第16話 頼家との確執

 建久五年(一一九四)十三歳の泰時は、幕府にて元服した。

 烏帽子親は、尊敬する源頼朝。これ以上の後ろ盾はない。

 この刻、頼朝の命によって三浦義澄の孫娘との婚約が決められた。それは、図らずも遺命となった。

 建仁二年(一二〇二)八月二三日、頼朝の命令に従い正室を迎えた。

 三浦義村の娘だ。

 心通わせた女人と別れたばかりの泰時に喜びはないが、十三歳の元服の折、烏帽子親の源頼朝が決めた許嫁いいなずけだ。否やは無かった。

 鎌倉武家を代表する豊かな御家人の姫さま育ちで、気ままな女人であった。


 真面目で評判の良い夫ではあるが、面白味に欠ける。

 殺傷騒動を起こした武士の成敗を大江広元と父義時が相談していた。その座に連なる泰時は、まだ十八歳だったが、武士の本文、理非を優先する気概に満ちていた。

「訳はどうあれ、人を殺して世間を騒がせた罪は重い。検非違使に引き渡し死罪にするべきだ」

 といい切った。そんな逸話が多い夫だが、少しの自慢にもならない。

 新妻に必要なのは、優しい言葉に、華やかな衣装だ。

 嫁いで早々、「比企能員の変」で比企討伐軍に加わり帰ってこない。

 その翌年に嫡男時氏が生まれた。

 仕事熱心な夫に嫌気がさした姫さま育ちは、無断で実家へ帰えった。残念ながら可愛くない児を置いて、そのまま帰らなかった。三浦はすぐ隣だが、夫の迎えもないまま離別となった。


 回廊の先が賑やかだ。女房らの声に追われるように床を這うのは、もう赤子とはいえない時氏だ。角を上手に曲がって顔を上げた。

 母に去られたことも知らないままに、赤子に戻り這っているのか。己と同じ境遇にしてしまったのだと足を止めたまま、我が子を見つめた。

 後を追った女房が、泰時を認め、慌てて手をだすのを小さく止めて、倅を待った。

 幼子は、しばし見上げた顔に誰だと不審を広げる。

 お前は、父の顔を覚えていないのか。

「さあ、来い」と声をかけると、立ち上がり覚束なくも歩いて来る。

 数少ない嫡男との親子の場面だ。


 二代将軍となる頼家と泰時は一歳違い。長じれば、主従の立場を越えて、互いに気になる存在だ。

 頼家は、比企の家に育ち、婿入りしたも同然で我が儘まま一杯に育った。

 比企一族を侍らせ、遊び暮らす。京から師を招き、蹴鞠に明け暮れる。

 そんな折、野分が吹き荒れ、鶴岡八幡宮も被害にあった。当然、鎌倉中も滅茶苦茶となった。

 それでも頼家の蹴鞠三昧は止まらない。

 泰時は、将軍といえども、いや将軍だからこそ、慎まねばならないだろうと側近に注意した。

 それを聞いた頼家は「出しゃばりめ」と憤然と声を上げた。

 次代を担う二人が争うのは避けねばならぬと、謹慎の意味を込めて伊豆行きを進める者がいた。

「急用があり勧められなくとも、帰るつもりでした」と語った泰時は、早々と馬上の人となった。

 太陽が溢れ、緑が白っぽいほどに、光を跳ね返している。

 目を凝らせば、山々が田畑が本来の彩を失っているのだ。

 伊豆に入る直前に、街道の脇に不穏の気が生まれた。

「あれは、何だ? 人ではないか」

 遠目の利く馬上の泰時の声に、かちの従者が駆け出し、瞬く間に駆け戻る。

逃散ちょうさんの落ちこぼれかもしれませんが、腹が減って動けぬのでしょう」

「飢餓は、それほどに酷いのか」

「しかとは、分かりかねますが、死者も出ているのでしょう」

「お救い米の準備は出来ているか」

「はぁ、少し遅れておりますが、一刻もせず米俵は届きます」

 軽く振り向いた泰時は、北条の郷に向け駒を速めた。


 急用とは、北条の郷の不作を耳にして、現地を見たいと思っていたのだ。

 借用した出挙米すいこまい(貸し米)を返せない者が多々出ていた。返済の責めに耐えられず、逃亡者が出ていた。泰時は、証文を集めて焼き払った。今後も返す必要はないと告げ、命より大切となった米を振舞った。

 鎌倉へ帰る泰時を多くの農民が見送った。手を合わせて額ずく者もいた。

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