第3話

私はその場を足早に立ち去った。後ろを振り向いて礼でもしたい気分だったが,もう心のドキドキがそれを許してはくれなかった。

『はぁ,緊張した…慣れないことするのはダメだな』

そう思いながら帰路に着いた。

ちなみにあの場所から私の家は大体歩いて40分くらいかかる。バスが通っていたり駅に近かったりではなくちょっと不便だなと思ってはいたが,今日はその時間のおかげで心を落ち着かせることができた。

「ただいま」

「おかえり,夏樹。今日遅かったね」

母がはつらつとした元気な声で私に話しかけてきた。

「うん。まぁちょっと寄り道してきたの」

「そうなの。それはいいとして,早く着替えてきなさい」

「はーい」

私は素直にその言葉を受け持って自分の部屋へ向かった。

家に帰ったらすぐに楽な格好に着替えることにしている。そっちの方が楽だからだ。

『それにしてもさっきは心臓がどうにかなりそうだった』と思いながら着替えた。

「着替えたよ。お母さん今日の夜ご飯何?」

そう言いつつ階段を降りた。

「今日はすき焼き。たまたまお肉安くて買ってきたの」

「すき焼き…早く食べたい」

「なによだれ垂らしそうな顔してんのよ」

「えっ⁉︎ごめん気づかなかった…」

当たり前かもしれないけど,私はすき焼きが大好きだ。特に私の家ではすき焼きに最後といた卵を入れて電子レンジであっためて茶碗蒸し風にする。それがなんと言っても美味しいのだ。それを想像するとお腹が鳴りそうになっていた。これはこれで恥ずかしい。

その時にはもうあのカフェでの出来事より,すき焼きでいっぱいでそのことを忘れかけていた。

『恐るべしすき焼き』って感じである…

その後,父や姉が帰ってきて夕食の時間となった。

「2人とも遅い…」

私が2人に言うと2人とも,仕方ないでしょとか仕事なんだとか言ってきた。

わかってはいるつもりだけど,すき焼きを目の前に待たされたらそうなっても仕方がないと思う…

「いただきます」 

その声で夕食が始まった。

私の家は夕食はみんなでが決まりである。だから,誰かがどんなに遅くなろうと夕食は始まらない。これは,朝や昼はみんなで食べることができず,唯一の家族みんなで過ごす時間を作りたいという父の願いでそうなった。もちろん,誰かが外食したりするとその人を抜いて食べる。それが我が家の決まりだ。

これに関して私はいいとは思うけど,ちょっと遅すぎる日はどうにかして欲しいと思っている。

そう思いながら食べ進めているといつのまにか具材が残り少なくなっていた。

「あっ…」

「どうしたの?」

「もう締めに近づいているなって…思っただけ」

「いちいち夏樹はうるさい」

母がこれを言い,父と姉もうなづいていた。

「ごめんなさい」

というわけで締めの準備をすることにした。

まずはすき焼きの具材を勢いよく耐熱性の皿に入れた。次に卵を軽くといてさっきのにかける。それでその上にサランラップを乗っけて電子レンジであっためると茶碗蒸し風すき焼きが出来上がる。

「あんたそれ好きだよね」

姉の由依が言ってきた。

「うん。だってこれ美味しいじゃん。じゃあいただきます」

一口食べるとそれはやっぱり美味しかった。茶碗蒸し×すき焼きなんて美味しくないわけがない。そう思いながら一口また一口と食べ進めた。

「ごちそうさまでした」

そう言って私は食べ終えた皿を洗った。

それが終わると由依に「お風呂空いたから入っちゃいな」と言われた。

「はーい。そういえばだけど,お姉ちゃんはあの〇〇ってカフェ知ってる?」

「あぁあそこ。知ってるけど行ったことないよ」

「そっか…」

「なんかあったの?」

私の方をじっと見ながらそういうので,なんにもないのにあったかのように答えそうな自分がいた。

「うぅん。なんにもないんだけど,知ってるかなって思って…」

強めに首を横に振りながら言った。

「そう。ならいいんだけど」

「じゃあお風呂入ってきちゃうね」

由依に何かバレるんじゃないかと思って,勢いよく返事をしてお風呂へ駆け込んだ。

『絶対なんか気づいている』と思わずにはいられなかった。そして,改めて自分は緊張しやすいんだなと思った…

そのあとお風呂から上がって,明日はなにがあるのかということをスマホで確認した後,ベッドに入って今日あったことを考えると,走馬灯のようにあの笑顔とあの時のドキドキとした心臓の音を思い出した。

恥ずかしいと思いながらも,早くまた会いたいなそう思ってしまい,今日の夢にまで出てきそうだったが,結局夢では会うことができなかった…

残念なのかそれとも良かったのかは自分でもわからない。



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