美しき地の奇妙な先住者

@uji-na

美しき地の奇妙な先住者

 その土砂の崩れ具合といったら全くひどいものだった。

 雨を吸って泥のようになった赤土の下からは、ごろごろとした大石がいくつも見える。さらには軽石交じりの砂質の凝灰岩が所々に顔をのぞかせていた。


 今年一番ともいわれた台風は、勢いそのままに関東に直撃した。私が暮らす武蔵野の町でも倒木やブロック塀倒壊、電柱被害や屋根の飛散に加えて火災なども発生して散々な有様であった。

 台風が過ぎ去って町が落ち着きを取り戻した頃、私はふと墓が気になった。

 その墓というのは、幼くして両親を亡くした私を憐れんだ親戚が「墓くらいは立派なものを」と用意してくれたものである。

 狭山丘陵の美しい湿地帯に包まれるような場所に墓地は立地していて、私は墓参り以外でも休日になるとよく訪れることがあった。というのも、これは土地開発の一環で出来た所謂公園墓地というもので、レクリエーション施設や森林浴スポットなどもある墓園であったからだ。

 かつて、墓地開発計画が持ち上がった時には、自然保護の団体とやや揉め事も起きたようだったが、最終的に緑を多く残す現在の形に落ち着いたらしい。

 何にせよ、両親が明るく美しい緑に包まれた場所で静かに眠っているという現状は私にとって喜ばしいことで、多少の慰めにもなっていた。


 両親の墓のある霊園のそばは、元々谷頭であって建設残土等が投棄され埋め立てられたようになっている。もしかすると土砂崩れでも起こっているのではないか、墓は無事だろうかと心配になったのだった。

 私は、ある晴れた休日を利用して狭山丘陵の墓園を訪れることにした。


 果たして、墓は無事であった。

 多少の土砂崩れは起きたようだったが、墓園に影響が出るほどのものではなかったらしい。安心した私は、そのまま帰る気にもなれず、ぶらぶらと周囲の散策をすることにした。蛍の生息する湖を巡ってみたり、木漏れ日に包まれる小道を歩いたりして、私は丘陵の谷頭に位置する高台のようにも感じられる広場までやって来た。

 台風の被害はやはりここが最も大きかったようで、遠くでは薙ぎ倒された木があり崩れた土砂の赤土が広がっていた。ごろごろと大石は転がっており、所々には砂や軽石を含んだ礫岩が見えた。

 ふと、礫岩が顔を出す辺りに奇妙な塚のような物があることに気が付いた。

 それは、原始時代の集石の遺構あるいは道祖神を祀る積石ように、自然石を何者かが何らかの意図をもって配置するような、そんな不自然的なものに感じられた。

 赤土より頭を出すようにして現れた、その奇妙な塚らしき物も土砂とともに流れてきたのだろうか。


「全くひどい土砂崩れだ」


 私は誰にいうでもなく、ぽつりとつぶやいた。


「ええ、全くもって」


 私は驚いて声のした方を見る。

 丘陵の森林にただ消えるだけのはずだった私の独り言に返事があったからだ。

 その時の私の驚き具合と言ったら、私の意志とはまるで関係なく体が大きく飛び跳ねるように揺れたのであるから、傍から見ていたらさぞ滑稽だったに違いない。つまり私はそれ――そう滅多にない――程に驚いたのであった。

 しかし、その声の主を確認した私は、先程よりもっと驚いて言葉を失った。


 それは怪物だった。

 ただ、人間のように直立しているように見える姿勢でもあった。少なくとも四本足であったり地を這うような、そういった形態はしていなかった。

 ただし、人間よりもずっと大きい。

 頭部に当たるところは無数の触手が生えており、奇麗な表現をするならば山地のヤマユリのように見えなくもなかったが、柔らかく蠢くその姿は私を恐怖させるには十分だった。体は樽状で丸々とした球根のようだった。その球根の脇には蔓草のような手が生え、その体は大樹の根のように広がる触手状の足で支えられていた。


 そんな化け物が、まるで道行く人に挨拶をするような気軽さでもって私へと声をかけたのだった。

 嫌な汗が全身から吹き出し、立ち竦んで、逃げることもどうすることも出来ずに黙っている私に怪物は言った。


「これは突然失礼を。意思の疎通が出来そうな生き物がいたので思わず声をかけてしまいましてね。よろしければ道をお尋ねしても?」


「は、はあ……」


「これはありがたい。どうも、ここは私が住んでいた故郷とはだいぶ離れてしまったようでして……良く火を噴く火山に囲まれていて、遠浅の海の広がる美しい土地が私の故郷なのですがご存じありませんかね?」


 火山や遠浅の海なんて探せば日本のどこにでもありそうな程、ありふれているように私には思えた。「それだけではなんとも」と言いつつも、良く火を噴くといった話から桜島や小笠原の離島などを思い浮かべた。


「と、ところで、どうやって貴方はここに来たのですか?」


 怪物にはあまり敵意が感じられなかったこともあって、私は恐怖に震えながらも場を持たせるためにそんな問いを投げた。

 怪物は、私の問いに「あれを御覧なさい」と言うと、先程まで私が気にしていた塚のようなものを説明してくれた。


「あれは火山活動の活発化から身を守るための施設だったのですが、どうもこの土砂崩れによって流されてしまったようでしてね。もしかすると、私があの施設で眠りについてから随分と長い時間が経ってしまっているのかもしれません。……ですから何としても急いで帰り、故郷の様子を知りたいのですよ」


「そうだったのですか。……しかし火山に海と言われても、似たような土地はいくらでもありますし、他に何か貴方の故郷の特徴はないのですか?」


「うーん。そうですねぇ、故郷では貝がよく取れましてね。シジミは豊富だったのですが」


 結局、怪物の故郷について私が思いつく場所はなかった。

 とりあえず似たような場所で私の知っている土地をいくつか教えると、怪物はとても喜んで何度も私に礼を言った。

 その頃には、私の怪物への恐怖はすっかりと薄れており、私の方からも進んで会話する程度には慣れていた。


「あの、一つ気になったことがあるのですが……」


「何でしょう?」


 怪物は私の問いに触手を揺らした。


「長い年月が経っているのだとして、もし貴方の故郷に既に他の者が住んでいたり、他に利用する者達がいたらどうするのですか?」


 怪物は何だそんなことかと笑った。

 実際には触手を揺らし愉快そうな声を上げただけなのだが、私には笑ったように感じられた。


「もちろん、対話できるような生き物であれば訳を話します。私と共に暮らすのも良いでしょう。しかし、敵対的な生き物や私の生活に害となる生き物であれば駆除も致し方ないでしょうな」


 怪物は「まあ、まずは故郷を見つけて帰ることが先ですが」と言い、私が教えた候補地の一つに向けて出発するようだった。

 木の根っこのような触手状の足を踏ん張り蔓草上の手を広げた怪物は、次の瞬間には弾かれたように空へと打ちあがって、やがて東の彼方へと消えていった。


 澄んだ青空を眺め、唐突に私は幼い時に連れて行ってもらった小さな町の資料館の展示をはっきりと思い出した。

 資料館の展示には、この狭山丘陵で見つかった貝殻の化石もあった。

 古びたパネルの説明には、大昔、狭山丘陵や武蔵野台地は海であったと言う説明がなされていた。数千万年前から数百万数十万年もの太古の時代の話である。

 はっきりと私はそれを思い出したのであった。

 

 かつて狭山丘陵は浅い海であった。

 海の海面は上下し、一方で海底は盛り上がり、やがて岩や砂の積もった陸となった。そして火山の活動が活発になり、長きに渡って、八ヶ岳や富士山、浅間山や赤城山の灰が積もり河川の流れも手伝って武蔵野台地は現れた。

 そうなのだ。この美しき湿地は、森林は、木漏れ日に包まれた小道は、はるか昔、海底であったのだ。そこを住処とする生き物だっていたのである。

 巨大な海生哺乳類やサメの類。あるいは、そう――シジミのような貝の仲間だ。


 あの怪物の故郷は他でもないこの地だったのだろうか。

 何故、私と意思の疎通が出来たのか。

 そもそも一体、あの怪物は何者だったのだろうか。

 ……あの怪物は戻ってくるのだろうか。

 

 そうして、しばらく立ち尽くしたままだった私は、やがて考えることを止めた。

 前面に広がる土砂の崩れ具合と言ったら全くひどいものだった。

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