第4話 友則の部屋
そのまま何日か過ぎたが、朝、昼、夕、さらには夜と、友則がなにかと佐川に声をかけてくるので、さすがに耐えかねて今日は諌めることにした。今日友則は遅くなる佐川の帰りをロビーで待っていた。
「お前そんなに付きまとうなよ。ちょっとわきまえろ。」
「でも職場も家も一緒だし、わざわざ別々の必要がないかと。」
「いや、そこは別々だろ。」
まさかこういう形で懐いてくるとは思っていなかったので、対処方法が間に合わない。生まれたての雛鳥だったか、三井友則は。
「家族じゃないんだから、せめて同僚としての節度を持てよ。」
「同僚じゃなくて、友人として、声をかけている。」
「職場では、同僚として付き合ってくれ。」
「じゃあいつ、友人になれるんだ。」
佐川は黙った。友則も喋らない。
「とりあえず、今日はもう10時だ。お前は俺を2時間以上待った。そういうのはしなくていい。家が一緒なら、むしろ先帰れよ。連絡するから。」
「連絡くれるのか?」
佐川はなんとなくそれには答えられずに、友則を駅に誘った。
「とりあえず帰ろう。疲れたよ。」
「着いたら駅前で、なんか軽く食べたい。」
「…そうだな。」
友則は、少し疲れたような佐川と廊下で別れて、それぞれの部屋に帰る。ビールとお好み焼きでちょうど腹八分目だ。もう12時を回る。
1LDKの単身者用マンションは、小ぎれいだが古くて、狭い。地下と1階2階が店舗や事務所のテナントで、上は賃貸マンションだ。一部を会社の寮として供用している。友則は縁もない大阪にいきなり飛ばされて、寮に押し込まれた。別のちゃんとしたマンションを探したり、親族の不動産を借りることもできたはずなのだが、有無を言わさず鍵を渡された。
お気に入りのソファと、新しいベッドを部屋に入れたので、意外と居心地は悪くないものだと感心したりもしたが、正直、自分の自宅のひと部屋よりも狭いし、景色もないし、とくにバスルームなど味気ない。友則はバスタブの給湯ボタンを押して、スーツのジャケットを脱ぐと、冷蔵庫から炭酸水を取り出してソファに座る。ネクタイを外してYシャツを脱いで放り投げる。週2回、ハウスキーパーを内緒で頼んである。シャツやネクタイはクリーニング、その他リネン類や洗濯物は清潔に揃えられて、余計なものは置いていないが、足りないものはない状態に整えられている。
両隣りに部屋があるが、どちらからも生活音が聞こえるようなことはない。佐川の存在感は、ベランダから覗くと見える窓の明かりくらいだ。
なぜ、隣の部屋にいるのに、別々に過ごしているんだろう。なんというか、帰ってそのまま、同じ部屋に入って、二人ソファに座って、食後のお茶でも飲む方が違和感がないのではないだろうか。佐川の好きなお茶を揃えて(コーヒーはあまり飲まないようだ)、気分によってチョイスして、その日の仕事の愚痴や成果をだらだら話しながら過ごしたら、楽しいのではないだろうか。
友則は漠然と考えながら炭酸水を飲み干して、バスルームに向かう。ちょうど給湯器のアラームが鳴って、シャツも下着も靴下もカゴに入れると、友則は力士のように、バスソルトを一握りバスタブに散らす。大きな体を、小さめの浴槽に沈みこませて、身を委ねる。ハーブのシャンプーと、南フランスの石鹸の香りを堪能しながら、佐川の香りを思う。引き締まった輪郭に、男らしい口元とあご。凛々しい眉と、大きく鋭い目つきだが、彫りが深くてすこし微笑むだけでやんちゃな愛嬌を滲ませる。地味な裏方の技術屋ではもったいないような好ましい顔つきだ。
佐川が大阪に来てから、いろいろな手続きで総務と関わったのだが、大抵は女性職員たちが懇切丁寧に対応していたのが、今になって思い出される。かなり優遇も融通もされているはずだ、あの男は。
はちみつレモンの一件から、佐川へは友則が積極的に干渉しているので、用もないのに佐川に関わろうとする女性の行動が目につき、友則の目に余る。イライラというか、じりじりというか、そんなことを考えていたら、ふと、友則は重要なことを思い出した。
「そうか、女は対象じゃないんだ、あの人は。」
友則は滑らかな湯と優越感に浸る。心身満足して風呂を出ると、お気に入りのガウンに身を包んだ。
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