第3話 春情
部屋に運ばれた伊賀に浮世の華やぎを映した夜衣が与えられた。傍に侍る三条の震えが幾らか収まった頃、廊下から呼ぶ声があった。
政子の部屋へ呼ばれたのだ。
遣戸の前で小さく平伏した三条に、激情を捨て去った老尼が穏やかな目を向けている。
先導の女房に、押し込められるように室内に入った。
「そなたの名は」
「三条でございます」
と小さく答えたが、老耳には聞こえなかったのか
「名を申せ」
再度、詰問され、三条はまたしても震え上がる。
人払いをしたのか、部屋には政子と三条の二人きりであった。
「そなたは、陰謀があると
「はっ、はい」
忘れた呼吸を思い出し、高めた声がかすれた。
「なぜあの日、泰時どのの屋敷に走ったのじゃ」
「……」
京への憧れが強い伊賀は、都下りの三条をいたく信頼していたが、この女房は裏切り者であった。
不穏な気配を察知した三条は、義時の長子である泰時の元に走った。
声が聞こえた。降ってくる熱い声が身内に響いた。
「行け、今だ。今を逃しては、長年焦がれた殿御に会えなくなるぞ」
裏切りと分かってはいたが大胆な行動を起こしたのだ。誰にも知られていないと自信があった。
「
政子の声がすべてを差配する。
「ぁ、有難きお言葉……」
「そなたのお陰で、伊賀一族の陰謀を未然に防ぐことが出来た。無駄な血を流さずにすんだのじゃ」
「……」
三条は答えられない。なぜならば、未だに己の気持ちをはかり兼ねているのだ。
政子の遠慮のないため息が漏れた。
「泰時どのを存じていたのか。何処で会ったのじゃ」
三条は、女主伊賀の義理の息子であり次期執権に就こうという泰時を、見知っていた。
鎌倉へ下って来た頃だ。
話しをした訳ではない。
館の裏門を出たところで、ぶつかりそうになった。思わず目くらべみたいに、にらみ合った。もちろん誰かは知らなかった。若さを惜しげもなく発散させている姿に似合わない落ち着いた顔立ちの東男の瞳は、憂いなく澄んでいた。
三条が瞬きをすると、男はことの他優しい眼差しに小さな笑みを滲ませた。三条の身の内から赤い焔が燃え上がり、頬が紅に染まった。その赤を隠すため思わず俯いた目線の端で、男の足元がさらりと音を立て、歩み去った。思わず、その後ろ姿を追った。
いや、追ったのは、三条の萌える目だけだ。
二人とも、すらりと頼りなくまだ若かった。
その後、
近づくことも、「あの時はどうも」と話すことも、また目を合わせ目くらべすることも、もちろん叶わない。
しかし、三条の孤独な鎌倉生活で、叶わないと分かっていても、好ましい殿御がいるということは、励みであった。何かと評判の良い泰時を慕うことは、己を大切に思うことが出来る。
是非にという縁談も「伊賀の方さまのお傍に、も少しお仕えしたい」と断わり、年を重ねた。泰時のことを考え、見悶えた夜もある。一度も男に触れられたことのない身体でも、その内から燃え上がる情熱はあるものだ。秘密の場所が誰の悪戯かドクンドクンと騒ぐのだ。
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