第19話 和歌江島
寛喜四年(一二三二)元旦、正月行事も恙なく行われた。
「
その関係をより強固にする意義があり、重臣から順に受けもち、元旦から数日続く。まさに垸飯振舞(大盤振る舞い)するのだ。
今年初めの華やかな仕事は、叔父である北条時房の受けもちだ。
押並べて華やかな仕事は時房が、式目の吟味など地味な仕事は泰時の役割だ。行政は上手く回っている。
さすがに元旦の今朝は、明法道の学びはお休みだが、刻の許す限り勉学に励む。もう朝の習慣となり、『裁判至要抄』を紐解かねば朝が始まらない。そろそろ有識者を決め、審議に入るつもりだ。初めて『裁判至要抄』をめくって、はや十年にもなってしまった。
北条泰時も五十の階段を駆け上がってしまった。
頬に表れた窪みが黒く陰になり、ひどく年老いて見えた。もともと細身の泰時だが、二年前に跡取り息子を失い、隠しても隠し切れない失望感の具現であろう。
四月一日、日蝕があるのないのと騒いでいる。
賑やかなことだと思うばかりだが、知らぬ顔も出来ないので、その道の者に問い合わせた。なんやかんや忙しい。
四月二日に、貞永と改元があったが、何時ものことながら報せが届いたのは後のことだ。
五月中旬には、念願だった御成敗式目の審議を開始した。
相談相手に太田
関東の諸人の訴訟が多く、以前に定めた法では判断がつかず、裁決が一致しない事象が起こった。御成敗式目の確定により、不当と思える気まぐれで攻撃的な訴訟を排除し、公正な裁決を目指すのだ。
忙しいさなかに、一人の僧が面会を申し出た。
勧進聖の
一般から寄付を募り、橋を架けたり、道を普請したりする僧を
僧は、すでに筑前国葦屋津の新宮浜に築島により防波堤を作った実績があった。
此度の願いは、飯島の岸近く、海中に頼りなく置かれた石の船着場をもっと確かなものに作り直そうという公共事業だ。
土地の者は、隣の爺さんを呼ぶような親しみを込めて、その置石を「石蔵さん」と呼んだ。南風が吹いただけで使えなくなる柔な代物で、到底、船着場と呼べるものではないが、築港事業に経験の深いお坊様が、難破や座礁の危険から人々を守るため、ぜひともこの頼りない置石を立派な港に作り上げたいという。
土地の漁師は、もちろん喜んだ。
天災による餓死者が出る時などは、出挙米を施す泰時だ。もちろん否やはない。
勧人聖人往阿弥陀仏の進言も即座に賛成し、直ぐにも築港の運びとなった。
七月十五日、人助けと経済の発展に寄与する立派な思想に基づく築港工事が開始された。
執権北条泰時の許可とともに経済的援助も約束され、諸々の人々の助成も得られた工事であった。北条一門の支配地域である伊豆半島や酒匂川、早川、また丹沢方面から石材が運び込まれ、北条氏御内人の平盛綱が立ち会った。
そして、わずか二十六日後の八月九日には竣工完成をみた。日本最古の築港といわれている。
今でこそ、積まれた石が河原のように広がりを見せるだけだが、後年江戸時代にも港としての機能を果たしていた。
ひと月を待たずして完成し、和歌江島と優雅な名称を与えられた築港は、晴れ上がった材木座で完成の式典も行われ、泰時の使者も訪れ、巡検した。
翌八月十日、御成敗式目の編纂が終わった。
五十一ケ条であった。
誰もが喜ぶ事業であったが、不穏な噂が泰時の耳に入った。
「なにぃ、そのような事は許さぬ」
何時も穏やかな泰時の声が甲走った。
工事のことをいっているのではない。和歌江島の築港に伴い、人柱を立てたという噂が、執権の怒りに触れたのだ。
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