ヒロキに探し出されることはなかった。

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