第8話 憂悶


 報せが来ない。

 伊豆の北条の郷はどうなっている。

 何をしているのだろう。

 あの丸々と肥えた女子は。

 政子は、何もすることがない。

 執権に据えてやった泰時は、どんどん仕事を進めるが、困ったことなどないのであろうか、この尼将軍に相談にも来ない。

 ええぃ、恩を仇で返すか。

 常に読経に励む政子だが、「南無」と口は動くが心は伴わず、思案の渦は伊豆に飛んだり、幕府の侍所に忍んだりする。

 泰時は、相談もなく父親義時の遺産を処分した。

 数多いる弟妹に、惜しげもなく分け与えたのだ。

 同じ広さでも、物成りの良い土地と瘠せた土地がある。近場な豊かな土地を妹に与え、僻地の瘠せ地を己のものとした。

 美談のようだが、執権として地位を保つための財が必要であろう。

 あげれば良いというものではない。

 困った者が出れば、助ければ良いのだ。

 何を考えているのか。

 相談に来い。相談に。

 この尼が、お前を執権にしたのだ。

 ゆめゆめ忘れるな。


 小さい頃の金剛(泰時の幼名)は、可愛かったなぁ。

「こんごう、金剛」と呼ぶと、足元も覚束なく突進してくる。

 じっと目を合わせ、小さな両手を精一杯伸ばして愛情を掴み取ろうとした。

 それに引き換え、同じ年頃の吾が子頼家は、遠くから伺うように睨み付け、乳母の元に駆け戻って行く。


 二人の姫を相次いで亡くした時は、母の嘆きで身を震わせた。

 ただただ、悲しい母親であった。

 息子を亡くしたことはない。息子などいなかった。

 二人とも、将軍さまであった。

 生んだのはわれだが、すでに母親ではなかった。

 二人を吾の息子に引き摺り降ろし、よよと泣きむせぶなど許されることではない。

 夫を殺したの、倅を殺したのと噂の嵐が吹き荒れても、胸を張って鎌倉幕府を引っ張った。

 関東武士を鼓舞し、朝廷に弓引く軍勢を送り出した。

「承久の乱」と呼ぶそうだ。名称など何でもよい。

 出発しながら、引き返し、何度も天皇に弓引いて良いのかと確認したのは、へっぴり腰の泰時、お前だ。

 戦う時は、相手が誰であれ、全力で進まなければならない。

 鎌倉幕府を守るには、関東武者を守るには、己の気持ちなど無視して掛からなければいけないことばかりだ。

 わたしは、戦った。

 女子の身も顧みず関東武力を引き連れ戦った。

 女子の身を前面に押し出して、京の女子と戦った。

 夫頼朝が憧れた京女。白い顔に黒い腹。幼い頃より礼儀作法や教養と共に、閨の術も学んだ女どもだ。

 その女どもを蹴散らして、女子の最上位といわれる従二位を賜った。

 欲しいといった訳ではない。くれるといわれたのだ。


 ああ、報せはどうした。

 あの真ん丸な女子一人に任せたのは、間違いか。

 いや、いや、無名の女子を使ったのは良い策であった。

 幕府の間諜などは使えば、いずれジワジワと噂となって沁み出てしまう。


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