第四夜(後)
お昼を食べた後、息子は朝も早く、ここまでの道すがらはしゃいでいたせいか、すっかり疲れて昼寝に入ってしまった。
私と妻は特にやることもなく、お義母さんに付き合わされて、街のスーパーマーケットへ夕飯の食材の買い出しに、お義父さんは裏庭の家庭菜園で畑仕事をしながら夕飯までの時間を過ごすことになった。
スーパーマーケットで妻が桃を見つけて、私を見て少しニヤつくような表情を浮かべながら、それを買い物かごに入れた。2個で1280円也。
「あれ、もう桃が出てるのねぇ。ちょっとお高いわねぇ。でも初物だから、ま、いいか」
お義母さんが桃の並んだ棚の値札を見ながら言う。
私がボソッと「これじゃあ、出てくるのは未熟児だな」と言うと、妻は一瞬何のことか分からなかった様子だったが、直ぐに笑い出して「やだぁ、もう。引っ張り過ぎぃ」と、私の背中をバシッと叩いた。
「痛いよ」
「あら、ごめんなさい。でもだって、思い出しちゃったじゃない」
そう言って、まだ笑い続けている。
「いやいや、ニヤニヤしながら買い物かごに入れたのは君じゃないか」
「どうしたの?あなた達、ちょっと変よ」
お義母さんの言葉に、私は妻とお義母さんを見比べて、ああ、親子だなぁと思い、ほっこりした気分になる。
まだ外は随分と明るい午後6時頃、息子と一緒に風呂から上がってくると、居間の食卓には所狭しと並んだ料理、そしてお義母さんと妻が最後の1品を運んで来て、皆が着席。夕食会の始まりだ。
私にとっては、いざ、決戦の始まり、といったところか。ウコンも飲んで、息子の着席位置もばっちりだ。
「さぁさぁ、お待ちどう様でした。頂きましょう。今日はマサキが来てくれて、ばあばもいっぱいお料理作っちゃったから、いっぱい食べてね。そうそう、後で桃も有るからね」
息子が即座に反応する。
「もも、どこ、どこ?ばあば、見せて見せて」
お義母さんは「はいはい」と言って立ち上がり、息子もそれに付いて行ってしまった。
おーい、私の友軍が初戦から行方不明だ。まぁ、仕方ない、宣戦布告のお義父さんへのお酌開始。
「では、お義父さん、お注ぎしましょう」
私はそう言ってスーパードライの大瓶をお義父さんの陶器のビアタンブラーに傾ける。お返しにとばかりにお義父さんも私のタンブラーに並々と注ぎ返してくれる。
「乾杯。頂きます」
決戦の火蓋は切られた。
妻は呆れた顔でこう言った。
「二人とも、飲み過ぎないでね。特にお父さんはアキラさんに飲ませ過ぎないで、あなたは調子に乗って飲まないで」
「はいはい」
二人同時に答えると、お義父さんと顔を見合わせてぎゅーっと飲み干したビールは実に美味しかった。
「おとうさん、もも、大きかったよ!でも、ちょっと小っちゃかった!」
おいおい、一体どっちなんだ。
私は息子を着座させて、「ほら、頂きなさい」と促す。
「いただきまーす」
遅れてきた友軍に勇気百倍、私も楽しくなってきた。
お義父さんの話は実に面白い。面白いというより、興味深くて、話し上手というべきか。
近況の出来事から始まり、時事、政治、歴史、囲碁に釣り、科学、宗教、裏庭で採れる野菜の話・・・。勿論、生業である陶芸の話も。
私にもこんな父親が居たら良かったのに、と思ったことは、この10年しょっちゅうだ。
私に実の父親は居ない。いや、何処かに居るのだろうけれど、それは今となっては分からない。私が生まれたとき、既に父は居なかった。母親は父の話は全くしなかったし、私もそんなものだと思って、自分から敢て話を聞こうともしなかった。
随分と大きくなってから、母方の親戚に何となく聞いた話なのだが、どうやら私の父親は、日系の在日米軍人だったらしい。その親戚も大して親しく付き合っていたわけでもなく、子供の頃たまに会うと、「偉いね。大変だね」と声を掛けてくれるのだが、私は何も偉くないし、大変と思ったことも無かったので、今風に言うと「ちょっと何言ってるか、分からない」とでもいったところだった。
母親と二人だけの生活も全く不安も不満も無く、彼女も多分、実に普通に私を育てて、大学も出してもらい、普通に中堅の商社に就職した。
父親が居ないことよりも、私はその父親が日系米国人で助かったと思っていた。見た目、まんま私は日本人だから。もろに分かりやすいハーフは何かと生き辛いだろうなあ、と勝手に想像していたから。
一つだけ残念だったのは、私は英語が全く喋れない。
母親は貿易会社で英語の通訳をしていたので、勿論英語はペラペラ。父親はアメリカ人だったので当たり前に喋れただろうし、何故、母は私に英語を教えてくれなかったのだろうかと、不思議でならない。
まぁ、一番の理由は、私が小学生の頃は英語自体に興味がなく、中学・高校生になっても英語の授業が大嫌いで(授業というより先生が嫌いだったのかもしれない)、教えようとしても聞く耳を持たなかったのかもしれない。
そんな母親も6年前に他界して、今更ながら、もう少し親孝行しておけば良かったなと思うこともあるけれど、母親は亡くなる前に私達家族3人を病室に呼んでこう言ってくれた。
「アキラ、お母さんはとっても楽しい人生だったよ。ありがとうね。佳代子さん、孫の顔も見せてくれて、ありがとうね。アキラのことお願いしますね。アキラを良い旦那さん、良い父親にしてやってください。お願いしますね。マサキちゃん、まだ分からないと思うけど、おばあちゃんはもうすぐ居なくなっちゃうけど、またね。本当に楽しい人生だったわ」
妻は泣いていた。私も泣いた。息子は不思議そうな顔をしていた。
その一週間後、母は息を引き取った。癌だった。
癌が発見された時には手遅れだった。
私は医者に「何とかしろ。どうにか手術をしてくれ」と何度も食って掛かったが、医者は首を横に振り、転移が酷くて手の施しようがないと言う。後は抗がん剤と放射線治療で延命しながら一縷の望みに賭けるか、だと。
母は治療を拒否した。
母に呼ばれて、母の言葉を聞き、私はそれ以降最後の一週間は、医者に盾突くのを止めた。
そんなこともあって、私は妻の実家で、お義父さんとお義母さんの元気な姿を見るにつけ、嬉しい気持ちになるし、自分の親には出来なかった親孝行を、妻と一緒にしてあげたいなぁと、いつも思う。
何より、私には無かった、父親から話を聞くという経験をお義父さんは与えてくれて、何とも言い難い感謝の気持ちと喜びとでいっぱいなのである。
未だに結婚を認めてもらっていないけれど、それはさて置き・・・。
本日もお義父さんは「舌好調」で、企て通りの息子の上手なお酌もあり、益々上機嫌に面白話を繰り出してくれる。息子のお酌に合わせて、今日の話はお義父さんが子供だった頃の田舎の遊びの話、虫捕りの話、妖怪の話が中心だ。
私は私で「へぇ」とか「そうなんですか」とか、ゲラゲラ笑わされたりと、実に楽しい。
しかも、全然酔っている気がしない!
やっぱり、今日は、いけるんじゃないかしらん?
飲んで、食べて、喋って、彼此もう2時間になる。流石に息子も飽きてきたようで、それを見て取ったお義母さんが「桃を出しましょう。マサキ、いらっしゃい」と、息子を台所に連れて行ってくれた。
「ところでアキラくん、今日持って来てくれた1升瓶、開けちゃって良いかな?」
「勿論もちろん。お義父さんと飲むために買って来たんですから、飲みましょう、飲みましょう」
ここまでスーパードライの大瓶を4人で6本、お義母さんと妻が1本、お義父さんと私が5本、うち3本はお義父さんで(友軍の実に巧妙な作戦遂行のお蔭だ)、私は2本くらいだろうか。しかしその差は僅かビール1本。お義父さんにとってはハンディにもならない。
いつもの私なら、この辺りで既に怪しくなってきて、この先は何を飲んでも味も分からず、唯々深みに嵌っていくだけの筈なのだけれど、今日の私は、感覚としては全く
私が1升瓶を取りに立ち上がろうとすると、妻が「いいわよ、わたしが取って来てあげる」と言って先に立ち上がった。それから食卓を一瞥してほぼ食べつくされた皿を確認すると、「何かちょっとつまむ?」と尋ねた。
お義父さんが答える。
「おお、そうだな佳代子、今日畑で採って来たキュウリが冷えてるから。それと、こないだ取り寄せた、とっておきのこのわたが冷蔵庫にあるから、かあさんに言って出してもらってくれないか」
「分かった」
妻が居間から出ていくと、入れ替わりに息子が、切り身になった桃を乗せた皿を持ってやって来た。
「おとうさん、ももたろうは、まだ、たねだったよ」
私は思わず吹き出しそうになる。そうか、そうか、成程ね。
「ばあばが、『早すぎたのかな?』って、言ってた。そうなの?」
お義母さんも話をややこしくする天才かもしれない。
「そうだね、まだ小っちゃかったから、早すぎたかもしれないなぁ。でも、桃太郎が入っていたら、桃、食べれないよ」
「そだね」
思ったより簡単に納得した。ははぁ、さては、もう眠くなってきたな。ここまでのお役目ご苦労。君の奮戦のお蔭で、おとうさんは今日こそはじいじに勝てそうな気がするよ。
お酒とおつまみを持った妻とお義母さんが居間に戻り、息子と3人で桃を食べながら、お義母さんが「お二人は、桃、如何なさいますか?」と尋ねると、お義父さんは「俺とアキラくんに一切れずつ、ぐい吞みに入れてくれ」と言った。
お義父さんは、桃の入った大ぶりのぐい吞みを一つ私に手渡し、「アキラくん、これがまた美味しいんだよ」と言いながら、封を切った箱根山の最初の一杯を注いでくれ、自身のぐい吞みにも並々と注いだ。
「じゃ、アキラくん、今年の桃の初物に乾杯だ」
さぁ、ここからが本当の戦いだ。負けられない戦いがそこにはあるのだ。
私はぐい吞みの香りを確かめて、それからその半分ほどを喉に流し込む。舌の奥に乗った瞬間、軽くはあるが、フレッシュな桃の香りが鼻に抜け、何とも言えない爽やかな飲み口になっている。
「お義父さん、これ、いけますね」
お義父さんはニコニコしながら「うんうん」と頷く。
このわたをちびりと摘んで、これがまた美味い。このわたの辛みが残った舌で、薄味のキュウリの胡麻たたきが口の中をリセットしてくれて、ぐい吞みの残りを一気に空ける。
「お、アキラくん、今日は調子が良さそうだね」
そして、ここからまた、お義父さんの面白うんちく話が始まった。
「桃は元々、中国原産の果物でね、不老不死の・・・」「日本書紀にあるイザナギ、イザナミが黄泉の国から逃げ帰る時、追ってくる魑魅魍魎に投げつけたのは、3個の桃で・・・」「桃太郎は桃から生まれていないのだよ。おじいさんとおばあさんが桃を食べて・・・」「現在の日本の桃は、明治期以降に入って来た西洋の・・・」「桃太郎の犬、サル、キジは悪霊若しくは悪鬼が『居ぬ』『去る』『来じ』って言われたりも・・・」
そしていつの間にか、桃の話はモンゴル帝国の西進へと進み、中東の宗教事情になり、キリスト教、イスラム教、ユダヤ教の同根説から異端説に至り、ルネサンス、魔女狩りを経て、何故か明治維新の話へと。司馬遼太郎の功罪を語り、午後10時前の現在は何故か時の政権批判。
政権批判、そこはスルー。
そしてお義父さんは、一気に国の財政、税制問題をまくしたてると、一息ついてから一言。
「いやぁ、今日はよく飲んだ」
ん?
そして続ける。
「アキラくん、ワシは久しぶり酔っぱらったよ。もうこれ以上は飲めないなぁ」
はい?
「アキラくん、やっと佳代子とのことを認められるよ」
えっええー?
『その時』というのは、こんなにも呆気なく訪れるものなのか。いや、訪れるものなのであろう。
え、あの、お義父さん?そんなものですか?
言葉が上手く出ない私に、お義父さんは右手で「まぁまぁ」という様な制止する仕草を見せると、急に背筋を伸ばして両手をテーブルに付いて深々と頭を下げる。
「アキラくん、佳代子のこと、これからも宜しくお願いします。勿論これまでもアキラくんには感謝しているんだ」
これまで何度となくお義父さんとお酒を酌み交わして、こんなに頭がクリアなことは初めてな上、お義父さんのこのような言葉は予想だにしていない私だった。
お義父さんは立ち上がり、ワザとらしく肩を揺らして酔ったふりをしているように見えたが、本当のところは分からない。
「今日は本当に楽しかった。孫にお酌してもらうのも良いもんだねぇ。それじゃ、ワシは先に休むよ。おーい、かあさん、今日はもう寝るぞぉ。布団敷いてくれぇ」
奥の部屋から「はいはーい、もうお布団敷いてありますよぉ」と、お義母さんの声がした。
私は居間を出ていくお義父さんの背中を見詰めながら「おやすみなさい」と声を掛ける。
お義父さんの背中が、やけに小さく見えたのは、気のせいだろうか・・・。
その後、私は食卓の皿と、半分ほど残った一升瓶を台所に運び、洗面所を借りて歯を磨いた。
洗面台の鏡に映る自身の顔を見ても、やはり今日は酔っぱらった感じではない。
離に戻ると、息子は既に夢の中、妻は何やら昔のアルバムらしきものを見ながら、「おかえりなさい」と言った。
「ああ、ただいま」
「なんか、あんまり嬉しそうじゃないわね?」
「そうかい?」
私はハンガーに掛かった上着のポケットから煙草の箱を取り出して、網戸を開けると、そこにあったサンダルを突っかけて裏庭に出た。初夏の夜の風が少しひんやりとして心地よかった。
月に照らされた畑の緑が、所々月明りを反射して、何とも幻想的な風景に見えた。
妻も私の傍らに来て、一緒にその風景を眺める。
「子どもの頃はね、あたし、この田舎が大嫌いでね、早く出て行きたいってばっかり考えていたわ」
「そうなんだ」
「そう。でも、今はちょっと変わってきたかも。離れて初めて分かることってあるじゃない?」
「そうだね。何となく分かる」
「ほんと?良かった」
私は煙草に火を点け、一服深く吸い込んでから、ゆっくり煙を吐き出すと、グラッと世界が歪んだ。
それを見て妻が笑う。
「やっぱりちょっと酔ってるみたいね」
「少し酔ったかな。流石にね」
そうは言ったものの、多分これは煙草のせいだ。
「さっきね、昔のアルバム見てたの。そしたらね、丁度今の私たちくらいの歳のお父さんとお母さん、それに子どもの頃のわたしが、TOKYOディズニーランドで写ってる写真があって、それを見てたら、何だか泣けてきちゃって。今でこそ、お父さんも陶芸で充分稼げるようになったけど、当時は多分、金銭的にはすごく苦しかったんだろうなぁ、それでもわたしがせがむものだから、結構無理して3人でディズニーランドに連れて行ってくれたんだろうなぁ、って、そんなこと考えてたら、何となくね・・・」
そうなんだろうな、と私も思う。
子どもの頃に分からなかったことも、今になって分かること、あの時の大人が言っていたこと、親が何を思っていたか、その大人や親と同じ年齢になって初めて気付く。
そして、多分今もそうなのだ。
私たちが、今のお義父さんやお義母さんの歳になって初めて、その気持ちに寄り添えるのかもしれない。
それから半時程だろうか、妻と私は月夜の畑を眺めながら、我々の昔話に花を咲かせた。
ほんの30年ほど前の昔話。
そして、何とも心地の良いまま、ヘパリーゼを飲んで、床に入った。
深い深い、眠りの中、私は夢を見た。
何の夢だったか、ハッキリとは覚えていない。
ただ、僕は旅をしていて、そしてその旅は、その先もずっと続く・・・
そんな夢だったような気がする。
恐らくは、ワクワクする、楽しい夢だった・・・。
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