27話 霞む輪郭

 ようやく絞り出した一言は、ただ素直に目の前のそれが『誰』というべき存在ではなく、もっと、そう、もっと根本的に……。わたしの中に結実してしまった、確信。


「そういう意味で言っているのならば、すぐに分かることだ」

「どういう、こと? あんた、他人の考えてることが「解るか! そんなもの!」


 空気を震わす程の、激しい怒声。反射的に両腕を顔の前に上げてしまっていた。だけど、『何か』は酷く苛立たし気な瞳をわたしにくれただけで、ぷいと顔を前へ向けた。


「答えを最初から他者に求めるな、考える頭があるなら考えろ。

 ……俺が何なのかを論じる意味があるとは思えないが、暇つぶしというのがしたいなら」今度は学長の方へ首をひねって「そいつにヒントを貰えばいい」

 どうせ後から解ることだ、と最後に呟やくと、何かはもういいとばかりに前を向く。


「赤が、嫌いなのかい?」

 誰かの後ろ姿を眺めていたら、学長からわたしに思いがけない質問が飛んできた。


「あ、えっと……名前に赤が入ってるのが、その、名前負けな気がして……それだけです」

 『赤』は錬金術における、最も尊い色だ。次に白、3番目に黒が来る。これはガウリさんが白、シュヴァルツさんが黒、そして真っ赤な髪のレオン、三人組の存在が、有名にした話だった。


『ロッソ』はイタリア語で、赤。名前負けなんて気にしだしたのも、進路の頃だ。


「僕だってゴールドスミスが変形した名字だけど、金細工はやってないしね。名前に合わせる必要はないさ。ああ、それで……ツラアテって、意趣返しと同じような意味だよね?」


「えっ、あっ……は、い。はいそうです。やり返すって意味で」

――そこで、言葉が詰まった。わたしは、何かの後ろ姿を見据えた後、意を決して学長へさっきの背筋が凍る思いの理由を話しだした。


「あの、ロッソって名前を気にしてるの、独り言で言ったことはあるかもしれませんけど」

「誰も知らないことを……それが面当てになると解った上で、彼は『ロッソ』と言った?」

 わたしは頷いた。そうだ、あの含みある言い方は知っている者のそれだった。


 少なくとも、こいつはミコトじゃない。

 雰囲気や人となりの変化は二重人格で納得ができる。けれどそれ以上に、それだけでは説明できない、得体のしれない『何か』だということを直感的に理解してしまったのだ。


「マリ君、彼について……銃命君について、どれくらいのことを聞いてるかな」

「ミコトについては、その、お爺さんが亡くなって伝手を頼ってこちらに来たと……」

「確かにゴウ、銃鋼は僕の友達だ。でもね、マリ君、銃命という人間は存在しないんだ」


――え?


「戸籍は存在しているんだけどね、ゴウの娘さんが出産したという事実はないんだよ。もちろん、バンクによる死後の代理出産もない。人口子宮の利用歴もだ。

 ……少し調べただけで判ったんだけどね、義務教育を受けていた事実も無いようなんだ」


 何を、何を、何を、

「何を、言ってるんですか……? ミコトは……誰、なんですか?」


「ほとんど隠す気がなかった……ゴウの『面当て』だったんだろうな、あれは」

 自嘲めいた笑みを浮かべた学長は、初めて老人に見えた。


「考えているか?」

 高圧的な声は、わたしへ振り下ろされたのだと分かった。何かは学長へ憎しみが込められた視線を突き刺しながら、口を開く。


「重要なのはそれだけじゃあない。なぜ友人の孫の戸籍を調べる必要がある? 

 そもそも、全くの第三者が個人情報を調べることは、日本では合法か? それも、世界有数の富豪がわざわざ自分一人で! そしてなにより!

――なぜ判った上で、銃命を受け入れた?」


――抑えきれない爆発。学長を糾弾するように何もかも吐き出した。


「僕が自分で調べたってことを、なぜ君が知っているのかな?」

 自嘲と老獪さがない交ぜになった笑みに、何かがたじろいだ。


「ヒントも何も、全部君が言ってしまったじゃあないか」

 額に脂汗を浮かべる老人に、されど何かは言い返すこともなくまたくるりと前を向いた。


「鋼とはうまくやっていた筈だ。なのにどうして、この時お前は…………おい、八榊」

「えっ……な、なに?」

「考える意味なんて無いんだ、俺について……ゴルドシュミット、大方答えが出ただろう?」

「まあ、ね。候補は絞れたよ」

「嘘だ、それは」

「……そうだね……君がそう言うんなら、一つだ。最初から答えは出ていた。……マリ君」

 不自由な手で、学長は無理矢理正座をする。わたしも慌てて正座をした。


「すまない。全ては僕の過ちが原因だ」


 神妙な面持ちで、学長は土下座する。いきなりのことにわたしはおろおろしてしまって、頭を上げてくださいと声をかけるまで時間がかかった。


 顔を上げた学長は一つ大きく息を吐くと、とつとつと語り出す。


「ゴウの作品と出会ったのは、僕がエレベーターを建てるために、人集めをするより少し前のことだ。

 企業の有力者が集うパーティで、イヤリングをしているご婦人がいたんだ。

 小さな小さな金の輪の中に、それは見事な……作業工程を想像するといっそ恐ろしくなるような、鳥が彫り込まれていた。それこそ金が生きて動いてそうなったとしか思えないようなね。

 そう、丁度さっき見せてもらった物を、そのまま小さくしたようなものだった」

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