第6話:過ち

 十八になると僕は副業として身体を売るようになった。といっても、客は女性のみ。いわゆるレズ風俗とか、レズビアン風俗というものだけど、僕の働いていた店は女性間風俗という名称で経営していた。僕はレズ風俗という呼び方は好きではない。自分のアイデンティティを卑猥な言葉として使われるのは複雑だ。

 身体を売り始めたのは、別に金に困っていたからではない。ただ単に、性欲を満たせる上にお金も貰えて一石二鳥だと思っただけだ。

 それと、タバコも吸い始めた。これはただ単に長生きしたくなかったから。願わくば、二十歳までに死にたかった。二人の計画が実行される前に、死神に迎えに来てほしかった。自分からはもう死ねなかった。古市さんがかけた呪いに加えて、帆波の想いが、僕をこの世に繋ぎ止める鎖となって離してくれなかったから。


 そんなある日のこと、コンビニの前でタバコを吹かしていると、懐かしい顔を見つけてしまった。


「……美夜」


 思わず名前を呟いてしまうと、彼女は泣きそうな顔をして近づいて来た。


「……生きてたんだ。海」


「はぁ?勝手に殺すなよ」


「だって……今までどこに居たのよ……私に何も言わずに学校辞めて……実家にも行ったのよ。そしたら、帰ってないって……」


「……ごめんね。辞めるって言ったら君は止めるだろうと思って。面倒だから言わなかった」


「面倒ってあんたねぇ……!私がどれだけ心配したと思ってるのよ!」


「ごめんって。……本当はさ、学校辞めた日、そのまま死ぬつもりだったんだ」


「はぁ!?死ぬつもりってあんた……!」


「落ち着けよ。今はもう死ぬ気はないよ。……おいで。美夜」


 手招きすると、彼女は素直に隣にやってきた。彼女の好意が痛いほど伝わってくる。相変わらず分かりやすい子だった。そして、真っ直ぐに向けられる恋心が酷く煩わしく思えた。純粋な恋心を踏み躙って、まだ闇に堕ちていない彼女を闇に引き摺り込みたくなる衝動を必死に抑えながら、彼女に近況を語った。


「な、なにそれ。怪しいお店じゃないよね?」


「バーだよ。ただの。まぁ、今は、そっちは副業なんだけどね」


「本業は?」


「……」


「……言えない仕事なの?」


「風俗嬢」


「はぁ!?ちょっと!あんた……」


「大丈夫。客は女性だから」


「いや、そうじゃなくて……そもそも未成年でしょう!?」


「僕はもう高校生じゃないし、十八歳以上だから法的には問題無いよ。別に僕は知らない女抱くことに抵抗ないし、むしろ好きだし。天職だよ」


 これを話せば流石に彼女の熱も冷めるだろう。そう思っていた。


「あぁそう……元気そうで安心した」


「ははっ。顔と言葉が一致してねぇけど」


「……」


 泣きそうな顔が視界に入り、思わず目を逸らす。


「……吸う?タバコ」


「……美味しいの?」


「いや。全く」


「じゃあなんで吸ってんの……」


「……長生きはしたくないじゃん。こんな異性愛主義のクソみたいな世界で」


「……寿命縮めるために吸ってるってこと?」


「そ。……美夜は?長生きしたい?」


「……今の現状じゃ、したいとは言えない」


「だよねー。ほら、吸え吸え」


 差し出したタバコを、彼女は素直に一本貰った。


「ライターは?」


 自分の咥えているタバコを指差す。


「……普通にライター貸してよ」


「一回やってみたかったんだ。シガーキス」


「……はぁ。しょうがないわね」


 タバコを咥えたまま、近づけ、先端をくっつけて、お互いに息を吸いこむ。彼女のタバコに火がつくと、彼女はむせ返った。


「ははっ。最初はみんな蒸せるもんだよねぇ」


 彼女は何も答えない。ふと横目をやると、目が合った。その熱い眼差しがたまらなく不快だった。最低だと思っているくせに何故そんな目で見れるのだろうか。まだこんな僕に夢を見ているのだろうか。なら、そんな夢はもう壊してやった方がきっと、彼女のためだ。

 タバコを口から離して、彼女の唇を奪う。息継ぎを挟んでもう一度奪ったところで、ようやく彼女は僕を突き飛ばした。


「な、何すんのよ!」


「だって。して欲しそうな顔してたから」


「し、してないわよ!」


「あぁそう?ごめんごめん」


 適当に謝って、何事も無かったかのようにまたタバコを咥えなおす。すると彼女はタバコを取り上げて、僕の唇を奪った。


「……下手くそ」


 煽ってから、また唇を重ねる。そして囁く。


「やっぱしたかったんじゃん。キス。美夜さ、僕のこと好きでしょ」


「誰が……あんたみたいな女……」


 そう言いつつも、そこにはまだ恋情が残っていた。こんな女に惚れて。可哀想に。


「……ふぅん。まぁ、どっちでも構わないんだけどさ、この後暇?うち来ない?今僕ね、一人暮らししてんの」


「……連れ込み放題ね」


「連れ込んだことないよ。仕事でする時はホテル行くし、本命の女は居ない」


「本命じゃない女は居るのね」


「居るよ」


 すると彼女は露骨に傷ついた顔をした。


「好きじゃない女は家に連れ込まない。けど、君ならうちに入れてあげてもいい」


 甘い言葉で彼女を誘う。この時は別に、僕は彼女が好きだったわけではない。ただ単に、彼女の恋を終わらせてやりたかった。そのためにクズになりきろうとした。ただ、それだけ。最低な女だと分かれば彼女も潔く諦められると思ったから。


「絶対嫌。誰が行くもんですか」


「ん。分かった。じゃあ僕は帰るね」


 だからこの時も、別に彼女に引き止めて欲しかったわけじゃない。それなのに彼女は走って追いかけてきて、僕を引き止めた。僕のしたことは逆効果だったらしい。呆れた。目に見えた罠にかかりにくるなんて。


「やっぱ抱かれたいんじゃん」


「ち、違う!」


「じゃあ抱きたい?僕、そっちはあんまり好きじゃないけど、美夜になら良いよ」


「っ……そういうことじゃない!」


「なら、手を離して」


「嫌……離したくない……」


 その瞬間、泣きそうなその顔が、そこまでして僕を求めてくれる彼女が、たまらなく憎らしく感じた。彼女のその純粋な恋心をぐちゃぐちゃに踏み躙ってやりたいという、醜く歪んだ欲望に駆られる。その欲はもう自分では制御出来そうになくて、彼女に忠告をする。


「……離さないならこのまま連れ帰って抱く。家の中に入ったら合意したことにするから、嫌ならそれまでに離して。忠告はしたからね」


 彼女の手に指を絡めて、手を引いて歩く。

 引っかかっているだけで握り込まれていない手は、彼女が離せばいつだって離せた。それでも彼女は離さなかった。離すどころか、しっかりと握りしめてきた。


「……馬鹿だね。君は」


「っ……」


 玄関の前でもう一度、彼女に最後の忠告をする。彼女は黙って首を横に振った。


「……こんなに忠告してやってんのに。ほんと馬鹿。もう知らないからね」


 何も言わない彼女を連れて家に入る。


「海……シャワーは……」


「後でいいでしょ。……早く抱きたいの。僕もう我慢出来ない」


 寝室に連れ込んで、ベッドに押し倒して電気を消す。彼女は震えていた。


「……美夜、もしかして初めて?」


「そんなこと……ない……」


「ふぅん。そうは見えないけどなぁ。……まぁ、どうでも良いけど。……途中でやめたくなったら蹴り飛ばして」


「……出来ない……海と会えなくなるのは嫌……」


「……馬鹿だね。ほんと馬鹿」


 嫌味のように優しく抱いた。彼女が僕に向ける恋心を膨らませるように優しく。その恋がいつか憎しみに変わって、僕を殺してくれることを期待していた。あるいはただ単に、誰かに愛されたかったのかもしれない。彼女が僕の心に光を灯してくれることを期待したのかもしれない。自分でもよくわからなかった、彼女から向けられる恋情が嬉しいのか、煩わしいのか。彼女が憎いのか、愛おしいのか。どうしてこんなに胸が苦しいのか。もう何も、わからなかった。

 僕はいまだに、この日彼女を抱いたことを後悔している。きっとこの先も、死ぬまで後悔し続けるだろう。

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