話が長い
「逃げたか。剣王オキナ」
荒廃した大地の真ん中で、灰色な髪をしたエルフがつぶやいた。
ここはウェストフォートレス。
帝都の西にある4つの要塞都市うちのひとつである。
繁栄と武装にて無骨に栄えた都市が、どうしてこれほどまでに荒れ果てているのか。
人口の20%は戦いに巻き込まれ命を落とし、20%は傷を負い、20%は都市を離れた。
西の要塞都市が大打撃を受けたのは他でもない戦いのせいだ。
帝国剣王ノ会とトムランタたち。
その戦いにおいて、最大の激突が起こった土地こそウェストフォートレスなのである。
この土地で剣王が4名命を落とした。
トムランタ側も苦戦を強いられたが、それでも被害は出さなかった。
この灰色のエルフは、今しがた敵を追い返したところだ。
かつて無双と呼ばれ、アガサに比類するとすら噂されていた剣王オキナを追い返したのだ。
エルフは狼のごとく逆立っていた髪を撫でつける。
さらさらと灰色髪に髪質自体が変わった。
エルフの目つき、顔つきもまた柔らかいものになっていた。
「──困りましたね。こう何度も攻められては」
彼の名前はグルーヴィー。
最強と名高い妖精術師『トムランタ』である。
グルーヴィーはジュラルシップァとヴェルリンを交えて3人でウェストフォートレスを実効支配していた。
ジュピターオロの要請で2人を東側へ送ったあとは、彼ひとりで都市の支配を盤石に保っていた。
「ん? これは精神の精霊ではないですか。どうしたのですか。え? オロが? そうですか。彼は生存能力に長けた戦略家でしたが、討たれたしまいましたか」
今度は現実の精霊が飛んでくる。
「おや、君もですか。なるほど、もはや精霊としての格を維持できないほどのダメージを負ってしまったのですか」
グルーヴィーは腕を組む。
本来なら東の要塞都市で、3人のトムランタ合同でアガサ・アルヴェストンを討っているはずだった。
なのに増援に送り込んだ精霊が、こうもたやすく負けた。
グルーヴィーは「やはり、そうですか。君が予言の子」とちいさな声でつぶやく。
「あとは任せてください。ええ、トムランタは、エルフは何度でも蘇りますよ。僕がいればね。すべてを巻き直せます。ただ、その前にひとつ障害を取り除く必要がありますね。……ああ、楽しみですね、この時を長い事待っていた。そんな気がするんですよ」
グルーヴィーのまわりに光の粒がふわふわと浮遊しはじめる。
それらすべてが妖精だ。精霊と呼ぶには、パワーも存在感もまだ足りない。だが、きっと、いつかの時の果てに聖霊になる神秘存在だ。
「現実の精霊よ、座標はまだ残っているかい?」
数分後、グルーヴィーはイーストフォートレスへとやって来ていた。
それは、アガサ・アルヴェストンが現実の霊使いヴェルリンを倒して一夜明けた朝のことだった。
────
「アガサ様、残るトムランタはウェストフォートレスのやつだけですぜェ」
アガサとアギトは今、取り返した東の騎士団支部にて会議を開いていた。出席者には正気に戻ったクリスティーナとゼラフォトもいたが、今は退席中だ。2人には元剣聖としての風格と実績があるため、混乱した町をまわってもらっているのだ。
2人とアガサの指揮下にもどった騎士団があれば、町の混乱もすぐに収まるだろう。
トムランタの指揮下に甘んじていた騎士団全体への処罰はまた後日だ。
今は速やかにトムランタを討つ。それが現状の方針だ。
「気がついたら部下たちが戦争を始めていたせいで大変な騒ぎだ」
「いや、おっ始めたのは向こうすからねェ、そんな怖い顔しないでくださいよォ」
「悪いことじゃない。ゲオニエスはどこかの段階で統一する必要があった」
アガサは立ちあがる。
「アガサ様どこへ行くんですかァ?」
「跳ぶ」
アガサは騎士団支部の屋上へやってきた。
アギトは「跳ぶってまさか、そのまんまの意味じゃ……」とドン引きの様子だ。ピョンピョン跳んで、都市と都市を移動するなど、人間がやっていい動きではない。
「アガサ様? どうしたんですか、やっぱりやめたんですかァ?」
「ああ。向こうから来た」
「えェ?」
アガサの視線の先。
最後のトムランタが外壁のうえにいた。
まっすぐにアガサとアギトのいる騎士団支部を見つめてきていた。距離は数キロ。もちろん、それが見えるのは人類史上最高の剣士であるアガサだからこそだ。アギトにはちょっと見えていない。かろうじて人がいる気がする、という程度だ。
「あれトムランタですかァ」
「ああ。エルフだ。それに異様な気配だ」
「向こうから来てくれたなら楽勝じゃないですかァ。斬っちゃいましょぜェ」
アガサは1%の力で真実の一太刀を放った。
「外した」
「え? アガサ様でも外すとこあるんですねェ。珍しいもの見させてもらいましたァ」
「……」
アガサは険しい顔をする。
彼は「外した」と形容したが、実際のところ外れるわけがなかった。
相手が回避行動をとったのだ。
だが、真実の一太刀を避けられる存在など、いない。
(いや、いるにはいるか。あの吸血鬼の女は避けたことがある)
「アガサ様、トムランタはどこへェ」
アガサは黙したまま、背後へ振りかえる。
「座標が騎士団支部に設置されていてよかったです。ここは都市を支配するための要所ですなら、あるとは思いましたけど」
穏やかに喋る灰色髪のエルフ。
グルーヴィーはローブを翻して、ポケットに手を突っ込んで立っていた。
「アガサ様ァ……あいつ、外壁のうえにいたんじゃ……」
「時空間を移動したくらいで今さら驚くな」
「ぇぇ、なんですかその慣れェ……」
アギトは常人がついていけない領域の戦いを起こる予感を覚えた。
「アガサ・アルヴェストン。君が、か。なるほど、確かに果てしないエネルギーを感じるよ。人類代表と言っても間違いじゃないよ」
グルーヴィーは含み笑いをしながら、ゆっくりとアガサへ近づいていく。
なおもポケットに手を入れたままだ。
無防備すぎて今斬りかかれば、アギトをしていつでも殺せると、確信してしまうほどだった。
ゆっくり歩きながら、アガサへ近づくと、彼のまわりにさまざまな輝きを放つ妖精たちが集まってくる。
「昔話をしよう。そうだね。あれはもうずいぶん昔の話だ。1,000年、2,000年じゃきかないかな。もっと太古の話」
アガサは自分の手を見下ろす。
鳥肌が立っていた。
硬質な眼差しをグルーヴィーへもどす。
「僕は空からこの大地へやってきたんだ。同族を虐殺してしまってね。当時は文明なんてものはなかった。だから、作ってみた。僕自身の手で滅ぼしてしまったけどね。ただ、それは大きな問題じゃないんだよ。すべては定められた盤上での出来事だからね。僕の魂は凶暴なんだ。多くを壊さないとやっていけなかった。今ではずいぶん落ち着いたものだけど、それはある種、諦めていただけなんだ。誰を見てもつまらなかった。100年前、ゲオニエス帝が僕の文明を攻撃したけど、その時も何もしなかった。何でだと思う。報復なんて簡単だからだよ。僕が本気で望めば、明日にでも帝国を終わらせることができる。でも、それじゃあだめだったんだ。僕は満たされないから。文明を起こしても、滅ぼしても、すべては些事なんだよ。砂城を壊されても、何とも思わないのと同じだよ。また、作れるからね。でも、その繰り返しのなかに、僕と対等に戦える者が現れたら、それはもう──」
「話が長い」
真実の一太刀が放たれた。
グルーヴィーの身体が吹っ飛んだ。
騎士団支部の屋上を滑っていく。
アガサは淡白な声で「東地区は瓦礫撤去中だったな」とアギトへたずねる。
「え、ああ、外壁が崩落し続けてて、めちゃくちゃ危険ですからねェ。……あそこは人っ子ひとりいませんぜェ」
「そうか」
「アガサ・アルヴェストン……君はやっぱり想像どおり、僕を満足させる可能性がある存在だよ」
「ッ、あいつ、アガサ様に斬られたのに……」
「……」
アガサは無言のまま、アギトから赫刀を受け取り、鞘に納めたまま左手に持った。
アガサがわざわざ剣を持つ。
その意味にアギトは心底震えあがり、一礼し「御武運を」とつげてすぐにその場を離れた。
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