2章 フラスコへ

6話 不審者と少女

 それは確かに、いくらチケットがあらかじめアカデミーから送られていても、全機ビジネスクラスでも、その代金が向う持ちでも、ナビがあるといっても、一人で飛行機を乗り継いで第二軌道エレベーターへ行くのは不安があった。


 でもやっぱり、出発一週間前に飛行機の時間を変更するのはいきなりだと思うし、出端を挫かれた気分になる。

 例え、引率の人が来てくれることになってもね。


「……どこだろ」


 たどり着いた成田空港のロビーで、わたしは立ち尽くしていた。これから宇宙へ行く実感もないのに、地上でもう気疲れしている。ロングスカートだって穿き慣れないし。

 

その上、初めて来た場所で、会ったこともない人を探さなくちゃならないなんて。

…………成田って、こんなに人がいるんだ。


 大体、『会えば分かります』って何? ああもう、そんなの大人の言う事じゃないっての! 人事課っていったい何なの? 満足に連絡一つできないの?


 会うも会わないも、どんな人か分かんなきゃ探しようもないじゃない!


「アノ……」「ふぁいっ!?」


 変な声が出た。後ろから変な……片言で話しかけられたからだ。かなり近い所だったから、声をかけられたのはわたしに間違いなかった。


 うるさい心臓の音を聞きながら振り返ると、コートとそのボタンが目に入った。顔を上にあげる。まだ襟だ。背が高い。……わたしが低いのか。目線をもっと上げる。


そこには、

「えっ」

目深なハンチング帽にサングラス、さらにマスクまでした、たぶん、きっと、男がいた。


「あっ、えっ、あの」

「アー、イングリッシュハ、オーケーデスヨネ? エー……ヤサカキ・マリ・ロッソサン」

 

どう見ても不審者にしか見えない男に自分の名前が呼ばれて、わたしが固まっていると、


「スミマセン。アマリメダチタクナイモノデ……」


 そう言って男が片手で帽子を、もう片手でサングラスをずらした。

 燃えるような真っ赤な髪が帽子の隙間から零れるのを見て、反射的にその名前を吐き出そうとわたしの口が勝手に動く。


「レオンゴッ……!?」


 男がとっさにマスクの前で指を立てたので、わたしは無理矢理口を閉じて出てこようとした言葉を飲み込んだ。胃の調子がおかしくなりそう。

「あっ……えっ、い、引率って」そこまで口にして、わたしは急いで頭の中の言語を英語に切り替える。「引率になんであなたが?」


「まあちょっと、いろいろあって。それにしても、俺の日本語ちゃんと通じてたんだな! いやあ、よかったよかった」


 英語になった途端やたらと活き活きしだしたレオン……なの? よく考えたらわたしはレオンの髪が赤いことは知ってるけど、それ以外はからっきしだということに気づいた。


 顔は……やっぱり駄目だ。思い出せない。髪が特徴的過ぎて、他の部分の印象が薄い。


 嬉しそうにしている男に不信感が募る。キャリーケースを体の横から後ろに変えて、持ち手をしっかり握った。横目で周りを伺う。大丈夫、人目は多い。これでもかってくらい。


「えっと……あっ、あの、身分証を」

「えっ、ああ、そりゃそうだ。失礼」


 快くパスポートを差し出してくる男。それを受け取って中を確認する。国籍はアメリカ。えっと、レオンの国籍ってアメリカなの? それも分かんないじゃない、わたし。


 うんうんと頷いて、分かった風なふりをする。パスポートを返した。写真は見たことある顔な気はしたけど、そんなの貼り付ければいいだけ。他に、何か……そうだ!


「チケット、見せてください」

「チケット? ああ、なるほど! 頭いいね!」


 褒められた。こそばゆい感じがしたけど、心を許すのは早い。見たかったのは、飛行機の番号と出発時間、それと座席。届いてから穴が開くほど確かめた自分のものと、比べる。


「座席……隣」日本語で呟いた。チケットを返して、英語で謝る。「あ、あの、すみませんでした。その、色々とまだ不安があって」


「あー、いいのいいの。無理言ったのはこっちだから。ほら頭上げて、謝んなきゃなんないのはこっちだから。女の子はこれくらい警戒心が強い方がちょうどいいんだよ」


 レオン『さん』は、マスクの下で笑って許してくれた。なんだか気恥ずかしさが込み上げてきて、なんとなく言葉を探す。目が泳いで、気づいた。


「あの、目立ちたくないっておっしゃってましたけど……目立ってます」


 背の低い女子と背の高い不審者。この組み合わせに、行き交う人が好奇の目を向けないわけがない。ていうか、レオンはわたし抜きでも単体で悪目立ってる。


「こういうのならいっそ歓迎さ。近づかないからな、誰も。ま、ポリスの世話になる可能性はあるかもしれないけど。俺が誰か分かったら、このロビーはサイン会場になるんだぜ」


 そう言って、レオンはマスクの下でニッと笑って見せる。少しキザッタらしい言い方だったけど、笑った瞬間、わたしにはなんだかその見えない笑顔に寂しさを感じた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る