8話 待って、待たせて

「遅いな……」かれこれ三十分、レオンがぼやく。こっちも脚が痛くなってきたところだ。

 

 もともとかなり早く空港に来ていたから時間にはまだ余裕があるんだけど、そういうのにルーズな奴は信用できない。嫌い。

 

 それにレオンが来るぐらいだもの、困ってる感じだし。もしかしたら金持ちのドラ息子を無理矢理ねじ込むことになったのかもしれないと、わたしは思い始めていた。


「あー、マリ。ここは俺が見とくから、座れる場所探して休んでていいよ」


「えっ……いいです。何かしてる方が気が紛れます。空港ってなんだか、落ち着かないし」


「うーん、そっか。……そうだな、お母さんの実家に行ったことは?」


「……一目ぼれしてそのまま嫁いだ結果……実家から無断で資料を拝借した結果……」


「な、なるほど……えー、あれだ。恋と愛と、君が大好きだってことだ!」

 思わず噴き出してしまった。物は言いようだ。


「連絡は入れたかい? まだなら、安心させてやった方がいい。親御さんは大切にするもんだ。メールより声を聴く方が安心すると思うんだけど。もう少し落ち着けるところでさ」

 

 どうやら、わたしが休む口実を作ってくれているらしい。でも、何気なく言ってのけた最後の言葉は、私には重く感じられた。レオンの、レオン達の生い立ちを知らない者は少ない。

 

 断るのも気まずいなと、胸ポケットのパソフォンに手が伸びる。中学を卒業して両親が買ってくれた真新しいそれを、まじまじ見つめる。二つ折りの本体を開いた。

 

 携帯パソコンに電話機能を着けた人は天才だ。と思っていたのだけど、最近成り立ちが逆だということを知った。情報ネットワークが発達した結果、携帯できるほどに縮小化された電話に、高度な演算能力を持ったコンピューターがくっついたらしい。

 

 二十一世紀の中頃にはそれ一つで飛行機に乗ったり、身分証になったりするようにする動きがあったらしい。けど、情報の過剰な集約を危険視された。むしろ反動で、リスクヘッジが叫ばれるようになる。飛行機乗るのに未だ紙のパスポートとチケットを使ってるのが、良い例だ。

 

 二十一世紀前半では、将来あらゆる人間が遺伝子登録をする時代がやってくると思われてたらしいけど、たぶんまだ先のこと。

 

 そのくせ、個人単位では危険の分散とか、もしもの備えとか言って、その…………精子とか卵子を冷凍保存するのが流行ってるんだもの。

 

 まあわたしも…………宇宙に行くからって、危険がゼロじゃないから、バンクに預けてきたけど……。ママはまだしも、お父さんにはそういうの、知られたくなかった……。

 ……えっと、えっと、後は、そう、今現在地上に降りてきている数少ない錬金術の産物の一つが、パソフォンのバッテリーで「マリ?」


「えっ、あっ、はい」


「なんかぼーっとしてたけど、どうかしたか?」


「なんでも、ないです。電話は……エレベーターに着いた時でいい、かな」

 レオンにそう告げて、わたしは胸ポケットにパソフォンを戻した。


 ……電話は、うん、あんまり、いいや。


「そうかい? 国際料金がかかっちまうけど、い、ま、の」

 見上げるレオンの口が、声をぶつ切りにする。目線が、どうもわたしの頭の上を越えているのが分かって、わたしもそっちを「オーイ! コッチコッチ!」


 はあっ!?


「コッチダヨー!」

 そっちを見ようと思ったけど、わたしの時とは打って変わって、片言でも臆することなく日本語で誰かを呼ぶレオンに釘付けになってしまった。いや、なるでしょこんなの。


 なんで? と思ったけど、わたしに通じたから自信をつけたのかもしれない。

 気を取り直してわたしは振り向いた。行き交う人の間から、こっちへやってくるシルエットがある。レオンはもっと見えてるんだろうけど、わたしにはそれだけ。身長を寄越せ。


 それにしても……歩きがやたらにゆっっっくりしてる。もどかしい。

 良いご身分ね。確かにわたし達は待たされたわけじゃない。時間より、かなり早く来た。だから結果的に待っただけ。だけど、小走りくらいしてもいいんじゃない? せめて、待たせてごめんなさいって姿勢を見せてもいいんじゃない?

 

 これはレオンが困り顔をしていたのも納得だ。わたしが予想した通り、どっかの金持ちのドラ息子っていうのも、あながち間違ってないのかも。

 ああもう、早く来なさいよ。そんなに距離ないでしょ。


 ……一応、身だしなみ確認。

 ……なんか妙に身軽そうだ。荷物あれ、鞄一つ? 私が多いの? もう送ったとか?

 ちょっと、そこの人邪魔! 見えない! ああ、もう!

 次にそいつが姿を現すまで、わたしは背の低さを呪い続けた。『次』は、そいつが人の群れを泳ぎ切って、たどり着いた時だったけど。


――その時には、考えてたことが、何もかもそいつに持っていかれてしまった。


 こいつ? 

 レオンが、首を小さく縦に振る。

 あ、こいつなんだ。


 レオンはわたしに首を振った後も、書類とそいつに視線を行ったり来たりさせてる。マスクの下の顔はきっと、ううん、間違いなくわたしと同じ顔をしてた。

 そいつの方へ、向き直る。

 

……えっと、なんでそんなに顔真っ赤なの?

 

 なんで、そんなに息切れてるの?

 

 なんで、四月なのに搾れるくらい汗だくなの?


――そんなに苦しそうなのに、なんで微笑んでられるの?

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