34話 運命、燃え立つ時

 あやしたり、髪を食べようとするのと格闘したり、服をしゃぶるのは……まあ許した。

 わたしにもこんな時代があったのかしらと両親の苦労に思いを馳せつつ、この宙ぶらりんの時間を過ごす。


 そんなこんなの末、女の子はわたしに抱き着いたまま、すうすうと寝息を立て始めた。

「泣いたり寒がったり、起きたばっかなのに忙しいこと」

 でも、健やかな眠りだ。

 一区切り落ち着いた気がして――今度こそやることがなくなって――再び頭にこびりつくあの疑問を、晴らしたくなったけど……やっぱり、止めた。


 この状況でこれ以上、何を抱え込めというのか。なし崩しに連れてこられた挙句、自分からさらに分け入ろうなんて。

 いや、だけど――一つだけ、在る。もしあいつが何かの手品でもって情報を得られるのなら……一つだけ、質したいことが。

 そうすることによって、トリックの正体も多少見えてくるかもしれないし……。


 顔には出さないように、けど、意を決して問う。

「ねえ、あんた……わたしのママのこと……」

 もし解るというなら、これで十分だ。答えは期待していなかった。けど、

「お前の母方の実家のことか?」

「う――ん。まあ、そう」

 ……ああ……やっぱり、そうなのか。あんたも、ママも――。

 いくらか、動揺した。けど、まあ、どっちも知っていたことではある。

 少なくともこいつはやっぱり、〝解る〟らしい。それが判っただけで満足だった。情報さえ得られればこいつの正体なんてどうでもいいと……自分の手綱を握り直す。


 心を落ち着けると、ちゃんと返してきた『何か』の意外な律義さに、妙に感心を覚えた。

「何で、そっちを言わなかったの?」

「お前は追い詰めると何するか分からんタイプだ。顔面を引きちぎられたらたまらんのでな……それに現状そっちの話は、俺にとってどうでもいいことだ」

「現状……そう、どうにでもなるってことね……ま、遮るなり噛みつくなりはしたでしょうけど」

 ……したのだろうか。こんなわたしに、果たしてそんな気概があったろうか?


「はあっ!?」「ふわあっ!?」

 学長がびくんと体を波打たせると、億劫気に、でも焦った様子で立ち上がってきょろきょろ周りを確認する。記憶が蘇ったのか再び肩を震わせると、振り返って、

「はっ……はっ、はあ……良かった」

 わたし達を認めて、胸をなでおろした。

「マ、マリ君、無事「しーっ……今寝たところですから、静かに……」

「――? い、今寝たって、誰が?」

「この子です」

「――――!」

 ひどく狼狽した様子で何度か頷くと、学長はドシャリと座り込んだ。糸の切れた操り人形みたいな、力の抜けた座り方だった。

「起きたのか…………」

 額には脂汗が浮いている。一段と老け込んで……いや、年齢相応になったのだろうか。

「起きたんだ…………マリ君、その子は……本当に目が覚めたんだね?」

 念を押す問いに、わたしは首をゆっくりと大きな動作で縦に振って答える。

「そうか…………うん、そうだな。マリ君の言う通り……生きていれば、嬉しいんだ


「……頃合いか。ゴルドシュミット、お前は良くやったよ。称賛に値する。八榊も、そろそろ答え合わせをしよう。俺と……カナが何なのかを」

「カ「待った」

 カナがこの子の名前なのか聞き返そうとしたところで、学長が口を挟んできた。

「それは、僕が話すべきことだと、思う」

「どうでもいいが……そうしたいなら、そうすればいい」

 学長は胡坐に座りなおした。少しだけ、力が戻ったように見える。

「マリ君……僕は、ゴウの娘さんを盗んだといったね。だけど君なら、気づいているだろう。例えば……人一人運ぶのは楽じゃない。山道にしても、単に輸送にしても」

 何かが、埋めるように言葉をつなげる。

「八榊、お前は俺達の発言に齟齬があると思ってるだろう。だけど、無いんだ。俺とゴルドシュミットの間には共通の情報があって、お前にはない。たった、一つのことだ」


 四つの瞳が、わたしに謎かけをしていた。

 だけど、それってつまり……いや、ありえない。二人の言葉に一切矛盾なく一本筋を通すことができるなんて、わたしには思えない。


 そんなこと――在ってはならない。


「マリ君、僕が話さなかったのは、君が……いや、誰もそれを知らない方がいいと考えるからだ。ただそれと同時に……今もその存在に確証が持てないっていうのもあるんだ」

「この期に及んでか?」

「君の行動のおかげで、また分からなくなってしまった」

 ふうん、と何かが渋い顔をする。


 ああそうだこの感じ、わたしを置いてけぼりにして、二人だけが分かる会話をしている。ずっとだ。


 わたしが聞きたいのは……そう、ただ一点。今この瞬間の、

「先生、この子は誰ですか?」

 頭の中がぐちゃぐちゃで、どろどろと煮えている。けど、

「わたしは、先生が死体を盗んできたと思ったんです。そいつのペンダントの写真の……多分三十代くらいの人。だけど、出てきたのはこの子で……でも、そんなことはどうでもいいんです。この子は……もう何が何だかよく分からないけど、生きてたんです。だから、この子が誰なのかだけはっきりさせてください。じゃなきゃ……あんまりです。それで……罪の意識に苦しむくらいなら、償うべきです。先生は、この子とそいつに、責任があるはずです」

 それだけは確かなことだ。『カナ』も、そしてこのいけ好かない――ミコトの体を使っている――何かだって、学長の被害者なんだから。


「……マリ君、その子は……おそらくゴウの死んだ娘、ペンダントの写真の人なんだ」

 脳が沸く感覚を、初めて知った。

「まだ! まだ……そんなことを!」

「うっ……うあ~ん」

 わたしの声に驚いて、カナがまた泣き出す。あやしながら、学長を睨んでいた。と、

「八榊、そいつの言ったことに嘘はない。悪意も、たぶんな。まあ、そういう言い方しかできまいよ。……あるんだ。この世界には俺達が言ってきたこと、すべての条件を満たせる存在が」

 これまでにない、悪魔めいた雰囲気を纏って何かは語る。

「それは俺とカナが――」


――へばりつく、あの言葉。


 またもわたしの頭の中心に躍り出たそれは、けれど確かな形を与えられることなく、狂おし気に身を悶えさせる。

 何かは〝それ〟を口に出すことなく、視線で学長を嬲った。早く先を継げと、声なく促した。目も口も微笑っているのに、瞳はガラスだ。

 対して、学長は思いつめた表情で口をつぐむ。

 カナは泣き続けている。だけど、あやすこともできなかった。


 わたしはこれから、何を聞く?


――知っている。きっと、さっきからずっと、識っている。


 背筋に冷たいものが這いあがる。血管を冬川が巡り、肺に凍てついた空気が流し込まれる。

 放たれる真実を聞いてしまえば、後戻りできないのに。

 わたしは、座してそれを宣告されるのを待つだけだ。


 それを、あなたが言うのか。

 いっそう大きな泣き声を、カナが上げた。瞬間、学長の口が動く。

――だって、あなたじゃないか。あなたがおとぎ話にしたんじゃないか。

 赤子の泣き声が響き渡る中、はっきりと聞こえた。それは、


――ホムンクルスだ。


 糸が、繋がった。

 繋がってしまった。


「そんな……」

「そんなバカな!」

 あまりに意外な声が聞こえてきて、わたしは金縛りを解かれた。体の内側が温かくなる。


 いつの間にか、昇ってきた開口部が復活していた。そして梯子を上る、規則正しい足音。

「これが狙いか……!」

 学長が眉間に皴を寄せて、何かを睨む。何かはそれを鼻で笑った。


 やがて、声の主が開口部から顔を出す。忘れがたい赤い髪を振りかざすように、吠えた。

「ジジイ! どういうことか説明してもらうぞ!」

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