勝負にすらなっていなかった



 黒い影たちは立ち尽くしたまま動かない。

 クラトニックは小首をかしげる。

 黒い影たちが動きだす。

 彼らはクラトニックを取り囲むと、おもむろに影のような手を伸ばしてその身体を″ちぎりはじめた。


「な、何をしてるんだッ?!」


 黒い影たちは何も語らず、何も言わず、ただ黙々と執行する。


 やがて、クラトニックは腕を取られ尽くして、黒い刀を取り落としてしまった。

 アガサは歩いて近づき、黒い影たちに無惨にもバラバラにされていく彼女を一瞥し、黒い刀を手に取った。


「死の執行と運営は悪魔の領分だ。悪いがやつらに俺は殺せない」

「ふざけ……ッ! ふざけるなぁぁあああ!? こんな、こんなの、ただの、インチキじゃないか……ッ!」


 クラトニックは涙を流して、必死にもがく。

 炎を纏う赫糸で黒い影たちを叩き斬る。

 黒雷で一帯を爆発させる。


 しかし、そのすべてが無意味だった。

 執行者たちにはいかなる攻撃も不毛だ。

 

「すべての命は死ぬために産まれてくる」


 そう言いながら靴底をカツカツと鳴らして、そいつはやってきた。

 血の河を凍らせて、そのうえを歩いてくる。

 真っ黒い瞳。細長い手足。身長2m。

 真っ白な肌。黒い唇を三日月のようにひんまげて、白い歯を見せている。

 モノクロで統一された姿からは、知る者に、標準的な悪魔を連想させる。


「……お前は、前に会ったか」

「いいえ。これが初めてですよ」

「そうか」

「アガサ様、今回は大変に失礼いたしました。象牙連盟、死部門を代表して謝罪をしに参りました」

「いらない。そんなに気にしてない」


 黒服の奇人は。アガサへうやうやしく一礼する。

 アガサは手をヒラヒラ振って追いかえす。

 

 クラトニックは何が起きているのかわからなかった。

 

 あれは……象牙連盟の悪魔。

 それも上層の悪魔だ。

 まさか悪夢から出てくるなんて。


 黒服の奇人はクラトニックを一瞥すると、なんの興味も抱かずに「では」とアガサに告げて、すぐに姿を消してしまった。

 自由に血界を出入りされている時点で、あの悪魔ひとりとってもクラトニックではどうにもならない遥か格上の怪物である。

 あの悪魔が指を振れば。おそらく正しい死が万物に下されるのだろう。


「呪いは跳ねかえる。たくさん斬らせてくれて楽しかったよ」


 アガサは黒い刀を鞘にしまったり出したり、刀身に目を凝らして検分しながら「いい剣だ」とご機嫌につぶやく。


「そんなの……インチキだ……っ、私は、私は勝ってたのに……っ」

「納得できないか」

「できるわけがないじゃん……」

「絶望的、か?」


 アガサに問われて、クラトニックは高揚とした顔になる。


「ぁぁ、たしかに、これは、絶望、だね……フフ……」

「そうか。なら冥土の土産によく見ておくといい」


 アガサは黒い刀を構えると、剣気圧を現行可能な領域まで一気にひきあげた。

 蒼雷がアガサの身体をつつみこむ。どうじに彼の体がちぎれ砕け、血が傷口を裂いてあふれ出す。

 

 クラトニックは神々しい姿に息を呑んだ。

 

 アガサはひとつ短く息を吐き、黒刀を抜刀し、素早く斬った。

 なにを? ──世界を。


 血界に白い亀裂が入り、術式が崩壊していく。

 ほろほろと崩れていき、暗黒の遠い景色の向こう側に、現実世界がのぞきはじめた。


「ぁ、ぅそ……」


 クラトニックはいともたやすく行われる世界両断に、言葉を失った。


 かつて、アガサは悪夢の辺境で考えた。

 どうすれば、象牙連盟のある異空間へ行けるのだろう、と。

 インダーラとの契約から851年が経過した時のことだった。

 その時点ですでに真実の一太刀という奥義を手に入れていたアガサは、究極の剣でとりあえず悪夢の辺境を斬ってみた。

 しかし、斬れない。どうしても斬れなかった。

 考え抜いた挙句、ひとつの解答を得る。


     『剣を抜いてみよう』

 

 アカサは200年ぶりに剣を手に取り、鞘から抜いて、そして剣を用いて真実の一太刀を世界へお見舞いした。

 

 その一刀こそ、象牙連盟を降伏させた真実の一太刀の完全なカタチ──本当の『真実まこと一太刀ひとたち』である。


 クラトニックはアガサがいつだって自分の血界を破る力を隠し持っていたと知った。

 この男は最初から勝つ算段があった。

 私に斬られても死なないと知っていた。

 彼は言っていたじゃないか。

 たくさん斬れて楽しい、と。

 

 ああ、無情……勝負にすらなってなかったんだ……。


「あ、がさ……」


 クラトニックは神々しい彼の背中に声をかける。

 アガサは汗を腕でぬぐい、剣気圧を解除してふりかえる。

 

 涙で前がよく見えなかった。

 いや、もう目玉を執行者に取られてしまったのから見えないのか。

 クラトニックは最後に聞きたかった。

 最強の生物として生を受け、家族たちに封印され、天才として恐れられ、最強の剣士に敗れて剣術に憧れ、そして長い時の果てにすべてに退屈し、強さだけを追求しすぎたと後悔すらした生涯の果てにここにたどり着いた。

 

 なら聞かねば。

 訊かねば嘘だ。


「ぁ、がさ、私は、私は……」

「強かった。お前が一番強かった」


 アガサは抑揚のない声でそう言った。

 

 ああ、よかった。

 もう絶望しなくて済む。


 クラトニックはほがらかな笑みを浮かべた。

 すべての命は終わりを目指して走りはじめる。

 彼女はひとつの正しい終わりにたどり着いたのだ。

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