第2話 三井友則

 三井友則は、会社の創業者一族だ。大学だか、大学院を出て、今年の4月から一般社員と同じ扱いの総務部で働いていた。修行のつもりだろうが、まわりの社員は正直やりづらい。佐川も6月に大阪に来てから、微妙そうな空気を感じ取っていた。

また、独特な友則の雰囲気も難しいように感じた。悪気はないようだが、心なしか上から目線の尊大さが滲み出ている。変に優秀なのが扱いづらさに輪をかけていた。総務部の職員は、あまり関わらないように、たんたんと仕事を任せているような雰囲気であった。総務部の友則と、システム開発部の佐川であるが、とくに出張が多い佐川の場合は旅費や経費で直接のやり取りがあるのだが、それ以上のつながりはなかった。


 佐川は4つ目の駅で地下鉄を降りて、西の改札を出ると、階段を上ってそのまま寮のマンション方面に向かう。今日はインスタントか、むしろなにも食べずに、帰ったらもう寝よう。左の腕時計を確認して顔をあげると、そこに友則がいた。

「うわーっ!」

本日三回目の叫び声を友則に浴びせた。しかし友則は一切動じずに、佐川に向き合い、両肩に手を置いて言った。

「今日はそこで飲んで帰ろう。」

駅前の路地にある飲食店街に連れ込まれて、ひときわ賑やかな居酒屋へ導かれる。

「っちょ、ちょっとお前。俺帰るよ今日。」

友則はお構いなしに、ぐいぐい佐川を引っ張って、優しげに肩を組んだ。

「帰ったって、どうせ泣くだけなんだろ?」

友則に覗きこまれて、そう言われると、佐川の中で何かが崩れ落ちた。


 「今日泣いてたよな。なんで。」

騒がしい居酒屋の店内で二人差し向かって座ると、友則は遠慮なく問いかけてきた。

「言いたくねえよ。だから放っとけって言ったのに。俺さあ、一応先輩だよな。」

友則は新入社員だ。佐川より3つくらいは年下のはずである。

「あ、俺先輩だけど、ここお前のおごりだからな。」

生中が来たので、ふたり乾杯もせずにごくごくとそれぞれ勝手に飲む。

「でも、いまプライベートなんで。社内ではケジメつけてるつもりだし。」

「当然だろうが。でも俺はお前のプライベートに関わるつもりねえからな。」

一気にビールを飲み干して佐川が言うと、ちょっと友則が寂しそうな顔をする。厄介だ。

「会社で泣いてる男なんて初めて見たから、すごく気になった。」

「泣いてる女は見たような言い方だな。」

次の新しいビールを片手に、唐揚げやモツ煮を頼む。肉肉アブラ、肉アブラ、今日の佐川の気分だ。

「女は泣いてなんぼで言い寄って来るから。」

涼しげに言ってのける友則をまじまじと見る。憎らしくも、佐川よりちょっと背は高いようだ。育ちがいいので姿勢がよく、たたずまいは御曹司で文句がない。黒髪は揉み上げや襟足が長めで、やぼったさがちょっとセクシーでかわいい。切れ長の目は黒目が大きくて、顔つきは地味に整っている。いい男だ。

「フン、大変だな。」

「アンタみたいな気合入った漢っぽい人が泣いてるのは、カッコよかった。」

佐川は牛タンが喉に詰まりそうになった。

「アンタみたいなのがフラれるのも、面白い。」

佐川はビールで肉を流し込んで言い返す。

「俺まだフラれたって言ってねえぞ。」

今フラれたと言ったようなものだ。酒が入ってなかったら、佐川はもっとうまく誤魔化したばずだ。

「昼間っから近くの女性社員が噂してた。フラれたみたいな落ち込みようで素敵、ラッキーみたいな。アンタも大変みたいだよ。」

「もうほっといてくれよ。」

佐川はまた新しく運ばれたビールを一口飲んで、突然普通に泣いた。

「そりゃあ泣くだろ。10年だぞ。大好きだから好きなようにさせて、幸せ願ってたら、部外者になってたよ俺。」

友則は佐川の取り皿に大きな唐揚げを置いた。せめてもの慰めの気持ちだ。

「アイツは俺の理想。完璧な相方。でも、アイツにとって、俺は別枠の、親友。特別枠だけど、俺がなりたいのと違った。」

「俺にはわかる。知ってる。この先、もうショータを越える存在が俺には現れない。」

 騒がしい居酒屋の一角で、顔を伏せて泣く男と、おしぼりでその涙を拭う男がいた。視界に入っても、誰も気にすることはない。結局、どこにいようが、佐川は泣いたが、意外と居心地のいい空間で、家で泣くよりも、よかったと、少し思った。

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