EP10「殺人の定義」

りあの後頭部にあたった瓶が砕け散り、あたりに光の粒がばらまかれた。

「嘘やろ……?なんでなん?」

おかしい。明らかに何かがおかしい。

女の力とはいえ、大瓶を力いっぱい人の頭に振りかざしたのだ。

けれどりあは、精一杯の攻撃にひるむ様子も見せずに大きく息を吸い込みながら、こちらを振り返る。


「ばぅっ!ばぅあうあぁァァア」


怪獣の咆哮を間近でくらった飴ちゃんは、その威圧の波動により戦意を喪失し、へたへたとその場に崩れ落ちる。

何も出来ない。

『このお皿が一番オムライスがおいしそう!』

オムライスが手に取りながら満足げに頷いていた皿が怪獣の足元で粉々に割れる。

『見て!桜うまない!?』

桜が自慢気に見せびらかしていた飴ちゃんとオムライスのイラスト付きの立て看板も見る影もない。

飴ちゃんの目に映るのは、このひと月、自分たちが共に作り上げたこの場所が、だというただそれだけの理由で壊されていく光景と、その厄災が1歩1歩、オムライスと桜に近づいていく絶望の足音であった。

目の前の出来事がコマ送りのビデオのように見える。


飴ちゃんは無意識のうちに2人の事を考えていた。


桜、初めは陽気で、配信や演説のような人の心を瞬間で掴むような話し方の、ハマる人にはハマるクセの強い配信者だと思った。

すぐメンタルやられて泣きついてきたり、かと思えば呑み会で、突然「飴ってなんやかんやで俺の事好きよな」って自分大好きだったり、真面目な相談かと思いきや「俺が死んだとしたら、飴ちゃんは何思う?」とか素っ頓狂な事を夜中に聞いてきたり。私を自己肯定感高めるための相手に使うなっての。

そんな馬鹿で、個性的がすぎるような桜だったけど、今では相談を受けたり、話を聞いてもらったり、マイナスな所を打ち消して余りあるくらい気を使わずに話せる1人の大事な仲間になっていた。


オムライス、初めて会った時も今も、犬みたいで常におしりに尻尾が見えるようなそんな子だった。

最初の方は「なんか妙にうちの事怖がってるけど、たまに舐めてかかってくる調子のいい年下」くらいの感覚だった。

仲良くなった今では、私が作ってあげたピーマンの肉詰めの肉だけ食べたり、でも私が体調が悪いときに気遣って買い物をして届けてくれたり(固形のシリアルスティックはさすがに無いと思ったけど)そんな優しさと可愛さとあざとさが不器用にごちゃまぜになっている子だ。

オムだって今の私にとっては欠かすことの出来ない大事な人だ。


やだ。やだよ。

2人とも。死んじゃやだ。

お願い。お願い。神様でも何でもいいから。

誰か……助けて。


飴ちゃんの視界が滲み、傍らに散らばっている今日この後配るはずだったチラシの文字も、かすんで見えなくなっていた。

理不尽な破壊が店の壁を突き破る。

桜のすぐ傍の石畳がへこんで肌色の地面を露出させている。

片手で桜を持ち上げた怪獣が桜を石畳に投げつける。

癇癪を起した子供が手に持っていた人形を投げ捨てるように無造作に大の大人を放り投げる怪獣。

まるで石切りのように石畳に何度も打ち付けられる桜はその度に小さくうめき声をあげる。

桜が尋常じゃない量の血を流しながらも、必死に逃げようと小さく右手を前に伸ばす。

桜の周りの石畳に赤黒い掠れた手形が付く。

桜に黒い影が重なった。

「ばぅ。ばぅ」

小さく掛け声を上げながら怪獣が何度も何度も桜を踏みつける。

赤く汚れた手が力を失ったようにぴくりとも動かなくなった。

のそりと怪獣がオムライスの方をみやる。


飴ちゃんを絶望が包み込む。

目の前にいるのはうちの知っている『りあ』じゃない。

桜が死んで、次はオムの番だ。

一周りも大きい店長を運んでオムが逃げれるはずが無い。

……この世界の神様はきっと助けてはくれない。

頼れる人は、誰もいない。

あれはりあじゃない。あれはりあじゃない。

飴ちゃんは目をつむりながら自分に言い聞かせるように呟いた。

オムライスに意識がいっている今ならふいをつけば一矢報えるかもしれない。

一瞬でも隙を作れれば逃げる事位はできるかも知れない。

手元には散らばった包丁が落ちている。

ここは日本じゃない。あれは……人間じゃない。

だから殺人にはならない。

大丈夫。だから……やるなら、今しかない。

震える両手で大きな肉切り包丁を手に取った。

チャンスは一瞬だ。

飴ちゃんが震える足を無理やり動かそうとしたその時だった。

足元のガラスがパキッと音を立てた。


ふいに災厄がこちらを振り返った。

血走った眼と、目があった。

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