第15話 生意気な泰時

 新しい時代の始まりだった。

 飯島の岬から上がる朝陽も、ゆったりと穏やかだ。

 鎌倉幕府を引っ張ることになった北条泰時も落ち着いた所業で慈悲深いと評判が良い。

 尼将軍政子も未だ健在だ。

 しかし、相談もなく必死に動き回る甥の泰時をじっと見つめる政子の口中には、苦虫が住み着いていた。

 評判の良いだけでは、天下を動かしていけるとは思えない。

 政子の不満の目は、日々育っていく。

 子供の頃は、そうではなかった。



「金剛、お手柄でした」

 何時ものように声をかけて、差し出した右手に菓子。

 泰時は、もうそんな子供ではないぞと思いながらも笑顔で受け取る。

「まだ甘い物が好きか」

「はい」

 と、殊の外、子供らしい声で応える。

 お手柄とは、流鏑馬で見事に的を射抜いたことだ。もう元服も済ませ、金剛ではない。しかし、菓子が嬉しいのではない。政子の笑顔が好ましい。

 もの心ついた頃には、傍に母も乳母もいなかった。父は留守勝ちで、仕えてくれる女房と爺だけだ。

 華やかな女行列の先頭を来る女人は、地味な衣を翻し笑顔をくれる。

 この人は、母上かしらと思ってしまう。

 その膝目指して突進して、しがみ付いても怒られない。

「金剛」と、何時も両手を伸ばし呼んでくれる。


 政子が嫡男頼家を生んで間もない頃、泰時が生まれた。頼家は乳母の実家比企家に奪われるような形で、ろくに抱くことも叶わなかったと知ったのは、後のことである。

 なぜか一人で遊んでいて母も乳母も近辺にいない児を政子は可愛がってくれた。心置きなく「金剛、こんごう」と呼んで、抱きしめてくれた。


 *


 泰時は、寿永二年(一一八三)、北条義時の長子として鎌倉の地に誕生した。

 祖父の時政ら北条一族が源頼朝の挙兵に従い鎌倉入りして三年目。

 源平合戦は始まったばかりでまだ勝ったとはいえず、鎌倉に槌音を響かせ街づくりに余念がない頃だ。

 源頼朝の従兄弟である木曽義仲が、畿内の源氏武将を従え大軍で京都へ入ったのも、この年であった。

 父親の北条義時二十一歳、並み居る武将の端に座っていた。

 源義経よしつねの顔も見える。

 源氏の統領に立とうとしている義仲を如何に倒すか、喧々諤々。

 前年には頼朝の嫡男頼家も生まれているが、尊い命の誕生を寿ぐ刻は少なかった。

 これから、義仲を討伐。

 平家を追って西国を血で染め、壇ノ浦に安徳天皇をも沈めた。

 さらには、鎌倉を勝利に導いた弟らを次々に殺して得た血色の勝利。

 知らずに育った幼子たちは、取り敢えず幸いといえよう。

 建久三年(一一九二)源頼朝が征夷大将軍となった。後白河院の院宣であり正仁位に栄転。

 鎌倉幕府の体制も整ってきた。


 一昨日、鶴岡八幡宮の脇道で、すれ違った御家人が訪ねて来た。馬上で見下ろしていた多賀重行だ。

「金剛どの、先日は失礼した。余所見をしていて気付かなかった。これは詰まらぬ菓子だが、まあ、納めてくれ。京下りの品だから、甘くて旨いぞ」

 金剛は、思わず両手を後ろに回した。

 金剛が十歳の頃の話だ。

 北条一族は源頼朝の外戚として高い序列にある。子供とはいえ、下馬の礼を取らなければいけないはずだと誰かが讒言ざんげんした。

 重行は、「非礼は働いていない。金剛少年に尋ねてほしい」と言逃れた。その足で、金剛を訪ね甘い菓子を渡たそうと試みたのだ。

 金剛の元にも、問い合わせがあった。菓子は賄賂だと察し、受け取らなかったが、大事にすることもないと、「非礼はなかった」と答えた。

 しかし、結果は嘘つきとして重行の所領が没収された。

 そして泰時には褒美として剣が与えられた。

「ああ、上手くいかないものだなぁ」と少年金剛。

 何と可愛げのない子供だと自ら思ったものだ。

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