35話・後編 呼び声は誰そ彼

 各々最悪の予想をしていただけに、その二人が映ったのはあまりに意外だった。

「この二人って……リオが日本まで迎えに行った子たちよね?」

「出ていった様子がないですから、執務室にいるみたいですね。この前の映像は……学長が入室するまで、誰も出入りしてませんから、占拠されてるってことはないと思いますが」

「そう、ね。騒ぎを起こす意味がないし」

「余計な誤解をさせる爺だ……」


 思わず、素が出た。まあ偶にはいいだろ。それにしても、だ。

――あっぶねぇぇぇぇ。

 この時間……直前じゃねえか。ミコトのお爺さんが亡くなってたことを、ジジイに慌てて内線入れた……間違いねえ。

  こればっかりは移動しっぱなしだったからとか、疲れてたから、なんて言い訳は通らない所だ。

 正直顔合わせて直接伝えるべきだったとは今でも思うが……実際、俺の落ち度でこんな形になっちまった。

 危うくジジイの顔潰して、ミコトに嫌な思いをさせるところだったわけだ。

 ミコトに、マリ――


「あの二人も来た日にこれじゃ、不安にさせちまったろう……室長さん、後はお願いします。ガウリ、俺は執務室に向かう。行く場所が決まってないならお前も来いとさ。固まってた方が警備はしやすいと思うが」

「ふーん……じゃあ私もご一緒に」

 管理室からガウリと連れだって執務室へ向かう。エレベーター前には命じられた通り、威圧感たっぷりの警備が二人一組で配されていた。

「テーザーガン貰っておけばよかったのに」

「お前だって受け取ってないだろ」

 警備二人に挨拶してエレベーターで居住区へ降りる。籠へ乗るや、

「ねえ、ちょっとリオ。あの子、どうなの?」

「あ? ミコトか?」

「違~う。違わないけど。弟も欲しかったけど。マリちゃんどうなの? どんな感じの子?」

「あ~まあ日本人らしいって言うか、シャイだけど頭は切れる方だし人当たりも悪くない」

「そう……! やっと私もお姉さん役ができるのね……!」

 ガウリは鼻息荒く、ぐっとガッツポーズをした。まあ、気持ちはわからんでもない。あんなに年下の同性とは今まで無縁の職場だ。俺もミコトと会って、嬉しくなったからな。シュヴァルツは絶対に弟じゃねえし。

 ……あいつの兄貴でも弟って感じでもねえしなぁ。まあ、兄弟みたいな実感はどうしたってあるが。


 途中で止まることもなく、エレベーターは居住区へ到着する。扉が開く前に仕事モードに戻った。予想通り、警備員が中をおっかない顔で睨んできていた。いい仕事っぷりだ。

 俺の顔――頭かもしんねえけど――とガウリが並んでいるのを見て、警備はすぐに緊張を解いた。俺達は二言三言労いの言葉をかけたあと、執務室へ歩を進める。

「俺達は『夜』だって感覚ができてるけど、ミコトとマリは今日来たばっかで、慣れも何もねえ。それでこんなんじゃあ。不安だろうな……」

「ずいぶん先生らしくなってきたじゃない」

「全然だよ……でも、ミコトとマリはやらねえぞ」

「いいわよ。私はお姉さんがいいから。先生は、リオがいいのよ」

 くすぐったくなる話をしているうちに、執務室の扉が見えてきた。俺は先行して据え付けられたモニターに小走りで向かう。と、

「やあっと来たか!」

 扉の前に立とうとした途端、ジジイの声が部屋から響いてきた。

「なっ……! なんで分かった!?」

「おお、やっぱりリオか。今、解った。ロックは解除したから、入ってきなさい」


 ……ここまで自分のアホさを自覚させられると、脱力感が覆いかぶさってくる。横でくすくす笑ってるガウリをどやす気力も湧かない。

 はあ、とため息をついて、俺は左右のドアノブを捻った。


――――。


 一瞬、俺もガウリも目の前にあるものが理解できず、固まった。

 何とかそれを理解した後、俺は迷った。だけど、ガウリは、

「ただ今到着いたしました」

 と、何食わぬ顔で俺の背中を押して、執務室へ入った。

「おっ、おいっ! ガウリ!」

 俺が振り返ると、ガウリが険しい顔で口の前で人差し指を立てていた。もう片手は後ろ手に扉を閉めていて、その目は俺の後ろにあるものに注がれている。

 俺はその時ぞっと背筋に鳥肌が立って、部屋を見回した。俺と、ガウリだけだった。少なくとも、刃物を持った奴や銃を構えたやつはいない。だけど、

「あれは……ジジイの声だったはずだ!」

「安心なさい、私も聞いたから。それより、これよ」


 ドアの先にジジイの姿はなく、代わりに俺達の目に入った物。それは文字だった。

 俺達の目線の高さにあつらえた、お手本のような英字。最初にその内容に驚いて、踏み込んでから、それが床から伸ばした合金で作られていることに気づいてまた驚いた。真っ黒なネオンサインを思わせる一筆は、こう言っていた。


『ゴルドシュミットの命が惜しければ、二人とも騒がず中へ入れ』


 ガウリはこれに、冷静に、いや冷徹と言っていい判断で、この部屋へ踏み込むことを選んだ。

 たぶん俺は――背中を押してもらって、助かったんだろう。

「これ……型で抜いたみたいに、字の大きさも厚みも一定だわ。人間業とは思えない」

「あ、ああ……俺達でもこうはいかねえ。あいつらは……一体どこへ」

 当てもなく俺がまた視線を彷徨わせようとすると、

――ガタン。

 不意に音がして、二人ともそっちに目が行った。扉横の内線の受話器が落ちていた。たった今の出来事であることを念押しするように、宙づりになって上下している。

「なっ!?」ガウリが驚愕の声を上げた。視線は……受話器じゃない。あの文字に……。

「違うだと!?」

 目を離した一瞬で、文言が変わっていた。


『それでいい』


 瞬間、だった。文字が蛇みたいにうねるのを見た、瞬間。

 それが俺達の足に絡みつき、口を塞ぎ、全身雁字搦めにして……いつの間にか足元に空いた穴に引きずりこまれていた。

 理解が追いつくよりも早く、今度は横向きに重力がかかった。分かったのは猛スピードでの移動。だが分かった所で、それもすぐに終わってしまう。

 減速した。

 減速していく。

 そして、俺は意外にも、床に丁寧に置かれた。


「う、う……」「ガウリ!? 大丈夫か!?」

 俺と同じく、ガウリも連れてこられていた。

「何とか……怪我とかはないと思うけど……ここは?」

「そうか……良かった……ここは……ん? 梯子、か?」

 薄暗い通路の先に、シルエットだがしっかりとした梯子があるように見えた。

「あれ……フラスコの底じゃない? …………! じゃあ、あの梯子『倉庫』からじゃないの!?」

「何!? あんなもん……そう、か、作っちまえばいいのか。ガウリ、立てるか?」

「うん――やられた……!」

「どうした!? やっぱりどっか……!」

 急に渋い顔をしたガウリは、だが、首を横にふる。

「リオ、端末ある?」

 その言葉に、俺は手あたり次第ポケットを探る。

「ねえ……!」

「ふーっ……今頃私達の位置情報は学長室で和気あいあいね――まったく、抜け目ない事。この分だと、シュヴァルツもあそこかもね」

「全部仕組まれてたってことかよ……っ! ……たぶん、ここらのマイクもカメラも駄目だろうな」

 仮にそれらが生きていたとして、助かるのは俺達だけ。それじゃ意味がねえ……!

「ガウリ、足音立てんなよ……行くぞ」


 ガウリは頷くと、俺に続いて歩き出した。周囲に目を配りながら、梯子に近づいて行く。意味があるのかも分からないが、そうせずにはいられない。

 さっきのあれは……ガウリも触れないが、俺達をここに引っ張ってきたのは変形した合金だった。


――この先に、化物がいる。


 言わずとも、ガウリもそう思っているに違いない。

 あの誰もいない部屋、この人気の無いフロア……カメラ越しにあんなことをするのは無理だ。それも、あの合金で。

「なんかあったら俺が盾に「しっ! ……声がした気がする。たぶん……」

 梯子の方へ、口の前に立てた指が向いた。俺達は耳をそばだてながら、ゆっくりと梯子へ向かう。ゴオゴオいう機械音に混ざって、だんだん明瞭に聞こえてくるそれは、

「泣き声……!?」

 顔を見合わせると、俺達は出来るだけ静かに走った。間違いない。近づくほどに、マリの泣き声がはっきりしてくる。

 いよいよ梯子の下にたどり着くと、なぜか床に水たまりが広がっていた。

 俺は目でガウリに先に行くと伝える。音をひかえ目に、しかし最大限急いで、梯子を上っていく。目指す『倉庫』を見上げた時……違和感を覚えた。


 だが、次にはもう、そんなことは吹き飛んでいた。ジジイの声が、こう言ったからだ。


――ホムンクルスだ。

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