第4話:死は必ずいつか向こうからやってくる

 恋人にフラれた僕は、もう何もかもがどうでも良くなり、家に引きこもった。そしてそのまま、高校も辞めた。

 高校を辞めたその日、僕は死ぬために電車に飛び込もうとした。しかし、電車が来る直前で誰かに腕を引かれて、駅のホームに戻された。僕を助けたのは見知らぬ男性だった。


「おいおい。死ぬ気か?」


「……そうだけど。何?おっさん。説教でもする気?」


「いや、説教というか……君が飛び込んで電車止まるとおじさん困っちゃう。家に帰れなくなっちゃうから」


「知らねぇよそんなの……」


「……まぁ、そうだろうね。あとさ、少年、まだ若いのに今死ぬなんてもったいないと思うよ。急がなくたって死は必ずいつか向こうからやってくるんだから」


「いつか死ぬなら、死ぬ日を自分で決めたって良いだろ。邪魔するなよ」


「たしかにそれも一理あるね。けど、やっぱり勿体無いし……あっ。どうせなら捨てる命ならさ、俺に少しだけ使わせてくれないかな」


「は?使うって……ちょ……」


 僕はそのまま彼に腕を引かれて、次に来た電車に乗せられた。


「逃げなくて良いの?少年。こんな怪しいおっさんに捕まって何されるか分かんないよ」


「……」


 僕はそのまま、その怪しげなおっさんについて行った。本当は、誰かに助けて欲しかったのだと思う。突然現れた怪しいおっさんに縋るほどに。

 彼に連れて行かれた先は、カサブランカという名前の一件のバーだった。


「ここ、おじさんの店」


「……カサブランカって、百合の王様だっけ」


「そう。おじさん花が好きでね。まぁ、別にカサブランカが特別好きってわけじゃないんだけど。それっぽいの適当につけただけ。あぁ、それでね、おじさん、この店を一人でやってるのよ。少年、手伝ってくれない?」


「……なんで僕が」


「まぁまぁ。とりあえず一ヶ月お試しで。どう?死ぬのはその後にしてみない?」


「……僕未成年なんだけど。ここ、未成年が働いて良い場所?」


「未成年っていっても、十八は超えてるだろ?」


「十七」


「うわ、マジで?十時までしか雇えないじゃん。まぁ良いや。十時まででも居ないよりはマシか」


「バーって、酒作るんだろ?どうすんだよ」


「良いよ良いよ。酔っ払いの相手してくれるだけで。酒はこっちで作るから。ノンアルカクテルは頼むかもしれないけど。ま、作り方は教えるからさ」


 こうして僕は一ヵ月だけ彼——古市ふるいち幸治こうじの経営するバーで働くことになった。

 この時、死を後回しにする理由を彼がくれなかったら僕はもうとっくにこの世にはいないだろう。


 バーに来る人たちはクセが強い人達ばかりだった。誰もが様々な悩みや苦しみを抱えながら必死に生きていた。彼らの話を聞くうちに、古市さんの『今死ぬのはもったいない』という言葉が心に沁みた。


 そして一ヵ月後、彼はもう一度僕に提案をした。


「海くん。一ヶ月働いてみてどうだった?まだ死にたい?」


「……」


「いつか来る死を待つまでの間、うちで働く気はないか?お前さん、結構お客さんに気に入られてたし、聞き上手だし、バーテンダー向いてると思うよ。どう?」


「……うん」


「よし。じゃあ決まりだな」


 あの日終わるはずだった人生は、偶然の出会いによって引き伸ばされた。


『今死ぬなんてもったいないと思うよ。急がなくたって死は必ずいつか向こうからやってくるんだから』


 古市さんのこの言葉は、死のうと思うたびに蘇り、僕をこの世に強引に引き留めた。それはのろいであり、同時にまじないでもあり、今でも僕の心に染み付いている。

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