第3話 社員食堂

 「いや、ぜんっぜんよくねーよ!」


 昨夜は早めの時間に、家の近くで、短時間で一気に飲んだので、佐川はさわやかに目覚めた。酒にも別に弱くない。しかし昨日は精神的にかなり弱っていた。酒に呑まれた記憶だ。

「これゲイバレしてんな。アウトだろ俺。」

就職してから、会社の同僚にカミングアウトすることはなかった。本命はショータひと筋だったので、特に必要なかったのだ。

「悪いヤツじゃあなさそうだったから、口止めの念押しくらいはしないとなあ。」

佐川は気を取り直すように、熱めのシャワーを浴びる。二日分のヒゲをさっぱりと剃り落とし、浴室を出ると髪を乾かす。カジュアルなコットンの洗いざらしの白いシャツに、ネイビーのチノパンを合わせる。内勤の日は、スーツを選ぶことはあまりない。

 冷蔵庫から牛乳を出して飲みながら、電気ケトルで湯を沸かし、食パンとたまごを用意して朝食の準備をする。トーストにバターと目玉焼き、ケチャップをかけるとサンドして、インスタントのポタージュを飲みながらテレビの天気予報を見る。食器を片づけると、洗面所でワックスを使って前髪をすこし後ろに流して、鏡の自分に不敵に笑う。

 きちんと身なりを整えることで、気持ちの切り替えを万全にし、ジャケットを羽織って腕時計をはめると、佐川は玄関を出た。


 「おはよう。」

友則だ。佐川は、また朝から正直叫びそうになった。

しかしここに越して4、5か月経つが、朝、隣人と出勤時間が重なることはこれまでなかった。今日が初めてだ。

「一緒に行くか。」

友則は、さも当然のように佐川に言う。

「ねっ、願ったり、叶ったりだ!」

友則は、ぴったり佐川の隣に並んで、駅まで歩いた。

「あのさ、とりあえず、昨日の俺のプライベートの話、内緒にしてな。」

友則はクールに佐川を見下ろした。

「話すような相手はいない。友達はアンタだけだから、安心しろ。」

「逆に心配だよ!」

そう言って佐川は笑った。「友達ってなんだよ」、と思いながら。



 「佐川さん、昼、どうするんですか。」

威圧感のある人影が、佐川の作業デスクを覗き込みながら尋ねた。

「お前、いきなり仲良くしてくんなよ。」

佐川は見上げて小声で言った。

「あー、俺今日時間ないから、社食かな。」

「っすか。」

聞くとそう言って、友則はちょっと残念そうに離れた。不思議に思ったがすぐに理由がわかった。結局昼休みに、佐川は友則を誘って、社食に連れて行った。

「意外と美味いよ。あんま気にせず、たまには使ってみれば。」

友則は、業務中と休憩中では、やはり心構えが違うらしい。とくに昼休みなど、どう振舞えばよいのか難しいのだろう、社員食堂など行けるわけがなかったのだ。

「佐川、ひさしぶりじゃん、あっちの席あるよ。」

友則がいても、特に気にするようなこともなく、佐川の知人が声をかけてくる。友則は連れられるままに、日替わり定食を持って、窓際の大きなテーブルで、佐川の隣に座った。

「三井さんと一緒なんて初めてじゃん。けっこう面白い組み合わせだよな。」

「キャリア職と、泥臭い現場人間みたいな。」

「うっせーな。言いたいこと言うな。」

楽しそうに話す佐川たちを横目に、友則は黙々と食事をしている。つい佐川は友則の肩に手を置いて、先輩風を吹かせた。

「まあ、仲良くしてやってくれよ!」

「余計なお世話ですよ。」

友則は不貞腐れて地のままに、反射的に言い返してしまった。本当は佐川と二人で食事がしたかったのだ。

「あっは!このカワイくなさがいいだろ。」

「ははは、マジヤバい。三井さんいいね。」

「っふっ!」(思ったより子供っぽい。ウケる。)

先輩たちがさも面白そうな顔をするので、友則は自分のクールなキャラを意識しすぎて、顔が熱くなった。格好悪くて恥ずかしいとは思ったが、気が抜けて楽しくもあった。

自然にしようとし過ぎて、これまで気負っていたのかもしれない。他部署の社員と、仕事以外の話をしたり、もっと普通に、単なる新入社員だという意識を強めて日々努めようと、友則は真面目に思った。

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