38話 者、物

「あの、ミコトは……フラスコにいる限り、ミコトは出てこれない……ん、です、か?」

 一瞬眉をひそめて、渋い表情で口ごもった旦那さんだったけど、

「俺の方が優先度が高いだけで、いつでも入れ替われる。密閉空間でなら、あいつが表で体を使って、俺は知覚だけしているということもできる」

「そう……! そういうことも、できるんだ……良かった」

 わたしは無意識にレオンの方へ顔を向けていた。そしたら、あっちもまったく同じタイミングで、わたしと目があって……二人して噴き出してしまった。

 なんだか、空気が和んだというか……気がつくと、

「皆、なんかちょっと元気になりました……?」

 さっきまでの殺気立った雰囲気が、嘘みたいだった。旦那さんも険が取れたように思う。


「当然よ。赤ちゃんが生まれたら、周りが明るくなるに決まってるもの」

 にっこり笑って、ガウリさんはわたしの頭も優しく撫でる。こんなの、最後がいつかも思い出せないけれど……気恥ずかしいようなくすぐったいようなこの気持ちは、嫌じゃない。


「それにね、研究者だもの。未知の部分に触れて、それが解き明かされることにワクワクせずにはいられない。……さて」

 しゃがんでいたガウリさんがすくっと立ち上がって、旦那さんと向き合う。

「あなたは……ううん、先に、最後に、これだけ聞かせて」

 そこで言葉を切ると、またわたしに向き直って、

「これまでに、マリちゃんしか知らないこととか、普通ならどうやっても知り得ないことを話されたことはあった?」

 それならば、もう腑に落ちていた。自分の名前に負い目を感じていた件だ。ガウリさんに簡単にそれを説明する。ちょっと、レオンには悪い気がしたけれど。


「ありがとう」

 ガウリさんは柔らかく笑って、旦那さんへ質問をぶつける。

「私達が知るホムンクルスは、この世界のあらゆる知識を生まれながらに知っているはずです。実際にあなたは、他人に話さないような、まして面識のない人の独り言でさえ知っている。なのに何故、さっきから自分の予想とかそう言う言葉を使うのか? それが、最後の質問です」

 最後? わたしが疑問をさしはさむより早く、旦那さんは返答を開始する。


「お前たちが考えるほど、ホムンクルスってのは万能じゃあない。全ての知識を持っているというのも語弊がある。出来るのは、あらゆる物理現象の観測だ。つまり過去から現在に至るまでのあらゆる映像だろうが音声だろうが、地球だろうが宇宙だろうが、俺は知ることができる」


「そうでなければ、ここへはたどり着けない」

 旦那さんの言葉に、学長が更なる説得力を与える。そういえば……わたしも口を開く。


「つまり、起こったことしか解らない? わたしがほっぺをこねくり回した時も、旦那さんはきっと首を絞められると思ったから、わたしの腕をつかみ損ねた」

 さらに、そこから導き出されるもう一つの性質がある。


「他人の考えてることが分かるわけでも無い、ん、ですね?」

 旦那さんの表情で、たぶん余計なことを喋ってしまったと分かった。変な敬語でしどろもどろになっているところに、レオンが驚いたような飽きれたような顔で、

「意外と……無茶、やったんだな」

 妙な空気になりそうな所で、旦那さんが咳払いをした。途端、また皆が聞く姿勢に戻る。


「だが俺の……密閉空間から出て生きているホムンクルスというのは、サンプルが俺しかいない。比較対象がいないという点。そしてそこのお喋りが言った通り物理現象ではない、精神の部分だからそういう言い方しかできない。これで答えになるか?」


「それは『予想』についての?」


「ん? ああ、そうか。そうだ。ホムンクルスが半分人間と言った時に、俺は自分の予想だと言ったな。……俺にとっては、過去も今みたいなものだ。気をつけていないと、時制も話題もずれる。……付け加えておくが、パラケルススが造ったホムンクルスが死んで、俺が生きている理由も正確には答えられない。予想は出来るがな」


「それは?」


「俺には全知と引き換えにしてでも、外に出て成さねばならない目的が存在した。自分に与えられた唯一の取柄と引き換えにしてでも、成さねばならない目的が」

 すっと旦那さんが視線を動かした。皆の目もそれに続いて、一つに纏まる。わたしの腕に抱かれているカナへと。


「……賭けだった。たった一つのサンプルしかない状況で、俺はカナが人間として目覚める方に賭けるしかなかった」

 短く息を吐くと、旦那さんはレオン達へ視線を戻す。

「……もののついでだ。もう一つ、ホムンクルスの性質を教えておこう。ホムンクルスの半分は人間だ。なら、もう半分の〝俺〟は『何』か? 

……俺は自分のことを『物』だと思う。だから」


『『『『こんなこともできる』』』』


 集中して旦那さんの話に耳を傾けていたから、飛び上がりそうなくらい驚いた。見れば他の三人も同様のことが起きたらしい。

 耳慣れない声だった。だけど、どんな声よりも聞いた声。自分の声が、私の耳のすぐ横から、本当に隣にいるような距離から聞こえたのだ。


「お、おいなんだ、今のは!?」

『お前達が固体でやることを、俺は気体でもできる。声も音も振動、物理現象だからな』

「おっ……! 普通に喋れ! 普通に!ジジイから内線がかかってきたのはこれか……!」


「そうだ。お前たちは生物で、分子の結合の仕方や組成を理解した上で初めて手足の延長のように、物体の形を変えられる。だが物理現象が手に取るように解る俺は結果として、理解どうこうではなく自身が『物体』という認識で、一体と言ってもいい。俺は意識を持った『物』だ」

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