悪魔
目が覚めると、俺は不毛の大地に横たわっていた。
「みじめですねえ」
そう聞こえて、ハッとして振り返る。
おかしな奴がいた。
右手で焚火に薪をくべている。
丸太に腰をおろし、左手で黒い本を読んでいる。
黒服の奇人だ。
漆黒の喪服に白塗りの顔。
「お前、まさか、悪魔か?」
「理解がはやくて助かりますぅ」
「ここは?」
「悪夢の辺境とでもいいましょうかぁ」
「悪夢、辺境?」
「悪夢と悪夢のあいだに広がる緩衝地帯というべき、一種の異次元ですぅ」
「異次元って、なんだ……」
「質問が多いですねぇ。残念ですがここから先の質問は有料ですよぉ」
「悪魔が金をとってどうする……」
「対価と言われてすぐ金銭を連想するあたり、いかにも人間ですねぇ」
「ッ、まさか、俺の命を? 知ってるぞ、悪魔は人間と契約して、たいせつなものを奪うってな」
「それはあれですよぉ、契約に不備があった案件だけがやたら流布されてしまったんでしょおぉ。きっと、トニス教会の悪魔対策の一環ですねぇ。人間は小賢しさに関して言えば悪魔なみですからぁ」
悪魔は黒い本に視線を落としながら続ける。
いまだに何も状況がつかめない。
ここはなんなんだ。
悪夢の辺境なんて聞いたことがない。
「ところで、このわたくしと契約をするつもりはありませんかぁ?」
「いまの話の流れですると思うか?」
「しますよぉ。だって、あなたこのままだと死にますからねぇ」
「……なに?」
「覚えていないんですかぁ? 学校、剣術、決闘」
キーワードのようにつぶやかれた言葉で、俺は思い出す。
オラトロスとの決闘……俺は敗北して……殺された?
「正確にはほとんど死んでいる、くらいの表現でいいでしょうねぇ」
「そうか。敗れ、死んだか」
オラトロスの最後の言葉。
──自己責任
あれは強者の意見でしかない。
俺はそのクソみたいな理屈を前に殺された。
「つまるところ、世界は俺が想像する以上に、クソだったわけか……」
「どの世界もあなたの言うクソばかりですよぉ。自分のことを棚に上げて、相手を攻撃することしか頭にない連中ばかりですともぉ」
「俺はそんな世界に適応できなかった」
「だから死にますぅ」
「俺はオラトロスに負けたんじゃない」
「ほうぉ」
「世界そのものに負けた。原理原則に気づけなかった」
「詩人ですねぇ。嫌いじゃないですよぉ」
「悪魔、いまこれどういう状況なんだ」
「あなたが死にかけているところに居合わせたので、気まぐれで救ってみましたぁ」
「居合わせるって……」
「もちろん、学校でですぅ」
「は? お前、あの学校にいたのか?」
「悪魔の基本は擬態ですよぉ。まあ、そんなことはどうでもいいじゃないですかぁ。大事なのは、これからどうするか、でしょうからねぇ」
悪魔は薪を火にくべる。
見た感じ、こいつは危害は加えてこなそうだ。
俺は悪魔のとなりに腰をおろす。
「飲みますかぁ?」
ティーが入ったマグカップを渡してくる。
受け取ってひと口飲む。悪くない味だ。
「わたくしはあなたに二つの選択肢をご提示できますぅ」
「聞かせろ。いや、聞かせてくれ」
無力な自分の立場をわきまえる。
悪魔はとても強力な怪物だと聞く。
こいつがその気になれば、指を鳴らしただけで俺を消し飛ばせるのだろう。
「ふふふ、賢い人間は嫌いじゃありませんよぉ。こほん。では、一つ目の選択肢。それは、あちらの悪夢に行ってもらうことですぅ」
悪魔は黒い本から視線をあげ、遠くを見やる。
視線を追えば、時空間のひずみのような黒いものがうかんでいた。
「悪夢とは、強力な秘術でねじ出された限定的な異空間、あの悪夢にはわたくしは入れませぇん。なので、あなたに代わりに行ってもらいますぅ」
「そしたら、俺にどんなメリットが?」
「生き返らせましょうかぁ」
「本当か?」
「ええ、それだけのことをしてもらうつもりですからねぇ」
なにさせるつもりだ。
「難しい事じゃありません。ちょっと忍耐力が必要な作業をぉ」
「忍耐力なら自信がある。俺は4年も学校でいじめに耐えてきた」
「それは上々。では、怪物を倒し続けてくださいぃ」
「それでお前になんの得がある?」
「倒した怪物は魔力に還元されますぅ。そして、その魔力がわたくしの口座に入りますぅ。人間は知らないかもしれませんが、悪魔の世界では魔力が通貨なんですよぉ」
俺が頑張ると、こいつが儲かる。
わかりやすくて助かる。
「それで何体くらい倒せばいい?」
「無限です」
「……は?」
「語弊がありましたねぇ。無限と言うより、時間です。倒した数ではなく、ある一定の時間、悪夢で怪物を倒し続けてくださいぃ。千年ほど」
「せ、千年?! 冗談だよな?」
「悪魔は契約時に冗談を言いませんよぉ」
まじかよ。
千年って何年だ?
いや、千年は1000年なんだけど、どんだけ長いんだ?
俺が17歳だから……60倍くらい、か?
「ちなみにもうひとつの選択肢は、このまま死ぬことですぅ」
なら、それは選択肢とは呼ばない。
実質一択しかないじゃないか。
「わかった。やろう」
「ふふふふ、本当にいいんですねぇ? 結構長いと思いますよぉ?」
「覚悟はできた。このまま死ぬよりずっといい」
「千年後も同じように言えることを願っていますぅ」
「ところで、ひとつ質問なんだが」
「はいぃ?」
「俺でよかったのか? 俺、めっちゃ弱いぞ」
自分で言うのも恥ずかしいけど。
「ふふふふ、問題ありませんよぉ、悪夢の怪物は木っ端から厄災クラスまで、いろいろいるみたいですからねぇ」
「わかった。それじゃあ、俺に倒せるやつを狙おう」
「いえ、強いのにどんどん挑んでくださいぃ。あれは特殊な悪夢でして、なかで死んでも何度でも復活できますぅ。死ぬほど激痛ですがぁ」
悪魔は心臓を押さえて、顔をゆがめて見せた。
できるだけ死なないようにしようか。
「では、行ってらっしゃいませぇ。たくさん稼いでくださいねぇ」
「ああ、頑張るよ。じゃあ、千年後に会おう」
「たぶん会いませんよぉ。千年経っても、あなたの精神が生きてれば、あるいは会うかもわかりませんがねぇ──」
悪魔の最後の言葉に不吉さを抱きながらも、俺は悪夢のなかへ足を踏みいれた。
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