第8話 黒々とした穴の中に石礫は消えた

 彼は、能力はあるのに運のない男、だった。

 少なくとも、主観的には。


 地元ではそこそこの進学校からそこそこの大学を出たはずが、運悪く就職の時期が空前の不況でまともな就職口はなく、仕方なく派遣社員とブラック企業を転々とするうちに気がつけば借金塗れになっていた。


 本当に運がない。


 だが、チャンスがきた。

 人生一発逆転のチャンスだ。


「それで…金田さん、この仕事をできたら借金はチャラなんだな?」


「チャラ、とは言ってないでしょう。敷地に入って決定的な証拠をつかんで来たら言い値で買おう、という話です。もちろん情報の価値があればチャラになることもあるでしょう」


「おおっ!」


 彼のべっ甲眼鏡からの借金は1000万を超える。

 20代半ばを過ぎてもフリーターに過ぎない彼には到底、返済の当てのない額だ。


「か、金田さん、うちだって頑張りますよう」


「そうだそうだ、一人だけ抜け駆けする気が!」


「わたしだってやるときはやりますよ!」


 べっ甲眼鏡が集めてきたのは、彼以外はクズのような連中だった。


 薬、酒、パチンコ、風俗、ソシャゲ、クレカ…理由は様々だが、身を持ち崩した挙句に借金で首が回らなくなった人間達。


 俺だけはこいつらとは違うんだ、まだまだやり直せる。


 俺はついていなかっただけなんだ。


 今夜で俺はツキを変えてやる、と彼は決意していた。


 ★ ★ ★ ★ ★


「さて。少しでも何かがわかればいいんですがね」


 金田はべっ甲眼鏡の弦の位置を修正しながら、目の前にいる6人のクズ達を眺めた。


 彼からの借金で首が回らない人間の中から、比較的体力がありそうで足がつかないよう親類縁者に見放された人間だけを集めたのだ。


 もしこいつらに何かあったとしても―――例え死んだとしても―――遺族に警察に駆け込まれることはないだろう。

 社会的には死んだ方が喜ばれる連中だ。


「いいですか。全員、目出し帽と使い捨てスマホは持ちましたね。それで何か証拠を見つけてきてください。警察に捕まっても何も話してはいけません。せいぜい家宅侵入罪だからすぐに出られます。弁護士もつけてあげます。あとは―――逃げようなんて思うんじゃありませんよ。スマホのGPSで逃げてもすぐに場所はわかります。捕まえたら借金は3倍ですからね?」


 金田の脅しに、全員が無言でうなずいた。

 とはいえ、こいつらが逃げるリスクは低いだろう、と見ている。


 全員には情報収集兼連絡用のスマホを持たせた。

 使い捨ての―――いわゆる飛ばしの―――スマホだ。

 そこから自分に足がつくことはない。


 はじめは高級ドローンを購入して偵察をするか、とも考えたが、購入履歴で足がつく可能性もあるし、よく考えれば人間の方が安い―――特に、こいつらのようなクズは。


 クズ達は、これが人生を好転させるチャンスだと思い込んでいるように見える。

 中には目を血走らせている者までいる。

 借金に追い詰められて何をやらかすかわからない連中だ。


 まあ、ヒロキが怪我でもしたらそのときはそのときだ。

 自己責任、というやつだろう。


「よし。行ってこい!」


 深夜、窓がスモークの黒いワンボックスカーに詰め込んだクズ達を廃棄場の近くに降ろすと、金田は車を運転して事務所で報告を待つことにした。


 今回の件で、金田は部下を使わなかった。


 後ろ暗いことに他人を使うと足がつく。

 人間というのは利用するものであって、信じるものじゃない。


 それが、金貸し業を通じて得た、金田の人生訓、というやつだ。


 幸い事務所には来客用のウイスキーとグラスがある。


 そうして酒を飲みながら、金を貸した客の名簿を眺めつつ、その客が落ちぶれていく人生を想像するのに愉悦を感じる。

 それが金貸しべっ甲眼鏡、金田のささやかな趣味だった。


「まあ、1人か2人はうまくやるでしょう」


 送り込んだ連中はクズには違いないが、奴らは必死だ。

 ボディガードが1人や2人いたところで、6人の人間を一斉に取り押さえることはできない。


 半数ぐらいは写真や動画をとってダミーのアドレスに情報を送ることぐらいはできるだろう。


 その後でヒロキのバックに控えている組織から逃げきれるかどうかは、奴らの運と能力次第た。


 これは言うなれば、暗闇に石礫を投げつけて相手を炙り出す行為に他ならない。


「鬼が出るか蛇が出るか。それこそ、自己責任、というやつですよね。投げられる石には気の毒ですが」


 掲げたウイスキーグラスの溶けかけた氷が、カランと音を立てた。


 ★ ★ ★ ★ ★


 しかし、金田の思惑は外れた。


 結局、朝になっても金田が送り込んだクズ連中は1人も連絡を寄こさなかったのである。


 スマホのGPS信号は消失し、写真や動画も1件も送られてこなかった。


 逃亡を疑って興信所に調査させたが近隣の駅やバス停での目撃もなく、見張らせていた幹線道路も該当する通過車両はなし。


 送り込んだ6人は地上から忽然と姿を消した。


 暗闇に投げ込んだ石礫は、何の手がかりもなく無駄に失われた。


 闇よりも暗い、黒々とした穴の中に。

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