第12話 それからの鎌倉

 伊賀が、最後まで迎えを待った息子である北条政村は、音なしの数年を経て二十五歳で幕府の職に就いた。母親の迎えが叶わなかった代わりに、配流になっていたその兄弟たちを呼び戻し幕府の職に就けた。

 泰時とその孫時頼に仕えたが、次々に若死にする執権の後を襲い第七代執権に就き、母の悲願を達成した。その時、六十二歳。

 何事も長生きしなければ成し遂げられないと、秘かに小躍りして喜んだという噂がある。


       *


 政村どのは、信頼に足るお人柄だといわれているのは、政村自身知っている。

 不満はない。

 兄である泰時を見習い、人を裏切らず、誠意を尽くし、この鎌倉のために生きてきた。

 ここ常盤邸も七口の一つ大仏切通の外で、いざという時の砦の役目だ。

 政村が安座するのは、屋敷の中央の濡れ縁で目の前には梶原山の緑が勢いを増し迫って来ている。

 年も明けて二月も末、新暦でいえば、四月も下旬である。

 鶯の初鳴きも済み、一人前のつもりの幼鳥が幼い喉を聞かせている。

 蕗の薹の季節はとうに終わり、膳の中身も彩り豊かになってきた。山菜の新芽を食べるのは、政村の楽しみの一つだが、それも若い頃に比べれば、色褪せた楽しみだ。年と共に食が細くなってきたが、食欲はある。腹を一杯にしていないと落ち着かないのは、若い時の切ない経験のせいだ。同じ頃に爪を噛む癖もついてしまった。


 第二代執権北条義時の五番目の子供として生まれたが通称四郎であった。兄にあたる四番目の子供の母親が義時の側室で身分が低いため、六郎と呼ばれた。

 九歳で時の将軍源実朝の館で、元服した。烏帽子親は、父に次ぐ有力御家人の三浦義村で「村」の一字を与えられ政村となった。

 母は、義時の三人目の正妻で、後に伊賀方と呼ばれた。

 有力な後見を持つ政村は、心身ともに豊かな環境で成長した。

 その人生に大きな転機が訪れたのは、二十歳の時であった。

 大きな力を持つ後見達が、父義時が死ぬと嫡男泰時を退けて、政村を執権に立てようと画策した。世にいう伊賀氏の変であった。

 結果は、伊賀氏一族の敗北となり、政村の近しい人々が配流となった。この時、政村は罪を問われることはなかった。しかし、十歳の子供ならいざ知らず、二十歳の青年が関与していないなど考えられない。本当に、知らなかったとするならば、それは愚鈍の証とも思われたが、排除されそうになった三代執権泰時が、二十二歳年下の異母弟政村の罪を不問としたのだった。

 政村は、家の奥に閉じこもった。息を吸うのも遠慮化な生活にやせ細った。

 異母兄の泰時が怖かった。「許す」というその言葉の裏で、何を考えているのか分からなかった。きっと何時か刺客が差し向けられ、命を奪われると思い込んだ。

「若、もそっと食事を召し上がれ」

「少しは、外歩きなどしなされ」

「お相手仕る。太刀稽古など致しましょう」

 爺やや近習たちの言葉も煩わしいだけだった。

 食べ物の代わりに指の爪を噛んだ。人差し指の爪がボロボロになると中指の爪に移った。それも噛みつくすと薬指へ。右手の爪の次は、左指へと移動した。意識した訳ではない。ぼんやり庭を眺めながら口寂しさを紛らわした。

 泰時への憧れを「プゥ」と膨らませると、恐怖が「シュー」と少し潰れる。おお、これはいいぞと更に憧れの風船を膨らませ、泰時への恐怖を押し潰す。このまま続ければ、そのうち恐怖は「プツン」と消えて無くなるだろうと楽観したが、すべて消え去る前に泰時は死んだ。

 その後も、執権が次々と若死にした。

 第七代執権に、転がり込むように就いた。


 この鎌倉に生まれ育ち六十余年。

 鎌倉幕府の波乱は、政村の波乱でもあった。

 幕府開闢以来の大きな波乱が遥か西方の彼方から押し寄せてくるのだが、目に見えないし、風も感じられない。

 国を揺るがす大波は、庶民はもちろん、武家たちに理解させるのも困難なことだった。

 そう悩む政村自身、確かに理解しているとはいいかねた。

 後に『蒙古襲来』と呼ばれる国難だが、誰も思い及ばず身構えることはない。


「さて、取り敢えず誰にも見える確かな事柄として済ませてしまおう」

 政村は、ひとりごち立ち上がった。

 文永五年(一二六八)三月五日、政村は執権を北条時宗ときむねに譲り、再度の連署となった。


 時に政村六十四歳。執権を退き隠居した訳ではない。八代執権時宗の連署に下ったのだ。

 一度執権職を務めた者が、連署に回るなど聞いたことはなかったが、人の噂など何するものぞ。

 そんな些事に係っている暇などないのだと思い至れば、兄泰時を見習い、清廉を貫いた政村にとって、いかほどでもない決断だった。

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