剣の抜きかたを忘れた
悪夢に足を踏み入れると、そこには荒廃した大地が広がっていた。
ゴツゴツした岩が幾十にも折り重なっている。
それが丘となり、俺の視界のほとんどを塞いでいる。
唯一見えるのは、目の前に棚があること。
武器棚と本棚だ。
武器棚には剣がある。
普段使ってる長剣だ、
「あれで怪物を倒せってことか」
剣を手に取る。
本棚も調べてみる。
黒い本が入っていた。
悪魔が読んでたものとよく似ている。
見たことないほど綺麗な紙を使って作られている。
開くとすべて白紙だとわかった。
これは本というより、ノートのようだ。
だが、最初の白いページには文字が書かれていた。
「この本は悪夢の辺境の、もう一冊の本と繋がっておりますぅ。つまり、わたくしの本ですねぇ。あなたが必要な物資を書いていただければ悪夢に投下しますぅ。福利厚生ですよぉ。それでは、頑張って稼いでくださいねぇ」
ペンを手に取り、試しに「水」と書いてみる。
10秒ほど待つ。
空から樽が降ってきて、岩に当たって破裂した。
中には水が入ってたらしいが、もはや飲めるとかそういう状況じゃない。
俺は黒いノートに「もっと丁寧に」と書く。
返信は「目印を送りますぅ」だった。
再び俺は空を見上げる。
今度は黒い銅像が空から降ってきた。
悪魔にそっくりな悪魔像だ。
さきほどと同型の樽が空から降ってくる。
悪魔像が過敏に動いてそれをキャッチして、地面に置いた。
「なんだよ、このシステムはよ」
訳がわからんが、悪魔が支援者になってくれていることは間違いなさそうだ。
俺は剣を手に拠点(仮称)をでる。
さっそく、地面を這いずりまわってるネズミを見つけたので突き刺した。
「これでいいのか? 簡単な仕事だな」
──3ヶ月経過
ネズミを殺し続けて3ヶ月も経った。
最近、自分が何をしているのか、わからなくなる時がある。
ベッドを支給してもらったので睡眠は快適だ。
水も食料もある。なんなら、甘味もある。
朝起きて、十数時間荒野をさまよってネズミを殺す。
それで帰って寝る。
少しだけ、しんどくなってきた。
──1年経過
精神の摩耗を感じる。
これではダメだ。
当初の想定より、はるかに困難な挑戦だとようやく自覚した。
悪夢はいくつかの区画に分かれている。
今日は弱小モンスターのネズミしかいない区画より、奥へ行こうと思う。
──2年経過
深度2のモンスターに苦戦しなくなってきた。
そろそろ、深度3へ行こうと思う。
目標をもって前へ進む。
生きる意味さえ見出せば、精神の摩耗は抑えられる。
──5年経過
もうずいぶん長い時間を過ごした。
俺の実力では深度3が限界だ。
深度4の怪物に左目を奪われてから、もうあそこには進めなくなってしまった。
今日は久しぶりに深度4へ行ったが、あっけなく追い返された。
悪魔にもらった1000年カレンダーはまだほとんど減ってない。
きっと俺は終わる。正気を保てない。
いつまでこれが続くんだ。とても耐えられない。
──6年経過
瞑想をはじめて1年経った。
しばらくモンスターを倒してない。
──10年経過
ある時、俺は剣を持ってみた。
ずいぶん重く感じた。
そうか、これが剣ということなのか。
俺は剣の理のそのはじまりを悟った。
もしかしたら、俺はまだ強くなれるかもしれない。
──11年経過
修行をしなおした。
ついに、俺にも剣気圧が使えるようになった。
今までとは違う世界が見える。
岩を斬り裂き、踏み込みで地面が割れる。
すごい良い気分だ。
──20年経過
すべてを見直した。
帝国剣術をすべて抜き去り、まっしろなところに己の悟った術利を塗る。
そうしていくと、帝国剣術も悪くないと思える。
技術問題として実戦的だ。だが、理想じゃない。
究極ではない。
──25年経過
剣の究極をもとめる日々がつづく。
今日、思い出したように深度4の悪夢に行った。
一呼吸も乱さず殲滅できた。
──40年経過
俺の剣術は完成した。
しかし、パワーが足りない。
なにはともあれ肉体を作らなければ意味がない。
──55年経過
やっぱり、筋肉が剣術を進化させる。
深度5と深度6もたやすく制覇できた。
深度7に挑もうと思う。
──60年経過
深度7は俺がはじめて死んだ場所だ。
苦しみは数日にわたって続き、肉体が再構築されている間も、ずっと意識があった。
嫌だ、もう死にたくない。
もう死ぬのは嫌だ。
──70年経過
死にたくない。
拠点から一歩も出れない。
──80年経過
もう1000年経ったと思って、久しぶりに悪魔に訊いてみた。
カレンダーが魔法のチカラでめくれていく。
あと920年。
もう無理だ。
──100年経過
俺は体を鍛えなおして、深度7へ挑戦した。
また死んだ。
死ぬと肉体は再構築される。
欠損した体は再生されるが、筋肉も鍛えなおしだ。
もう一回やりなおす。
──120年経過
剣気圧と筋肉の限界を悟った。
かつて夢想したことを思い出す。
究極の剣とはなんなのだろうか。
──150年経過
深度7を突破した。
究極の剣の一端に触れつつある気がする。
道の終わりが見えるような気がする。
俺は肉体を捨てることにした。
──160年経過
体はやせ細った。
筋肉もまるでない。
皮と骨だけの肉体。
剣を握るチカラさえあれば十分だ。
深度11の怪物はドラゴンだった。
──161年経過
深度16。悪夢的な怪物に出会った。
究極の剣に至った俺でも殺された。
あれはなんだ?
──162年経過
勝てない。
もう200回は死んでいる。
死の恐怖がなくなった。
俺は強くなったのか、弱くなったのか。
──200年経過
答えに気づく。
俺は強くなり、弱くなっていたのだ。
弱くなるからこそ強くなれる。
恐怖は支配するものだ。
深度16の怪物を倒した。
どうやらここで打ち止めらしい。
これ以上の深度はない。
──210年経過
深度16に拠点を移し、これまでに40体以上深度16の怪物を倒した。
しかし、俺はまだ道の果てにいない。
骨と皮だけのやせ細った体。
また筋肉をつけてみることにする。
なにかが見えてくるかもしれない。
──220年経過
剣を振るのは術理だ。
だが、パワーがあって困ることはない。
──300年経過
深度17が解放された。
これほど心躍るのはいつぶりだろうか。
心して先へ進む。
──300年と20秒経過
がっかりだ。
──500年経過
折り返し地点まで来た。
瞑想しかしてない。
剣の抜きかたを忘れた。
──600年経過
俺の隣に金属の棒が置いてある。
名前を思い出せない。
とても鋭利で、美しい。
なにに使う道具だったか。
そうだ、深度20は7秒で片付いた。
悪夢の運営者にはもっと困難な怪物を実装してほしい。
──700年経過
無限の果てに理を理解する。
俺はまだ強くなれる。
名前を思い出した。剣だ。
俺は最強になりたい。
──850年経過
悪夢を斬った。
世界が崩れていく。
悪魔たちが見ていた。
恐怖に染まった表情で。
──851年経過
悪魔のなかに強いのもいる。
象牙連盟というところにさらに強い悪魔がいるらしい。
悪夢の辺境で行き方を考える。
──896年経過
究極の果てに『
200年ぶりに剣を抜いた。
かつてとはまるで違う道具に見える。
悪夢の辺境を破壊した。
これで象牙連盟への道が開けた。
悪魔たちは俺に和平協定を申し出てきた。
俺は受け入れることにした。
象牙連盟は俺に忠誠を誓い最上位の賓客とする。
代わりに俺は決して悪魔を殺してはいけない。
俺はたぶん、もう最強だ。
「剣聖アガサ殿」
「……」
「あなたに残された時間は104年です。そろそろ、現世での人格を取り戻した方がよろしいでしょう」
「現世の人格。なんだそれは」
悪魔のススメで俺は一足先に人のいる世界に戻された。
なんだ、生き返らせてもらえたのか?
灰色の都市だった。
けれど、俺がいたあの町じゃない。
名前を忘れたあそこではない。
俺はその灰色の都市で楽しくすごした。
人間性が取り戻されていくのを感じた。
──1000年経過
視界がまっくらだった。
激しい痛みに襲われた。
全身が痛い。
霞がかった聴覚がゆっくり戻ってくる。
俺は痛む体を起きあがらせる。
「なっ、馬鹿な、まだ立てるというのか?」
「オラトロスやっちまえよ! まだバリードのゴミが生きてるぞ!」
そうか。
俺はてっきり生き返ったと思っていたが、そうではなかったんだ。
あの灰色の都市での100年は生き返るための復帰場だった。
おかげで900年かけて失った人間性を完全に取り戻せた。
俺の本当の復活はいまこの瞬間。
この千年はいまこの瞬間のためにあったのだ。
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