トムランタ、現実の霊使いヴェルリン


 アガサは手を握ったり、開いたりしてそこに残る感触を確かめる。


「確かに掴んでいたと思ったが」

「私たち神秘の王者たるトムランタは、お前たちの想像も及ばない次元の術を行使できる。理解することなど不可能だ」

「そう」


 アガサは推測する。


 傷を超速で再生させる能力だろうか、と。

 ただ、それだとおかしいところがある。


 というのも、ジュラルシップァの右腕の袖まで元通りになっているからだ。


 いくらなんでも、服まで回復させるというのはおかしな話である。

 それに、彼女の手元には魔導書もある。

 あれも先ほど、外壁の下へ落ちていったものだ。


 ヴェルリンは黒ローブの袖をまくり、グルグルに巻かれた鎖を取り払う。

 禍々しい黒腕がのぞく。赤い血管が胎動しており、間違いなくマトモじゃないことがわかった。


 ヴェルリンはわずかに腰を落とし、タッタッタッとまっすぐアガサへ走っていく。

 アガサはつまらないものを見る眼差しで、遠慮なく真実の一太刀を放った。

 ヴェルリンの身体が砕け散る。真っ二つに裂けて、手足があらぬ方向へ飛び散る。


 外壁のうえにベチャッと紅いシミを残した。


(終わりか。……いや)


 アガサは振りかえる。そこに敵の気配を感じたから。


 ──バギィ!


 アガサの鎧圧が軋んだ。

 アガサの背後から、ヴェルリンが黒腕で殴りつけていたのだ。まっすぐ伸びたストレート。鎧圧にはヒビが入っている。常識的なパワーではない。


「よく反応できたな、アガサ・アルヴェストン」

「気配は覚えた。どこに移動してもわかる」

「なるほど、それにしても、硬いな……お前」


 つぶやくヴェルリン。

 アガサは一歩離れて、真実の一太刀でヴェルリンの腕を切断。

 右手をグッと伸ばし、白い首を掴んで締めあげた。


(どういう原理かは知らないが死を無かったことにしてるようだな)


 横目に見やれば、先ほど外壁に出来た血のシミが無くなっている。


(こいつの能力はおそらく現実の改変)


「それそろ、トリックに気がつく頃だろう」

「また消えた」


 気がつけば、術は発動していた。

 ヴェルリンはアガサの手の中にもういなかった。

 

(能力から繰り出される技は、拘束からの脱出──拘束された事実を無くす──、蘇生──殺された事実を無くす──といったところか。まだ、ありそうだな)


「私は現実の精霊使い、精霊術・歴史編纂は過去の不都合を書き換えることができる」

「なんで教える」

「わからないか。それが私にとって好都合だからだ」

「そう」


 ヴェルリンは考える。


(これで奥義の条件が整った。魔力の残像は6割といったところか。吸血鬼の腕での不意打ちで鎧圧を貫通できなかった。ウェストフォートレスの剣王の鎧圧は抜けたが、やはりそこは剣聖、格が違うようだな。となると、撤退を視野に入れなければ。これ以上、被害は出せない)


「私は守らなければならない」

「……」

「すべてを。その責任がある。トムランタがエルフの未来を創る」

「……。俺は俺の国を守る。あんたを殺す」

「よかった。覚悟のない敵を屠るのは私の性にあってないんだ。だから、本当によかった。後味悪くならないようなやつで……本当に良かった。今から、私はお前を殺す。だが、恨んでくれるなよ、アガサ・アルヴェストン」


(現実の精霊よ、大編集を行う。奴を殴れるか?)

『対価はもらう。それと間合いがいささか遠い』

(距離などどうとでもなる。対価はそうだな……私の命、20年分をもっていけ)


 トムランタ、決死の攻撃だった。


(撤退分を残して、すべての魔力を使う)


 ──精霊術・歴史編纂

 ──精霊術・大歴史編纂


 次の瞬間、ヴェルリンはアガサの手のなかにいた。


(歴史編纂で私がやつの腕から事実を書き換えて逃れたという編集行為を取り消し、手元に戻る。そして、大歴史編纂でトドメを刺す)


 2人のあいだに距離はない。

 アガサもまさかヴェルリンが自ら戻ってくるとは想像もしていなかった。

 腹底を震わせるような低い声が響く。


『──この小僧はせいぜい20歳といったところか、ならば20年前の過去を破壊してやろう』

「っ」


 目を見開くアガサ。

 ヴェルリンの背後から赤い目をした八腕の巨人が現れたのだ。

 現実の精霊は、アガサの両手両足をつかみ、頭をも左右からガシッときっちり固定してしまう。

 アガサとゼロ距離でおでこを突き合わせ、目を合わせ、そして、過去──すなわち、アガサの生誕した事実を破壊しようとする。


『っ、なんだ、こいつは……こいつ、一体どれだけの時を生きて……』

「不敬だ」


 アガサの身体が蒼雷に包まれる。


『単純な力比べで私を上回ろうと? 無駄なことを』


 なおも蒼雷は眩くなっていく。


『私は現実の精霊だ。私がお前を拘束しているという現実に揺らぎを無くした。この現実だけは動かせない。そう、それは果実が木から落ちるのと同様に、いま、この瞬間においては世界の法則なのだ』

「なら、なんとでもなりそうだ」

『……なに?』


 一瞬、あたりが極光に包まれた。

 

『ッ、あ、ありえない……! 現実は私の味方だ、この目の前の事実を動かす権限は私にある、なのに、なのに……!』


 現実の精霊はなおも拘束し続けようとする。

 しかし、とても抑えられるものでは無かった。

 火山の噴火を両手で押さえつけるがごとき所業だった。


『な、なんだ、この異質なエネルギーは……ッ!』

「俺は斬ることが得意だ」


 世界の法則をもちいて、アガサを拘束したのならば、また世界がアガサを解放するだろう。

 究極の剣を修められるのは同等の鞘だけだ。

 どこの馬鹿が、無限の切れ味を誇る黄金の刃を、素手で握りしめようと言うのか。


 現実の精霊の五体に琥珀色に輝く亀裂が走る。

 八本の腕が砕け、胴体は両断され、赤い魔力の粒子となって、消えてしまった。


『お前は……もう、神座にのぼって……』


 現実の精霊が最後に理解したこと。

 それはアガサと言う存在が人間を超越した段階にいたことだった。

 偉業と成し遂げ、英雄を越え、そして、多くの上位存在の関心を引き、ひとつの世界のルールそのものとなった。

 霊的なレベルで精霊がどうこうできる領域ではありはしないのだ。


 アガサは身体についた埃をはらう。


「消えた、か」


 ヴェルリンがいなかった。

 ジュラルシップァもいない。


 アガサは遥か遠くの空を見つめた。


「精霊を捨て、友の命を選ぶ。……。いいだろう、守護者。あんたの覚悟に一握いちあくの敬意を表そう」


 その晩、アガサはひとりのエルフを斬った。



 ────



 妖精国、世界樹の森。


 ──精霊術・座標改竄


「本当に危ないところだった……」

「ヴェル、私は、私は……」

「今はいい。命を拾えたことだけを喜ぼう」


 ヴェルリンはジュラルシップァのちいさな肩を抱き寄せ、深い森を歩く。

 

 現実の精霊の力は、空間、時間にそれぞれに作用する。

 座標改竄は、あらかじめ座標を指定しておくことで、どれだけの距離を経ても、瞬時にそこへ移動できる緊急回避&長距離移動の精霊術だ。


 これによりヴェルリンは剣王2人を焼き殺した熱の霊使いナイギアラを、パラケルスス警護のために送り返したこともある。


(あと一手遅れていたら、殺されていたな)


 世界樹まで戻ってきた。

 荒れ果てた光景に2人は肩を落とした。


「こんな酷いことが……」

「すべてはアガサ・アルヴェストンがやったんだ……」


 ヴェルリンは顔を悔しさに歪める。


「っ、あれは、トムランタ……! トムランタたちが帰ってきたぞ!」


 エルフの誰かがそう言った。

 ヴェルリンとジュラルシップァのまわりに、ぞくぞくとエルフたちが集まってくる。

 英雄の凱旋に、皆、表情は明るい。


「実は馬鹿でかい巨人が森をめちゃくちゃに!」

「……。詳しく話を聞かせてくれるか」


 その日、ヴェルリンは真相を知った。

 エルフを壊滅に追い込んだ巨悪がいたこと。

 それはアガサではなかったこと。

 そして、その巨悪はすでにアガサによって斬られていたことを。


(あの皇帝は恐ろしく強いが、それは野蛮ということではない。やつは敵を屠り、私と同様、守るために戦った……結果的に、私たちの仇を討ってくれたのか……)


 エルフの最大戦力をぶつけて巨神を倒せるか、ヴェルリンにはわからなかった。

 そして、その復讐行為がどれだけ新しい被害をだすかも。

 だからこそ、アガサが巨神を斬ったことは、胸のすく出来事だった。


「……。お前たち、聞いてくれ」


(アガサ・アルヴェストン、お前を認めよう。やつが生きている限り、帝国は盤石だ。前皇帝の残した負債、巨神の討伐で手打ちにしてやらないこともない)


 ヴェルリンは世界樹の根本にこしかけ、残った2,000人ばかりのエルフを集めて、今後の方針を離すことにした。


 ふと、彼は手元を見やる。

 自分の黒い長髪がひとふさとれていた。

 まるで、刃で髪を切ったかのように切断面は綺麗に切りそろえられている。

 

(……。そうか)


 それですべてを察した。

 ヴェルリンはその晩、自室にこもり、可及的速やかに、すべての復興計画を書き起こし、それをジュラルシップァへと託した。


「もう戦ってる場合じゃない。まずは、この森をどうにかしよう」

「ヴェル……どうして、私に指導者の座を譲る?」

「君が適任だからだよ」


 ヴェルリンはジュラルシップァを部屋から追い出した。

 植物脂で灯る油ランプの火が、暗い部屋で揺れている。


 数年前に旅立ち、帝国を分裂させ、そして、帝国を侵略支配するまで帰らないと決めた部屋だった。


 今しがた最後の役目を終えた使い古した羽ペンをもちあげる

 羽ペンの、筆先と、羽の部分が離れてしまっていた。

 これはさっきまで使っていたペンだ。壊れているはずがない。

 よく見れば、鋭利な切断面をしていた。


(来たか)


 ヴェルリンの背筋を冷たいものがつたう。

 直後、彼の胸が斬り開かれ、赤が部屋を染めあげた。

 風が吹き、ランプの灯が消える。

 膝から崩れ落ち、黒い髪が濡れていく。


 終わる間際、ヴェルリンは彼の言葉を思い出す。


『気配は覚えた。してもわかる』


 帝国の東側から、優に馬での旅路ひと月以上の彼方。

 やはり、格が違う。ヴェルリンは納得する。


(ぁぁ、そうだ……敵なら、殺さなくては、な……)


 ヴェルリンは負けた。

 最大の敵に。だがそれは悪ではなかった。

 もうひとつの正義だ。

 ゆえに、不思議と悔しくはなかった。




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