第14話 第三代執権職

 嘉禄元年(一二二五)七月十一日、北条政子が逝去した。

 上下を問わず、多くの男女が出家した。

 鎌倉の町はふさぎ込み、飯島の岬に上がる朝陽も悲しみに暮れ鈍い輝きとなってしまった。町相撲は禁止され、祝いごとも先送りだ。

 鶴岡八幡宮の放生会も延期され、音曲の消えた街に、配流となっていた伊賀の兄弟が恩赦を受けて帰参した。尼将軍逝去に伴う恩赦で戻って来たのは如何なる縁か。

 亡くなってしまった義母の伊賀の方は、もちろん戻れない。愛情深く接した義母ではなかったが、弟妹の為にもときを見て鎌倉へ迎え入れるつもりではあった。あまりに早い死去に落胆が大きいと思い、弟妹を見舞ったが、何をしても詮無いことだ。


「伊賀の変」とよばれるこの事件は、北条泰時が執権として誕生する際に大きな係わりがある。

 父の北条義時が突然死んで、鎌倉は騒然とした。当時、六波羅探題として京都にいた泰時は、尼将軍政子に呼び戻され、急ぎ鎌倉を目指したが、直ぐに鎌倉中には入らなかった。

 義時の後妻であった伊賀の方の兄伊賀光宗が、甥である政村の執権就任と、姪の婿一条実雅の将軍職就任を画策した事件が露見したと聞いた。

 光宗は、鎌倉御家人の中でも実力があり政村の烏帽子親である三浦義村と結び、大方画策成したというのが、罪状だ。噂が噂を呼んだが、泰時自身確証が得られないまま事は進み、成敗が確定した。

 伊賀の一族は、所領召し上げとなり配流が決まった。

 女人では稀な二位という高位を賜る北条政子が正式に決裁した。

 その公文書は、「二位家御成敗にいけごせいばい」と呼ばれる。

 この間、最大の味方であった政子であるが、その仕置きに不審の匂いがあり、これで良いのかと思案している間に、事件は解決され、泰時は幕府を率いることになった。

 座っていても仕事は沢山あるのに、問題はないかと歩き回るので、泰時は多忙を極めた。

 叔父である北条時房が共に歩んでくれた。まだ連署(執権の助役)という職はなく、二人で分担して幕府を引っ張った。時房と泰時は、共に承久の乱を勝ち抜いた仲である。

 叔父と甥は、戦友であった。

 正月の行事など華やかな表舞台は時房に任せ、裏方でせっせと働く泰時は、家庭を顧みない働き蜂。今までの鎌倉幕府の最高権力者とは何処か違った。

 無理にも泰時を執権に据えた伯母政子であったが、親鳥の羽の内に留まるということを知らぬ幼鳥を政子は、落胆の目線で睨んだ。とはいえ、幼鳥もすでに四十代。その姿とは裏腹に、その身内は働くのが好きなむつけき中年男だった。

 北条時房と姉政子の仲が上手く行っていたか定かでないが、泰時と伯母政子は、複雑な視線を取り交わした。

 幼い頃が懐かしい。母なし児である泰時は、何時も政子の後ろ姿を追い求めていた。

「この方は、母者ではなかろうか」と思っていたことがあるなぁと思い出す。


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