35話・前編 鼠捕り
――数十分前。
最悪の寝覚めだ。
ドでかい警報でベッドから転げ落ちるし、部屋は俺の頭みたいに真っ赤に染まってやがる。目が覚めているのに、悪夢が始まったらしい。
すぐに内線が入った。おいおいエアー漏れかよ、開設以来の大事件じゃねえか。
気密扉はロックされて身動きはとれないが、無駄にできる時間もない。いつでも出ていけるよう、仕事着へ着替える。待っている間、妙に汗ばんで喉の渇きを抑えられなかった。
「あの時みたいだな」
懐かしさと緊張が混じって、笑みに変わる。そんな感慨に浸っていると、前触れもなく照明が通常の状態に戻った。そして、
『――ただ今の警報は機器の誤作動によるものであり、皆様の安全に直接影響のある事態の発生によるものではないことを――』
耳障りな警報が止まった矢先に、お堅いアイツの声がスピーカーから流れてくる。
「エアー漏れだぞ……?」
鳴り出してから、部屋のロックが解除されるまでせいぜい五分。
異常だ。宇宙だぞ? いくらなんでも、判断が早すぎる。
「うさんくせえなぁ……シュヴァルツよぉ」
いずれにせよ、管理室で報告を受ける義務がある。胸騒ぎに押されて、俺は部屋を出た。
飛び込むように入った管理室は思った通り慌ただしさに満ちていた。モニターとにらめっこしている職員、内線対応に追われている職員、その中で一人どっしり構えた中年の男に声をかける。
「室長さん! 状況は?」
挨拶もそこそこに本題へ入る。室長がモニタに並んだ数字を指して説明を始めた。
「結論から申しますと、現在は解消されています。ですが、実際にエアーは漏れていました。場所は先ほどの報告通り最後尾ブロックの『倉庫』です。
損失そのものは非常に軽微で、まあ臨時補給は不要と判断されるでしょう。ああそれで、シュヴァルツ研究主任は学長の御指示で『倉庫』へ向かわれました」
「あ? ジ……学長の指示で?」
「はい、騒ぎからほどなくして執務室から専用回線で。主任自らが報告されまして、その時に御指示を受けたようです。お一人ですが、まあ、あそこはあれですからね」
「あー、あそこはな……目視確認にしても確かに俺達ぐらいか……」
あいつ、信頼されてっからな……。
「先ほど、最後尾の隔壁前に到着されまして、汚染や新たな漏れがないことを確認されて、隔壁を解放しました。通路と入り口はそれで……主任が〝外〟にも注意しろと」
「! いや……でも、まーだ海賊が出るような時代じゃあないでしょう。……何かあるとすれば、やっぱ内側の方だと思いますがね」
俺達の研究成果を狙っている連中はたぶん、多い。シュヴァルツの用心深さは必要なことだろうが、何かを持ちだすとすれば物理よりも電子的な手段が現実だろう。
「ええ、内線が繋がってすぐ学長は、保全部隊を最小限に、シャトルと通信設備に最大限人員を割けと。おそらくこれ以上、エアー漏れはないと断言されて」
ジジイは流石に早ぇな……まあ情報を総合すれば自然そうなるだろう。何しろ、エアー漏れの場所が場所だ。
「最後尾ブロック……本当に、そこだけ?」
「ええ、間のメンテナンス用通路からは一切の漏れはないんです。あそこの循環システムは独立してますからね。カメラも遡ってますが、亀裂等の異常はなにも捕らえられていません。O2ファームもセンサーその他に引っかかるものはありませんし、周囲の監視も厚くしています」
おかしな話だった。フラスコの内部容器は二重になってる。あの合金を相当熟知した錬金術師なら穴ぐらい開けられるだろう。だけど、だ。
外部に接してさえいない、漏れようがない所から、空気が流出するなんてことがありえるのか?
「リオ!」
俺がうんうん唸ろうとしているところに、頼りになる声が聞こえてきた。
「おう、ガウリも来たか! そっちも聞いてるだろ?」
「もちろん! 女性棟は特に騒ぎはなかったけどそっちは?」
「いや、こっちも特に問題なしだ」
ちらっと複眼のように設置されたモニタに目をやる。特に通路で騒ぎが起きている様子は確認できない。まあ、出ていくよりは部屋の方が安全だろう。
「内線がパンクしかかってるけどな……で、まあ、ちょっと妙なことになってる」
ガウリもまた、報告を受けると眉根を寄せた。
「やっぱり変ね……流出時間一分もないし。数字が出てなきゃ、本当に誤作動としか……」
「だろ。逆にどうしたらこんなちょろちょろ空気が出ていくのか、見当もつかねえ」
「警報も、まず、あのブロックの循環システムが異常な気流を感知したためですからね」
「断続的かつ一定に抜けていってるから、合金に気泡を作ってるわけでもなさそうだし」
横目でガウリを見る。神妙な面持ちだ。インド人女性特有なのかもしれないが、伏し目がちになると長い睫毛が強調されるのと相まって、神秘的でどうも気後れする。
正装のローブが似合うことも含めて、なんだかそれが、俺には昔っから羨ましかった。
「そもそもあんな曲芸、あの合金を理解してる俺達でさえ相当負担があるからな。目で見えない所なんか動かしたらフラフラだろうよ」
『柱』を立てた後、一週間は動けなかった。脳が疲労するっていうのか、あの感覚は他にない。分子を動かしたとき特有だ。
「室長さん、これから『お客さん』が来る様子はあります?」
物腰の柔らかさと裏腹の鋭い物言いに、俺はため息を吐く。その分、空気が重さを増す。
「レーダー及び軌道上には、現在確認されていないと」
「……マジックの種はいずれにせよ、やっぱこりゃ陽動か」
「シャトルと通信設備の警備は増員されています。鼠一匹逃がしません。研究施設にしても通路にしても、監視体制は万全ですから、不審な動きがあればすぐにでも分かります」
そう、出入り口は一つ。対して見張りの目は無数。派手には動けないはずだ。
「地球のどこを探したって、こんな大きくて頑丈な鼠捕りはないものね」
「まったくだ。こんな騒ぎ起こすもんだから余計……」
自分で言って、気がついた。陽動なんてしない方が、脱出を考えなくたって、盗みも簡単に決まってる。ここまで送り込まれてくる奴が、そんなことも分からないわけがない。
釈然としないものを感じて首を傾げていると、職員の一人がやにわにこう告げた。
「レオンさん、学長から内線です!」
なんだなんだと俺が受話器を受け取って耳に当てると、腹立つくらい普段通りの様子で、
「やあ、リオ。えーと、ガウリもそこにいるよね?」
「あ? あー、あっはい! 到着してます!」
この野郎、周りに聞こえねえからって。改まった感じにすんの気恥ずかしいんだ、まだ。
「じゃあ二人ともこっちに着てくれないかな。手が空かないようなら、リオだけでも」
「……えー、要するに俺は絶対に行かなきゃあならないと……どうしてまた?」
「事の性質上、極端な事態が起きる可能性はもう低い。警備と調査はプロに任せるべきだしね。だから、こっちに来て知恵を貸してほしくてね」
もっともだった。こうなれば場所を取るだけ、俺達は邪魔だ。少なくとも連絡がつく場所にさえいれば、それこそ一まとめになっている方が、警備としても都合はいいだろう。
「まあ、じゃあとりあえずそっちへ……俺の知恵がどれだけ役に立つか分かりませんがね」
「いやあ、こうなると式典のスピーチがね。内容を一緒に考えてほしいんだよねえ」
「…………っ! はあ、そ・う・で・す・か」
「それに、ちょっとお客さんが」頭に上った血が、一気に引く。「ああ、そういう意味じゃなくてね。カメラを巻き戻せばリオに来てほしいって意味が分かると思うよ。じゃ、待ってるから」
一方的に通話が切れて、悪い想像が明確に形を持つ。
「学長室前の映像出してくれ」
俺の様子に室長が顔色を変えて、映像を拡大する。見知った扉が映し出されて、俺が指示を出すより早く、時間を遡らせた。
「ん!?」「あら?」「これは……?」
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