トムランタ、引力の霊使いジュラルシップァ


 すべての物は引きつけあっている。

 そのことを幼い少女だったジュラルシップァに気がつかせてくれたのは、世界の法則を司る強力な精霊だった。

 というより、精霊をくれた一人の青年だった。


 彼の名前はグルーヴィ。

 灰色の髪をした精悍なエルフであった。

 不思議な青年だった。

 彼は果実を手に取り、それを地面に落とした。


「この精霊は君に託そうか」


 ジュラルシップァは幼い日に、このグルーヴィに出会って以来、100年以上の時を精霊とともに歌を語らい、多くを神秘の研鑽に費やした。


 ある日、マグナライラス・ゲオニエスがエルフの里から略奪した。


 その時、ジュラルシップァはまだトムランタではなかった。

 里を守れなかったことを酷く後悔し、そして、二度と奪われまいと、強くあろうとした。


「グルー。どうして。どうして、里を守ってくれなかった。あなたなら守れたのに」

「予言を得たんだよ。おおきな予言だよ」

「予言? 予言と里、どっちが大事」

「いづれわかるよ。きっと」



 ────



 ダイダラドゥッチの脅威からイーストフォートレスを救ったアガサは、外壁のうえで冷ややかな眼差しをしていた。被害を受けた街並みを眺めているのだ。

 そこら中から火の手があがっている。要塞の壁の一部は、ダイダラドゥッチがアガサを投げつけたせいで、崩壊している。修復には多くの時間と金と労力が必要だ。

 

 真実の一太刀で熱線を押し返した。

 それでも、エネルギー量があまりも大きすぎたため、完全には返しきれなかった。

 熱線のいくらかが流れ弾のように、地上を撫でては、町を焼いた。

 ちいさな被害ではない。

 おそらく、数百人、数千人単位で死傷者が出ている。


 アガサは怪訝な顔つきになった。


「覚悟はいいか。悪魔」

「……」


 アガサのつぶやきに、インクティノティスは黙することしかできない。

 

「トムランタだけの話じゃない。あんたの親元の悪夢には責任をとってもらう。これは帝国という人間国家と、あんたのところの悪夢との話になる」

「……。弁明の余地はありませんネ。ですが、アガサ・アルヴェストン、あなたが死ねば、こんな話うやむやになりますよネ」

「面白いことをいう悪魔だ」

「私もそう思いますネ。ですが、アガサ・アルヴェストン、私は負けましたが、トムランタは負けていませんネ。実はまだ保険を残してますネ」


 インクティノティの視線がスーッとすらいどする。

 追いかけるように見れば、その先に白い女がいた。

 

 トムランタ、引力の霊使い、ジュラルシップァである。

 彼女は得意な顔をして、魔導本を片手に開いてやってくる

 華奢な指先でページをめくって、宝石のような眼差しで狙いを定めた。


 ──精霊術・引力爆発


 アガサの身体に、外壁に吸い寄せられるように、強力な重力がかかる。


「剣気圧、剣士が鍛錬の果てに魔力のカタチをかえて見出した神秘。残念だけど、魔力粒子は引力の影響を強く受ける。アガサ・アルヴェストン、もう自由に真実の一太刀は使えない」

「……」

「……。このまま潰す。悪く思わないで。あなたたちが最初に攻撃してきたんだから」

 

 アガサに掛かる重力がどんどん高まっていく。


 試しに真実の一太刀を放ってみるアガサ。

 不可視の刃はまっすぐ飛んでいかず、下方へ急速に落ちていき、外壁を削って、明後日の方向へ消えていった。


(なるほど)


「無駄」

「ああ。無駄なようだ」

「私の引力は距離と時間に応じて効果を増す。だから、声の届くこの間合いは、私の勝ちを語ってる」

「どうだろう。俺にはどうもあんたが勝っているようには思えない」

「口だけは達者」

「お互い様だ」


 インクティノティスは二人の不思議な会話のさなか、こっそりとアガサから離れようとしていた。


(ジュラルシップァにも悪魔のチカラを渡しておけばよかったですネ。アガサを押さえるとはトムランタ、やるじゃないですか)


「悪魔、俺をあんまり侮るな。殺したくなるだろう」

「……」


 インクティノティスはぴたりと動きを止めた。


「おかしい」


 引力を付与してから実に20秒が経過した。

 外壁のうえはひび割れ、重たくなる空気に光の屈折が歪み始めている。


 だというのに、アガサが膝を折ることはない。

 外壁に放射状の亀裂をつくり、膝までめり込もうとも、ただ何事もないかのように棒立ちしている。


 そのうち、アガサのほうがどこか困ったようにこめかみを掻きはじめる。


(嘘……立ってられる訳が──」


「もうわかった」


 ジュラルシップァの右腕が飛び、魔導書ごと外壁の下へ落ちていく。


「あっ、あ……」

 

 引力が解除された。

 ジュラルシップァは魔導書をなんとかキャッチしようとするが、あえなく外壁のしたへ。もう拾う事すらできない。


(魔導書が術の触媒か)


 アガサはもう彼女はなにもできないと悟る。


「女、もうひとりのトムランタはどこにいる」


 アガサはジュラルシップァの細い首を掴み、背後を取ると、優しく抱擁する。

 だが、もちろん慈愛で包み込むわけではない。

 あと数センチ押せば、真っ逆さかさまに外壁のしたへ。

 そのような状況にジュラルシップァを追いこんでいるのだ。

 彼がすこしでも、彼女を抱きしめる手を緩めれば、それで彼女は綺麗な顔は、数十メートルの眼下でやわらかい果実のように潰れるだろう。


 アガサの顔には冷たい色しかない。

 敵対者を斬り伏せる鋼の眼差しだ。

 

 ジュラルシップァは激しく後悔していた。

 未熟な精霊術のせいで、偉大なる精霊の力をまるで引き出せていないことを。

 そして、実力差もわからず、ノコノコひとりでやってきてしまったことを。


(私は、勝てるだけの、研鑽を積んだ、はずなのに……)

 

「安心しろ、ジュラルシップァ、同胞をこれ以上死なせはしない」


 どこからともなく、そんな声が聞こえ──そして、アガサは目をわずかに見開く。


 彼が今まさに尋問していた女エルフ。

 ジュラルシップァの姿が消えたのだ。

 確かに背後から抱擁していたはずなのに。


「アガサ・アルヴェストン、こっちだ」


 声の主人は外壁のうえにいた。

 黒髪の長髪をたずさえた男のエルフだ。

 彼の背後にジュラルシップァがいる。


 腕を斬ったはずなのに、彼女は五体満足な状態でそこにいた。


 アガサは眉根を顰める。


「アガサ・アルヴェストン、ここでお前を止める」


 エルフは確固たる意志を、その瞳に宿していた。


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