第6話 追放

 伊賀の禅尼は、翌日一日休んだだけで伊豆へ旅立った。

 貞応三年(一二二四)八月末のことであった。

 小さな行列に、不機嫌に曇った鎌倉湾から早や秋風が吹き付けた。息つくさえも遠慮気味な葬列は悲し気であったが、輿の伊賀の顔は、思いのほか明るかった。密かに殺意を抱き、息をつめていた頃に比べれば、これ以上、悪くなることもなかろうと思われたのか、憑き物が落ちたように落ち着いた風情である。

 昨夜は、腹を痛めた陸奥四郎(北条政村)と二人だけで語らった。

「辛抱いたせ。おとなしく、目立たぬようにいたせ。いずれ時が春を告げる。何方さまもいずれ彼岸を渡る。そなたはまだ若い。よいな」

「はっ、母上さま。息災でお過ごしください。この四郎が、お迎えにあがるまで……」

「ようゆうてくれた。きっときっと迎えに来てくだされ。待っておりますぞ」

 四郎は、親の欲目ばかりではなく、可愛げのある子どもであった。屋敷で働く下々の者へも隔たりのない稚い眼差しを向け、庭の草花を「これは何か」と尋ねたりするのだ。父親の義時はいうに及ばず、辺りの者をうっとりさせるほどの愛らしさであった。

 母のいいつけか、今朝の見送りの中に四郎はいなかった。朝まだき、しばし辺りを見回した伊賀は、小さく微笑み輿に乗り込んだ。穏やかな息子に不服はないが、今少し、この母の為に憤ってくれても良いではないかとも思ってしまう。

 輿に揺られながら伊賀の思案も右に左に揺れる。

 四郎の下にも子供はいる。心配ではあるが、執権北条義時の血脈だ。そうそう粗略には扱われないだろう。

 やはり一番の心配は、「四郎」という嫡男名を賜り、執権職を狙うと思われる四郎だ。

 自ら企んだわけではないが、軟弱なゆえに流され神輿の上に乗ろうとしたのだ。ことが発覚してからは、声もなく奥の間に閉じこもってしまった四郎。三浦義村も伊賀の一族も、そんな年若な四郎を予想していたのか、誰もが「四郎は関わりない」と口裏を合わせたわけでもないのに、庇った。「おとなしくしておれ」と命じはしたが、剣を握って、この母の流罪を阻止すると騒いでも欲しかった。矛盾する己の思いに戸惑いながらも、薄っすらとした不満をいだいてしまう伊賀であった。

 それに比べれば、三浦義村の娘婿である一条実雅卿の決心のほどは立派であったと思えてしまう。今の将軍を廃して、自分がそれに替わろうというのだ。その覚悟のほどは見事といえよう。やはりお公家の方が腰が据わっているのであろうか。後鳥羽院さまさえ、鎌倉幕府に反旗を翻したではないか。その院さまさえ隠岐に流罪にしたのだ。それは、夫の北条義時の鬼働きといわれるが、その陰にあの尼将軍がいたことは間違いない。そして、大軍を率いて実際に戦ったのは、他でもない此度の怨敵泰時であったと思いめぐらす。

 そもそも、泰時を排除しようと密談したのは、泰時が政村の命を狙っているという噂が鎌倉を駆け抜けたせいだ。

 兄の伊賀光宗が、甥である政村の執権就任と、姪の婿一条実雅の将軍職就任を画策した。光宗は、鎌倉御家人の中でも実力があり政村の烏帽子親である三浦義村と結び、大方画策成っていた。

 何処から漏れたのか、伊賀は知らない。

 北条泰時は、義時の長子であるが、次期執権と決まった訳ではない。身分の高い伊賀氏の娘である妾が生んだ政村が執権になって何が悪い。幼子ならともかく、すでに元服し二十歳にもなっている。もし、政村が執権になったら北条一族の権力が落ちると思ったのだろう。

 己の産んだ息子らを屠ったあの尼将軍政子なら、政村を亡きものとするくらい眉ひとつ動かすまい。

 政子は素早く動いた。三浦義村を説得し、義時の長男・北条泰時を執権に就任させた。

 兄の光宗は信濃へ、一条実雅は越前へ配流となった。

「妾は伊豆北条へ、ああ、みな居なくなってしまい。いずれ政村は殺されてしまうのだ」

 思わず漏れた呟きに、輿の傍を歩く三条が覗き込んだ。

 伊賀の思いは留まることを知らず、過去へと飛んで行く。

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