第4話 成敗

 三条は、京の下級公家の家に生まれた。貧しい公家の娘は、金持ちの公家の屋敷で働ければ、幸せといえる。その性を巷に売らなくてすむ境遇を有難いと思わねばならない。

 三条の細やかな幸せであったが、実家の更なる困窮の愚痴が届いた時、その売り者になる恐怖に震えた。そんな折、鎌倉へ下る主家の供が決まった。実家の貧しさから逃れるように東国を目指した。

 三条は決して美形とはいえない。平凡な顔は、記憶に薄いらしくなかなか覚えてもらえない。しかし、その立ち姿はその挙措と共に美しく、遠目美人であった。京育ちというだけで、眼差しに羨望が混じり、小さな自信が生まれ新しい生活に希望を抱いた。

 一年が過ぎようという頃、鎌倉に馴染めなかった主家が京へ戻ると急に決まった。

 京へ戻りたくない三条に、人出が足りないという執権義時の後室である伊賀の方の屋敷勤めを薦める話が持ち上がった。

 三条は「はい」と即答した。

 お屋敷に伺うと、若さま(北条政村)が生まれたばかりで、祝賀に沸いていた。仕事は、沢山あった。伊賀の方には、多くのお付きの女房がいたが、京で公家務めをしたことのある三条は、何時しか伊賀の方の傍近くに仕えるようになった。

 宮古みやこと名乗っていた女子に「三条」という新しい名が与えられた。

 伊賀が名づけたのだ。

 伊賀の方は、朝廷勤めの女房風に宮古の父親の身分を呼び名にしようと試みたが、従五位の下にも達していない。

 曾祖父は従五位下であったようだが、なぜだか宮古の父親は七位であった。公家とも呼べぬ身分であったが、十歳になると、口煩いのが生き甲斐のような中級公家に口減らしに遣られたのが、今の三条の助けになっている。

「七位のう? しちとするか」

 軽く首を傾げてみせた。

「何処に住んでいたのじゃ」

「三条でございます」

「おお、良いではないか。三条にいたそう」

 三条と呼ばれ、「そんな畏れ多い」と少し目を丸くしてみせると「良いのじゃ、良いのじゃ」この鎌倉では誰も気にはせぬと笑った。

 初めて生んだ長子を乳母に持っていかれ、乳が張って痛いと涙ぐむ。

 女主は、まあ、可愛い人であった。

「お公家方では、こういう時は如何いたすのか」

 伊賀は、囁くように聞く。

「はい、お方さま……」

 京風を即答する三条は、嫉妬の視線で羨ましがられた。

 あれから幾年経っただろうか。三条は年を重ね楚々とした身体に、海の幸、山の幸、伊賀の美食のおこぼれが付き、ころころと肥えた。いまや泰時もゆるりと貫録を増し、次期執権として日の出の勢いであった。

 そしてあの日、まだ寝苦しく蒸し暑い七月五日、遣戸も締め切った女主の屋敷の奥に集った面々からは、隠しても隠し切れない熱気が、酔ったように匂い立っていた。

 三条は、密談の詳細は分かりかねたが、その酔いに身を任せふらりと宵闇に迷い出た。

 初めて泰時の面前に丸い身体を丸めた。顔を伏せたまま、伊賀一族の動向を告げたが、泰時は驚くことなく「心変わりしないと誓い合ったとは、神妙なことだ」と、微笑んだ。

 決死の報告は、讒言ざんげんと受け取られたのであろうと、三条の血潮が逆流した。

 穏やかな泰時の目が「そなたは主を裏切ったのか」と語っているではないか。頬をこめかみを真っ赤に染め上げた熱は、すかさず駆け下り、手足を冷たく満たした。

 敗北感に打ちのめされた瀕死の三条は、気がつけば伊賀屋敷に戻っていた。

 何事も起こらない敗北の一月ほど後、伊賀の一族は、所領召し上げとなり配流が決まった。

二位家御成敗にいけごせいばい」と呼ばれる公文書で、北条政子が正式に決裁した。

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